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7-1|土田家とは|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|

千家十職



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■ 土田家|土田友湖|袋師 ■

土田家とは






❚ 土田家とは

土田家~つちだけ~とは、千家十職の内の一家で仕服(仕覆)などの袋物を業とする職家。

その千家十職の一つである土田家は、三千家御用達の「袋師」として「仕覆」「帛紗」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。​



土田家の仕覆は、茶器や茶道具を包み込むだけでなく、その美しさを引き立てる役割も果たします。

使用される裂地は、古くから伝わる名物裂をはじめ、時代ごとの美意識に即したものが選ばれ、一針一針丁寧に仕立てられます。仕覆の紐や結び方に至るまで、茶の湯のしつらえにふさわしい細やかな工夫が施され茶道具としての品格を高めています。



土田家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの袋物を代々にわたり制作してきました。

その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在として知られています。











❚ 土田家のあゆみ

土田家の祖先は江州(現在の滋賀県)蒲生郡土田村出身で侍の土田七大夫(生没年不詳)と伝えられています。後に初代彦根藩主/井伊兵部大輔直政(1561-1602)に仕官し、代々鉄砲組頭をめた家柄と伝えられています。


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土田家初代/土田友湖(1689-1765)は本来武士の家の跡取りであったが実母の早世により、継母の子である籐兵衛(生没年不詳)に家督を譲り、武士を廃業。その後、土田家初代/土田友湖は京に出て「越後屋半兵衛」と名乗り京都・上京で西陣の仲買を営んでいました。



やがて生来の器用さを生かし、近隣に住む亀岡家二代/亀岡二得(生没年不詳)の子である亀岡宗理(生年没不詳)のもとへ熱心に通い「袋物」の技術を学び、奥義・秘伝一切を伝授され、これを機に仲買人を辞め「袋師」として独立。









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❚ ​亀岡家

亀岡家の初代/亀岡二得(生没年不詳)は春日大社の田楽法師として京都・上京に住み、茶入袋(仕服)や袋物の名手として知られました。

千家開祖/千宗易利休(1522-1591)や細川三斎(1563-1646)にも愛され、多くの袋物を仕立てたと伝えられています。



その子である亀岡家二代/亀岡二得も孫の亀岡家三代/亀岡宗理も茶道に精通。

亀岡家三代/亀岡宗理は弟子の土田家初代/土田友湖に家業のすべてを譲り、袋師を廃業して伊勢国久居藩/籐堂家の茶頭となります。以後、亀岡家は久居藩の茶道頭を代々努めています。


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❚ 土田家の継承

土田家では土田家五代/土田友湖(1779-1825)までは主に茶入袋(仕服)を制作していましたが、その後は帛紗や角帯など、茶道で用いられる裂地や繊維関係の制作も手掛けるようになりました。

また土田家では二代目以降、当主の通称は「半四郎」とし、隠居して剃髪後に「友湖」を名乗る習慣が確立しました。


​土田家は、茶の湯に欠かせない袋物の技術を今に伝える職家として、千家の茶道具にふさわしい袋物を制作し続けています。

その伝統と技は、四百年を経た今日もなお、変わらず受け継がれています。











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茶道具|中古道具市
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