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1-1|樂家とは|樂吉左衛門|茶碗師|千家十職
千家十職 ■ 樂家|樂吉左衛門|茶碗師 ■ 樂家とは ❚ 樂家とは 樂家とは、千家十職の内の一家でわが国独自の樂焼を業とする職家。 安土桃山時代(1573-1603)より一子相伝の技を継承し、今日に至るまで約四百五十年の歴史を紡いできました。 樂焼は手捏ねによって成形し、低火度で焼成する独自の製法を特徴とし、柔らかく温かみのある質感が茶人たちに愛されてきました。 ❚ 樂家のあゆみ 樂焼の起源については近年の研究により、中国・明代(1368-1644)の河南地方に伝わる「三彩陶」にその源流を持つことが明らかにされています。 古文書には樂焼の創始者である樂家初代/樂長次郎(生年不詳-1589)の父として、唐人・阿米也(生没年不詳)なる人物が記されており、作品こそ現存していないものの、この「阿米也」こそが中国・明代の「三彩陶」の技法をわが国へ伝えた人物と考えられています。 安土桃山時代、京都を中心に色鮮やかな「三彩釉」を用いた焼物が盛んに焼かれはじめており、樂家初代/樂長次郎もその技術をもった焼物師の一人であったと考えられています。...


★1-2|樂焼とは|樂吉左衛門|茶碗師|千家十職|
千家十職 ■ 樂家|樂吉左衛門|茶碗師 ■ 樂焼とは ❚ 樂焼とは 「樂焼(らくやき)は、千家十職の茶碗師・樂吉左衛門家によって450年以上にわたり一子相伝で継承されてきた特別な焼物です。他の焼物とは異なる独自の製法によって作られ、その技術の詳細は門外不出の秘伝とされています。樂焼の制作は、茶の湯の精神と深く結びついており、その技法は時代を超えて守り続けられています。 手捏ね製法 樂焼は、轆轤を使用せず、手と箆だけで成形する「手捏ね」という方法で作られます。この技法によって、茶碗には機械的な均一性がなく、人の手の温もりを感じさせる柔らかい造形が生まれます。また、手捏ねの成形は、茶碗を持ったときの手の収まりや口当たりの良さを考慮しながら行われるため、茶の湯における「用の美」を体現したものとなります。 焼成方法 樂焼は、一般的な磁器や陶器とは異なり、約750℃~1,100℃の比較的低温で焼成される「軟質施釉陶器」に分類されます。 この焼成方法により、樂焼独特の柔らかさと温かみのある風合いが生まれます。 黒樂製法 樂茶碗は天正九年(1


★1-3|長次郎焼とは|樂吉左衛門|樂家|茶碗師|千家十職|
千家十職 ■ 樂家|樂吉左衛門|茶碗師 ■ 長次郎とは ❚ 長次郎焼とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


1-4|樂家歴代|樂吉左衛門|樂家|茶碗師|千家十職|
千家十職 ■ 樂家|樂吉左衛門|茶碗師 ■ 樂家|歴代 ❚ 樂家|歴代 ■ 樂家|元祖 ■ 阿米也 ~あめや~ 生没年不詳 享年不詳 樂家初代/長次郎の父と伝わる。 陶工技術から渡来人とされ樂家では元祖と位置付けされる。 ■ 長次郎の妻の祖父 ■ 田中宗慶 ~たなか・そうけい~ 天文四年(1535年) ― 文禄四年(1595年) 六十歳 長次郎の妻の祖父。 千利休と親交。 豊臣秀吉より、金印の「樂」と「天下一焼物師」の称号を拝領。 ■ 樂家|初代 ■ 長次郎 ~ちょうじろう~ 生年不詳 ― 天正十七年(1589年) 享年不詳 阿米也の子と伝えられる。名は長次郎。 千利休の創意を受けて「樂茶碗」を創案。 ■ 樂家|田中家 ■ 庄左衛門・宗味 ~しょうざえもん・そうみ~ 生没年不詳 享年不詳 田中宗慶の子として生まれ、樂家二代/樂常慶とは兄弟。名を庄左衛門。 娘が長次郎の妻となる。 ■ 樂家|二代 ■ 樂常慶 ~らく・じょうけい~ 生没年不詳 ― 寛永十二年(1635年) 享年不詳 田中宗慶の次男として生まれる。名を与次。 赤黒の二釉に加え、白釉「香


1-5|樂家年表|樂吉左衛門|樂家|茶碗師|千家十職|
千家十職 ■ 樂家|樂吉左衛門|茶碗師 ■ 樂家|年表 ❚ 樂家|年表 1535年 (天文四年) 田中宗慶生まれる★ 1589年 (天正十七年) 樂家初代・長次郎没す▼ 1595年 (文禄四年) 田中宗慶没す▼ 1599年 (慶長四年) 樂道入(ノンコウ)生まれる★ 1635年 (寛永十二年) 樂家二代・樂常慶没す▼ 1640年 (寛永十七年) 樂一入生まれる★ 1656年 (明暦二年) 樂家三代・樂道入(ノンコウ)没す▼ 1664年 (寛文四年) 樂宗入生まれる★ 1685年 (貞享二年) 樂左入生まれる★ 1696年 (元禄九年) 樂家四代・樂一入没す▼ 1714年 (正徳四年) 樂長入生まれる★ 1716年 (享保元年) 樂家五代・樂宗入没す▼ 1739年 (元文四年) 樂家六代・樂左入没す▼ 1745年 (延享二年) 樂得入生まれる★ 1756年 (宝暦六年) 樂了入生まれる★ 1770年 (明和七年) 樂家七代・樂長入没す▼ 1774年 (安永三年) 樂家八代・樂得入没す▼ 1795年 (寛政七年) 樂旦入生まれる★ 1817年 (文化


2-1|永楽家とは|永楽善五郎|永楽家|土風炉・焼物師|千家十職|
千家十職 ■ 永楽家|永楽善五郎|土風炉・焼物師 ■ 永楽家とは ❚ 永楽家とは 永楽家~えいらくけ~とは、千家十職の内の一家で焼物を業とする職家。 仁清写、色絵、交趾など多彩な焼物を、千家の美意識に基づいた高度な技法で制作し、茶道具としての機能性と芸術性を兼ね備えた作品を生み出しています。 茶の湯の精神とともに歩み、千家好みの焼物を代々にわたり手がけてきたその技は、時代を経てもなお洗練され、伝統を守りながら新たな美を創造し続けています。 ❚ 永楽家のあゆみ 祖先はもともと大和国・西京(現材の奈良市西ノ京)に住む「土風炉師」であり、奈良の春日社(春日大社)の斎器(供御器)を制作していたと伝えられています。 永楽家初代/西村宗禅(生年不詳-1558)は千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の師である堺の武野紹鷗(1502-1555)の依頼で「紹鷗好み」の茶の湯用土風炉を制作したことをきっかけに土風炉造りを家業とし、晩年には「土風炉師/善五郎」を名乗るようになります。 永楽家二代/西村宗善(生年不詳-1594)は大阪/堺に住んでいま


★2-2|土風炉/焼物師とは|永楽善五郎|永楽家|土風炉・焼物師|千家十職|
千家十職 ■ 永楽家|永楽善五郎|土風炉・焼物師 ■ 土風炉/焼物師とは ❚ 土風炉/ 焼物師とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


2-3|永楽家歴代|永楽善五郎|永楽家|土風炉・焼物師|千家十職|
千家十職 ■ 永楽家|永楽善五郎|土風炉・焼物師 ■ 永楽家|歴代 ❚ 永楽家|歴代 ■ 永楽家|初代 ■ 西村宗禅 ~にしむら・そうぜん~ 生年不詳 ― 永禄元年(1558年) 享年不詳 大和国西京西村に居住。 春日大社の供御器を制作。 ■ 永楽家|二代 ■ 西村宗善 ~にしむら・そうぜん~ 生年不詳 ― 文禄三年(1594年) 享年不詳 永楽家初代/西村宗禅の子として生まれる。 大坂・堺に移住。 ■ 永楽家|三代 ■ 西村宗全 ~にしむら・そうぜん~ 生没年不詳 ― 元和九年(1623年) 享年不詳 永楽家二代/西村宗善の子として生まれる。 大坂・堺を離れ京都に移住。 小堀遠州より「宗全」の銅印を拝領。 以後、九代まで「宗全印」を用いる。 ■ 永楽家|四代 ■ 西村宗雲 ~にしむら・そううん~ 生没年不詳 ― 承応二年(1653年) 享年不詳 ― ■ 永楽家|五代 ■ 西村宗筌 ~にしむら・そうせん~ 生没年不詳 ― 元禄十年(1697年) 享年不詳 ― ■ 永楽家|六代 ■ 西村宗貞 ~にしむら・そうてい~ 生没年不詳 ― 寛保元年(174


2-4|永楽家年表|永楽善五郎|永楽家|土風炉・焼物師|千家十職|
千家十職 ■ 永楽家|永楽善五郎|土風炉・焼物師 ■ 永楽家|年表 ❚ 永楽家|年表 1558年 (永禄元年) 永楽家初代/西村宗禅没す▼ 1594年 (文禄三年) 永楽家二代/西村宗善没す▼ 1623年 (元和九年) 永楽家三代/西村宗全没す▼ 1653年 (承応二年) 永楽家四代/西村宗雲没す▼ 1697年 (元禄十年) 永楽家五代/西村宗筌没す▼ 1741年 (寛保元年) 永楽家六代/西村宗貞没す▼ 1744年 (延享元年) 永楽家七代/西村宗順没す▼ 1769年 (明和六年) 永楽家八代/西村宗圓没す▼ 1770年 (明和七年) 永楽家十代/永楽了全生まれる★ 1779年 (安永八年) 永楽家九代/西村宗巌没す▼ 1795年 (寛政七年) 永楽家十一代/永楽保全生まれる★ 1819年 (文政二年) 永楽家十三代/西山藤助・曲全生まれる★ 1823年 (文政六年) 永楽家十二代/永楽和全生まれる★ 1834年 (天保五年) 永楽家十三代/永楽宗三郎・回全生まれる★ 1841年 (天保十二年) 永楽家十代/永楽了全没す▼ 1852年 (嘉永五


3-1|大西家とは|大西清右衛門|大西家|釜師|千家十職|
千家十職 ■ 大西家|大西清右衛門|釜師 ■ 大西家とは ❚ 大西家とは 大西家とは、千家十職の内の一家で鋳物を業とする職家。 大西家の釜は、時代ごとの茶道の美意識に寄り添いながらも、伝統的な鋳造技法を継承し、千家の茶の湯にふさわしい形や意匠を追求してきました。 釜は茶の湯の根幹を支える道具のひとつであり、その造形の美しさと実用性を兼ね備えた作品は、茶会の趣を大きく左右します。 大西家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの茶釜を代々にわたり制作してきました。 時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在として今日に至ります。 ❚ 大西家のあゆみ 大西家の家祖は山城国/南山城広瀬村(現在の京都府南山城村大字田山小字広瀬)の出身で、当初は「広瀬」姓を名乗っていました。 この地は京都府唯一の村で京都府と滋賀県、三重県、奈良県の四県境に位置し、古くから鋳物師の里として知られていました。 大西家のはじまりは大西家初代/大西浄林(1590-1663)が二人の弟達と京へ上洛し、三条釜座の座人になったこといなります。


★3-2|釜とは|大西清右衛門|大西家|釜師|千家十職|
千家十職 ■ 大西家|大西清右衛門|釜師 ■ 釜とは ❚ はじめに ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 釜とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


3-3|大西家歴代|大西清右衛門|大西家|釜師|千家十職|
千家十職 ■ 大西家|大西清右衛門|釜師 ■ 大西家|歴代 ❚ 大西家|歴代 ■ 大西家|初代 ■ 大西浄林 ~おおにし・じょうりん~ 天正十八年(1590年) ― 寛文三年(1663年) 七十三歳 山城国南山城広瀬村の出身。 大西浄久の兄 江戸大西家/大西定林の父 「広瀬」姓から「大西」姓に改姓 ■ 大西家|二代 ■ 大西浄清 ~おおにし・じょうせい~ 文禄三年(1594年) ― 天和二年(1682年) 八十八歳 大西家初代/大西浄林の弟。 大西浄久の兄 江戸大西家/大西定林の父 大西家歴代随一の名工と称される。 ■ 大西家|三代 ■ 大西浄玄 ~おおにし・じょうげん~ 寛永七年(1630年) ― 貞享元年(1684年) 五十四歳 大西家二代/大西浄清の長男として京都に生まれる。 ■ 大西家|四代 ■ 大西浄頓 ~おおにし・じょうとん~ 天保二年(1645年) ― 元禄十三年(1700年) 五十五歳 大西家三代/大西浄玄の長男として京都に生まれる。 ■ 大西家|五代 ■ 大西浄入 ~おおにし・じょうにゅう~ 天保四年(1647年) ― 正徳六年


3-4|大西家年表|大西清右衛門|大西家|釜師|千家十職|
千家十職 ■ 大西家|大西清右衛門|釜師 ■ 大西家|年表 ❚ 大西家|年表 1590年 (天正十八年) 大西家初代/大西浄林生まれる★ 1594年 (文禄三年) 大西家二代/大西浄清生まれる★ 1630年 (寛永七年) 大西家三代/大西浄玄生まれる★ 1645年 (寛永二十二年) 大西家四代/大西浄頓生まれる★ 1647年 (正保四年) 大西家五代/大西浄入生まれる★ 1663年 (寛文三年) 大西家初代/大西浄林死去▼ 1682年 (天和二年) 大西家二代/大西浄清死去▼ 1684年 (貞享元年) 大西家三代/大西浄玄死去▼ 1689年 (元禄二年) 大西家六代/大西浄元生まれる★ 1700年 (元禄十三年) 大西家四代/大西浄頓死去▼ 1716年 (正徳六年) 大西家五代/大西浄入死去▼ 1720年 (享保五年) 大西家七代/大西浄玄生まれる★ 1747年 (延享四年) 大西家八代/大西浄本生まれる★ 1749年 (寛延二年) 大西家九代/大西浄元生まれる★ 1762年 (宝暦十二年) 大西家六代/大西浄元死去▼ 1777年 (安永六年)


4-1|奥村家とは|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|
千家十職 ■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■ 奥村家とは ❚ 奥村家とは 奥村家とは、千家十職の内の一家で表具を業とする職家。 奥村家の表具は、茶室のしつらえを整えるために欠かせない存在です。 千家の美意識に基づいた意匠と技法によって制作され、掛軸の装飾だけでなく、書や絵の保存・保護の役割を果たし、茶会の趣を演出します。 茶の湯の発展とともに技術を磨き続けてきた奥村家は、時代を超えて伝統の技法を守りながら、千家好みの表具を作り続けています。 その作品は、簡素の中に品格を宿し、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 奥村家のあゆみ 奥村家の遠祖は、近江国谷の庄に居住した武士・奥村三郎定道(生没年不詳)と伝えられています。 奥村三郎定道は小谷城の浅井家に仕えましたが、天正元年(1573年)八月の「姉川の合戦」で浅井家が滅亡したのち浪人となりました。 その子、奥村源六郎定次(生没享年不詳)は長男の奥村源子郎(生没享年不詳)を加賀/前田家に出仕させ摂津守定光と名乗り、「関ヶ原の合戦」で武功をたて加賀藩士となりました。...


★4-2|表具とは|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|
千家十職 ■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■ 表具とは ❚ まとめ ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 表具とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


4-1|奥村家歴代|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|
千家十職 ■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■ 奥村家|歴代 ❚ 奥村家|歴代一覧 ■ 奥村家|初代 ■ 奥村吉右衛門清定 ~おくむら・きちえもん・きよさだ~ 元和四年(1618年) ― 元禄十三年(1700年) 八十三歳 奥村定次の次男として生まれる。 正保三年(1646年)、京都へ上洛、承認へ転業。 承応三年(1654年)、母方の家職を継ぎ、表具屋業を開業。 屋号「近江屋吉兵衛」を名乗る。 ■ 奥村家|二代 ■ 奥村吉右衛門休意 ~おくむら・きちえもん・きゅうい~ 嘉永二十年(1643年) ― 享保四年(1719年) 七十七歳 奥村家初代/奥村吉右衛門清定の長男として生まれる。 紀州徳川家の表具御用達を務める。 元禄十一年(1698年)、表千家への出入りを許される。 以後、当主は「吉兵衛」を名乗る ■ 奥村家|三代 ■ 奥村吉右衛門休誠 ~おくむら・きちえもん・きゅうせい~ 寛文八年(1668年) ― 寛保三年(1743年) 七十六歳 奥村家二代/奥村吉右衛門休意の長男として生まれる。 ■ 奥村家|四代 ■ 奥村吉五郎 ~おくむら・きちごろう~


4-4|奥村家年表|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|
千家十職 ■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■ 奥村家|年表 ❚ 奥村家|年表 1618年 (元和四年) 奥村家初代/奥村吉右衛門清定生まれる★ 1643年 (嘉永二十年) 奥村家二代/奥村吉右衛門休意生まれる★ 1668年 (寛文八年) 奥村家三代/奥村吉右衛門休誠生まれる★ 1700年 (元禄十三年) 奥村家初代/奥村吉右衛門清定死去▼ 1719年 (享保四年) 奥村家二代/奥村吉右衛門休意死去▼ 1737年 (元文二年) 奥村家四代/奥村吉五郎生まれる★ 1743年 (寛保三年) 奥村家三代/奥村吉右衛門休誠死去▼ 1755年 (宝暦五年) 奥村家五代/奥村吉兵衛了誠生まれる★ 1780年 (安永九年) 奥村家六代/奥村吉兵衛休栄生まれる★ 1781年 (天明元年) 奥村家四代/奥村吉五郎死去▼ 1795年 (寛政七年) 奥村家七代/奥村吉次郎休音生まれる★ 1804年 (文化元年) 奥村家八代/奥村吉兵衛蕎庵生まれる★ 1825年 (文政八年) 奥村家五代/奥村吉兵衛了誠死去▼ 1837年 (天保八年) 奥村家七代/奥村吉次郎休音死去▼ 1


5-1|黒田家とは|黒田正玄|黒田家|竹細工・柄杓師|千家十職|
千家十職 ■ 黒田家|黒田正玄|竹細工・柄杓師 ■ 黒田家とは ❚ 黒田家とは 黒田家とは、千家十職の内の一家で竹細工を業とする職家。 黒田家の作品は、千家の美意識と茶の湯の機能美を兼ね備え、シンプルながらも洗練された造形が特徴で竹の質感や節の使い方に細心の注意を払い、一つひとつの道具に風格と趣を持たせています。 茶の湯の発展とともに技術を磨き、代々「千家好み」の竹細工を制作してきた黒田家の作品は、時代を越えて伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 茶の湯と竹 黒田家は茶杓、柄杓をはじめ台子、香合、花入など竹を用いた茶道具を製作する職家です。 千家十職の一つとして、代々その技術を継承し、茶の湯の美意識に即した作品づくりを続けてきました。 竹は古くから茶の湯において欠かせない素材であり、「わび茶」を完成させた武野紹鷗(1502-1555)は自ら竹の茶杓を削り、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)も「尺八」「園城寺(一重切)」「よなが(二重切)」などの竹花入を手がけ、「泪」「ゆがみ」などの茶杓を削っ



