top of page

4-1|奥村家とは|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|

千家十職



ree


■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■

奥村家とは






❚ 奥村家とは

奥村家とは、千家十職の内の一家で表具を業とする職家。


奥村家の表具は、茶室のしつらえを整えるために欠かせない存在です。

千家の美意識に基づいた意匠と技法によって制作され、掛軸の装飾だけでなく、書や絵の保存・保護の役割を果たし、茶会の趣を演出します。



茶の湯の発展とともに技術を磨き続けてきた奥村家は、時代を超えて伝統の技法を守りながら、千家好みの表具を作り続けています。

その作品は、簡素の中に品格を宿し、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。











❚ 奥村家のあゆみ

​​奥村家の遠祖は、近江国谷の庄に居住した武士・奥村三郎定道(生没年不詳)と伝えられています。

奥村三郎定道は小谷城の浅井家に仕えましたが、天正元年(1573年)八月の「姉川の合戦」で浅井家が滅亡したのち浪人となりました。



その子、奥村源六郎定次(生没享年不詳)は長男の奥村源子郎(生没享年不詳)を加賀/前田家に出仕させ摂津守定光と名乗り、「関ヶ原の合戦」で武功をたて加賀藩士となりました。

一方、次男の奥村家初代/吉右衛門清定(1618-1700)は武士を離れ、京都に上って「小川通上立売上ル」に住み、母方の家職を継いで表具師として独立。



​この吉右衛門清定が奥村家の初代とされ承応三年(1654年)の三十七歳の時に表具屋を開業したこの年が奥村家の創業の年としています。

また現在の地「釜座/夷川上ル亀屋町」の住まいは明治時代になってからとされています。






奥村家二代/奥村吉兵衛(休意)(1643-1719)は表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)の取りなしにより、紀州徳川家の御用達を努め、奥村家の基礎を確立。

その後、数代に渡り男子が夭折。跡取りには恵まれず、代々婿養子を郷里の北近江より迎え、家を継いでいます。


奥村家六代/奥村吉兵衛(休栄)(1795-1837)は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化。

奥村家八代/奥村吉兵衛(蒿庵)(1804-1867)は歴代の中でも最も名手といわれる一方、国学、儒学に通じ、尊皇攘夷派の学者や志士と深く交わりを持った人物とされる。しかし明治維新後の文明開化により茶道が衰退し、他の職家と共に奥村家も困難な時代を迎えることとなる。


その後、奥村家九代/奥村吉兵衛(1841-1908)は、この困難な時代に名跡を継ぎ、奥村家の建て直しに尽力。

以降も千家の信頼を受けながら、今日までその技と伝統を守り続けています。











商品カテゴリー
茶道具|中古道具市
bottom of page