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  • 5-1|利休四規とは|第5回 利休四規|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第5回 利休四規 ■ 利休四規とは ❚ 利休が示す四語 本章では、 千利休* が茶道の本質を端的に表したとされる四つ語からなる精神的理念「利休四規」について、その本質と宗教的背景を紐解いていきます。 「利休四規」は、単なる茶の湯の作法や心得にとどまらず、人としての生き方や心のありようにも通じる深い哲学を内包しています。 各語の意味を正しく理解することによって、茶道が目指す精神的境地への洞察が一層深まることでしょう。 本章では、この「利休四規」の全体像と、そこに込められた思想的背景について詳しくご紹介いたします。 ❚ 利休四規とは? 「利休四規」とは、「和」「敬」「清」「寂」の四語から成る茶道の精神的指針であり、―― 利休四規七則** ――のうちの「四規」に該当します。 これらの四語は、利休が大成させた茶の湯の本質を簡潔に表すものとして千利休の名とともに今日まで語り継がれてきました。 ただし、「利休四規」という語そのものが利休の自筆や口伝として直接伝わっている史料は現存しておらず、後世の茶人たちが、利休の教えを象徴的に表現するものとして定着させていったと考えられています。 ​ 「和・敬・清・寂」は、単なる茶の湯の作法を超えて、人としての在り方や精神の姿勢に通じる哲学的理念であり、今日においても茶道の根幹をなす教えとして重んじられています。 ❚ 次回は・・・ 次回の「5-2|和敬清寂|05.利休四規」では、利休が説いた「和敬清寂」という四つの規範について、それぞれの言葉が持つ意味や、茶の湯における実践的意義について考察します。   登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年   用語解説 利休四規七則|りきゅうしきしちそく ……… 四規とあわせて後世に伝えられた七つの具体的実践則。四規が理念、七則が実践指針とされる。

  • 5-2|和敬清寂|第5回 利休四規|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第5回 利休四規 ■ 和 敬 清 寂 ❚ 利休四規 わ けい せい じゃく 和 敬 清 寂 和敬清寂の四つの語は、茶道の精神的な理念を端的に表したものであり、それぞれの意味を紐解くことで、 千利休* が大成した茶の湯の本質に近づくことができます。 以下に、利休四規を構成する各語の解釈についてご紹介します。 ​ ❚ 「和」 茶道において、亭主と客が一碗を介して心を通わせる 「一座建立**」 は、最も大切な理念の一つです。 「和」とは「やわらぐ」「なごむ」といった意味を持ち、以下のような要素が一体となることで、真の調和が生まれるとされています。 ❝ 亭主の「和」 道具の「和」 客人の「和」 相客との「和」 ❞ ​ 亭主の都合ではなく、客人にとって最も飲みやすい一服を考え点てること ――それが「和」の精神です。 抹茶の量や湯の加減を工夫し、一碗に心を込めることで、自然と茶席に調和が生まれます。 形式にとらわれず、亭主のもてなしの心が客人に伝わり、その心遣いが空間全体を和ませる ――そこに「和」の真髄があります。 ​ ​ ❚ 「敬」 「敬」とは、相手を敬い、自らを慎む心を指します。 茶道における「敬」は、単なる礼儀を超え、次のような広がりを持っています。 ❝ 相手への「敬」 道具への「敬」 自然への「敬」 ❞ 例えば、茶を点てるには、適切な湯加減が欠かせません。 そのためには、炭をただ決められた通りに置くのではなく、――どのように置けば湯が適切に湧くのか?―― を理解し、工夫することが大切です。 こうした心遣いは、決して形式的なものではなく、相手を思い、環境を整え、最善を尽くす。 ――その姿勢こそが、「敬」の精神なのです。 ​​ ​ ​ ❚ 「清」 「清」とは、外見の清らかさだけでなく、心の清らかさを意味します。 ❝ 自身の「清」らかさ 道具の「清」潔さ 心の「清」め ❞ 単に道具を清め、見た目を整えることではなく、――相手への思いやり(和)、敬う心(敬)――をもって、自らの心を清めることが大切です。 また、季節の移ろいに目を向け、自然から受ける恵みに感謝することも「清」の心だとされています。 この心を持つことで、茶の湯はただの作法ではなく、精神の修練の場となるのです。 ​​ ​ ​ ❚ 「寂」 「寂」とは、なにごとにも乱されることのない不動の心。 ❝ 自然と調和すること 時間の流れを受け入れること 相手と心を通わせること ❝ 「寂」とは、単に――静けさ――を表すものではなく、外の世界に惑わされることなく、常にどんな状況でも穏やかに、変わらぬ心を持ち続ける姿勢を指します。 茶の湯の場においても、日常の中でも、「和・敬・清」の精神を失わずに保ち続けることで、やがて「寂」の境地に至る。 ――それは、日々の修練と実践の積み重ねによって体得されるものです。 ​​ ​ ❚ 茶の湯とは 「和」「敬」「清」「寂」――これらの四つの心は、茶道の作法の中に息づく、「生きる姿勢」そのものです。 また「利休四規」は単なる茶の作法ではなく、人生そのものに通じる哲学的な理念であり、利休が説いた 「わび茶(草庵茶湯)**」 の根底には、この四つの精神が深く根付いてます。 茶の湯を通じて、互いに心を通わせ、自然と調和し、己を高めることこそが、「利休四規」の本質とされています。 ❚ 次回は・・・ 次回の「6-1|利休七則とは?|06.利休七則」では、千利休が茶の湯の理想として示した七つの心得について、その由来と意味を概観します。 利休が生涯をかけて追求した茶の精神が、どのような言葉として結実したのか、後世に与えた影響も含めて丁寧にご紹介します。   登場人物 千利休|せんりきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年   用語解説 一座建立|いちざこんりゅう ……… 亭主と客が一体となり、心を通わせる理想の茶会の状態。 わび茶(草庵茶湯)|わびちゃ ……… 利休が完成させた、簡素・静寂を重んじる茶の湯の様式。 無料ダウンロード 本ページにてご紹介いたしました「利休四規」をPDF資料としてまとめましたのでダウンロード後(無料)、お稽古やご自身の修練にご活用いただければ幸いです ◆無料ダウンロード資料をご利用いただく際の注意点◆ 1.はじめに ・本サイトにて掲載しております解説文章につきましては、サイト運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解ください。 2.個人利用の範囲内でご使用ください ・ダウンロードいただいた資料は、個人利用(学習・修練・お稽古場での利用など)の非営利目的に限りご利用いただけます。 ・本資料(文章、デザイン含む)の一部または全部を、許可なく転載、複製、加工、修正、販売することを固く禁じます。 3..内容の正確性について ・掲載情報には十分注意を払っておりますが、その内容の正確性や最新性は保証しておりません。 ・各流派や各文献によって、その解釈や文言、年代などの記載内容に差異が生じる場合があります。 ・本資料をご活用される場合は皆様が修練なさっています先生などにご確認の上、自己の責任においてご活用ください。 4..免責事項 ・通信環境やご利用の端末によっては、ダウンロードが正常に行えない場合や、データ破損、誤作動などが発生する可能性があります。 ・本資料のご利用によって生じた、いかなるトラブルや損害についても、当方は一切の責任を負いかねます。 5.同意 本資料をダウンロードいただいた時点で、上記の内容にご理解、ご同意いただいたものとさせていただきます。

  • 6-1|利休七則とは|第6回 利休七則|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第6回 利休七則 ■ 利休七則とは ❚ 最も難しいことは 本章では、 千利休* が茶道における心得 として示した七つの教えについて 紐解いていきます。 利休は、 ――最も簡単なことこそ、最も難しい―― と説き、日常の中にこそ茶の湯の精神が息づいていることを伝えました。 「利休七則」は、茶道に限らず、日々の暮らしにも通じる大切な心得とされています。 ​ それでは、「利休七則」について詳しくご紹介します。 ❚ 利休七則とは? 「利休七則」とは茶の湯の大成者である利休が遺したとされる、茶道の心得を七つの言葉にまとめた教えであり、 「利休四規七則**」 のうちの「七則」に該当します。 ❚ 利休と高弟の逸話 「​利休七則」の解説の前に、利休が茶の湯の心得について説いた逸話をご紹介します。 ​ ある時、高弟の一人が利休に――茶の湯で心得ておくべきものは何でしょうか?――と尋ねたところ利休は次のように答えました。 ​ ❞ 「茶ハイカニモ涼シキヤ(ヨ)ウニ、冬ハイカニモアタタカニ、​炭ハ湯ノワクヤ(ヨ)ウニ、茶ハ服ノヨキヤ(ヨ)ウニ、コレニテ秘事ハスミ候」 ​訳)……… 「茶は、夏はできるだけ涼しげに、冬はできるだけ暖かく点てなさい。炭は湯が適温で湧くようにくべ、茶は客が心地よく飲めるように点てること。これだけ守れば、茶道の奥義はすべて尽くされています。」 ❝ ​ この答えを聞いた高弟は驚き――そのような事は誰もが知っている事ではありませんか?――と告げると利休は静かにこう答えました。 ❞ 「では、あなたが私の言ったことにかなう茶ができたなら、本日より、私はあなたの弟子になりましょう」 ❝ ​ ​​後日、この話を聞いた利休の参禅の師である 大徳寺百十七世/古渓宗陳** は利休の答えに賛同しこう説きました。 ❞ 「誰にでもわかっていることですが、いざ実行するすることは大変難しいことです。」 ❝ ​ この逸話が物語るように、 ――最も簡単であることが、最も難しいことである―― という利休の教えは、茶道に限らず日常生活にも通じる深い心得となっています。 「利休七則」は、人を思いやる心、場への配慮、そして誠実な在り方を実践するための具体的な指針であり、今日においても多くの茶人に受け継がれる茶道の精神的支柱となっています。 ❚ 茶の湯はむずかしい 「利休七則」は、茶道における究極の心得でありながら、実行には深い思索と実践が必要とされる教えです。 一見すると誰にでも分かるような内容でありながら、実際に徹底するには高度な精神性と修練が求められます。 ――最も簡単なことこそ、最も難しい―― この言葉にこそ、利休の茶の湯の精神が凝縮されているのです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「6-2|利休七則|06.利休七則」では、「利休七則」の一つ一つに焦点をあて、茶席における具体的な実践や心構えを通して、その教えが現代にどう生きているかをご紹介します。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 古渓宗陳|こけいそうちん ……… 大徳寺第117世住持 用語解説 利休四規七則|りきゅうしきしちそく ……… 。

  • 6-2|利休七則|第6回 利休七則|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第6回 利休七則 ■ 利休七則 ❚ 利休七則 一、茶は服のよきように、 二、炭は湯の沸わくように、 三、夏は涼しく冬は暖かに、 四、花は野にあるように、 五、刻限は早めに、 六、降ふらずとも雨の用意、 七、相客に心せよ。 ❚ 一、 茶は服のよきように 茶を 点てる** 際、自分の点てやすいように点てるのではなく、客人にとっておいしい 一服** を点てることが大切です。 たとえどんなに素晴らしい道具を用いて、完璧な点前であったとしても、そこに ――客人においしい一服を差し上げたい―― という気持ちがなければ意味を成しません。 このように、客人の気持ちを考え、心をこめて茶を点てることが大切であり、客人もその亭主の心に感謝してお互いの心を通わせた時に「服のよき」一服が生まれると教えられています。 ❚ 二、 炭は湯の沸くように おいしい茶を点てるためには、適切な湯加減が大切です。 そのためには炭をただ決められた通りに置くだけではなく、 ――どのように置けばよりよく火が熾こるのか?―― 、 ――火の沸く時間はどれほどになるのか?―― などをよく理解して炭を置くこと大切です。 これもいざ実行に移すとなかなか難しいことであり、炭の扱いにも ――客人においしい一服を差し上げたい―― という心が大切さであると教えています。 ❚ 三、 夏は涼しく冬は暖かに 茶道では、季節の移ろいやその恵みに感謝する心を大切にします。 夏には 風炉** を、冬には 炉** を用い、また道具の取り合わせや、もてなす茶菓子などを工夫することで、涼しさや暖かさを演出し自然とともにある心を育てます。 茶室の設えや道具の取り合わせを工夫することで、客人に ――快適なひとときを提供する―― ことが重要であり、 万物** の事象と共に共存する大切さを教えています。 ❚ 四、 花は野にあるように 茶席に 生ける**「茶花**」 は自然に咲く花の本来の姿が最も美しいとされています。 茶席に飾る花は、過度な技巧は加えず、 ――花の持つ生命力―― と ――本来の美しさ―― を活かすことが重要です。 作り込まれた美ではなく、 ――自然のままの生命を生かし尊ぶこと―― の大切さを教えています。 ❚ 五、 刻限は早めに 茶道だけにかぎらず時間にゆとりを持って早めに準備をすすめることは、心に余裕を生み、その一会をよりよいものにする要素になります。 自らにゆとりがあれば、相手の時間にも心を配ることができ、その姿勢が一期一会の茶席をより豊かなものにしてくれます。 ――時を守ること―― は、その 一会** を尊ぶ心と深く結びついており、茶道は時を大切にすることの意義を私たちに教えてくれているのです。 ❚ 六、 降らずとも雨の用意 雨に備えて傘を用意するというたとえのように、何事においても準備を怠らず、あらゆる状況に対応できる心構えを持つことが大切です。 茶道においても、日頃の修練と心配りを欠かさず、常に万全の準備を整えることで、いかなる場面でも落ち着いて臨機応変に対応することができると教えられています。 ――たとえ雨が降らなくとも傘を持つ―― この教えは、日常のあらゆる出来事に備える姿勢の重要性を説いており、茶道の本質である ――心の備え―― と ――静かな対応力―― を象徴しています。 ❚ 七、 相客に心せよ 茶席では 亭主** と客人の関係だけでなく、となりの 相客** 同士の心遣いも大切な要素です。 互いに尊重し、思いやる心を持つことは 一期一会** の精神と深く結びついています。 茶道に限らず、日常生活においてもお互いが相手を思いやる心があれば、おのずと素晴らしい時間が訪れるということを教えています。 ❚ 人生を豊かに整える 「利休七則」は、単なる茶道の作法ではなく、人生の在り方そのものを示す実践的な教えです。 それはすべて ――相手を思いやること―― から始まり、やがて ――己を律し、心を尽くすこと―― へとつながっていきます。 ――最も簡単なことこそ、最も難しい―― 茶の湯を通して、私たち自身の生き方を見つめ直す機会が与えられているのです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-1|利休百首とは?|07.利休百首」では、千利休が茶の湯の心得として詠んだとされる短歌百首の全体像を概観し、その成立背景や構成、伝承の経緯について詳しくご紹介します。 利休が茶人たちに伝えようとした精神や日々の修練の要点が、どのような言葉で表現されているのか、その入口としての理解を深めていきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年   用語解説 点てる ……… 一服 ……… 生ける ……… 茶花 ……… 風炉 ……… 炉 ……… 万物 ……… 亭主 ……… 相客 ……… 茶席に共に招かれた他の客人。共に一座を築く存在であり、互いに心を通わせることが理想とされる。 一期一会 ……… 無料ダウンロード 本ページにてご紹介いたしました「利休七則」をPDF資料としてまとめましたのでダウンロード後(無料)、お稽古やご自身の修練にご活用いただければ幸いです ◆無料ダウンロード資料をご利用いただく際の注意点◆ 1.はじめに ・本サイトにて掲載しております解説文章につきましては、サイト運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解ください。 2.個人利用の範囲内でご使用ください ・ダウンロードいただいた資料は、個人利用(学習・修練・お稽古場での利用など)の非営利目的に限りご利用いただけます。 ・本資料(文章、デザイン含む)の一部または全部を、許可なく転載、複製、加工、修正、販売することを固く禁じます。 3..内容の正確性について ・掲載情報には十分注意を払っておりますが、その内容の正確性や最新性は保証しておりません。 ・各流派や各文献によって、その解釈や文言、年代などの記載内容に差異が生じる場合があります。 ・本資料をご活用される場合は皆様が修練なさっています先生などにご確認の上、自己の責任においてご活用ください。 4..免責事項 ・通信環境やご利用の端末によっては、ダウンロードが正常に行えない場合や、データ破損、誤作動などが発生する可能性があります。 ・本資料のご利用によって生じた、いかなるトラブルや損害についても、当方は一切の責任を負いかねます。 5.同意 本資料をダウンロードいただいた時点で、上記の内容にご理解、ご同意いただいたものとさせていただきます。

  • 7-1|利休百首とは|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 利休百首とは ❚ 茶道を文字から学ぶ 「利休百首」では、 千利休* の茶道の精神や作法の心得を唱えた――利休百首――をご紹介します。 茶道の教えをわかりやすく伝えるために、利休の思想を――三十一文字――の 和歌** として百首にまとめた「利休百首」は、茶の湯の修練者にとって重要な指針となっています。 その内容を紐解くことで、利休の教えがより身近なものとなるでしょう。 ​ ❚ 利休百首とは? 「 利休百首」または「利休道歌」と呼ばれるこの和歌集は、利休が――茶道の精神――や――作法の心得――を茶の湯の修練者にわかりやすく伝えるために一句三十一文字の和歌にまとめたものです。 ​しかし「利休百首(利休道歌)」のすべての首が利休の作であると断言できる史料はなく、今日に伝わる「利休百首(利休道歌)」は 裏千家十一代/玄々斎精中宗室* が整理・編集し、体系化したものとされています。 また、「利休百首」と同様に以下の茶人たちも茶の教えを和歌形式で後世に伝えています。 ❝ ・武野紹鴎* による『紹鴎茶湯百首』 ・片桐石州* による『石州三百箇条』 ・小堀遠州* による『遠州茶湯百首』 ❞ ❚ 法護普須磨 (反古襖) 裏千家十一代/玄々斎精中宗室は 裏千家** / 今日庵** にある茶室 『咄々斎**』 の 茶道口** にあたり、 大炉の間との境の半間の襖四枚に、 点前作法の種別や道具の扱いについて自筆で書き詰めました。 この襖には――利休居士教諭百首歌――と題して百首を記し、終わりには以下の自身の和歌を添えています。 ​ ❞ 『以心伝心教外別伝不立文字 拍は鳴る敲は響く鉦の躰』 訳) 教えとは、心で伝えるもので、言葉や文字ではない、この身は、拍てば鳴り、敲(たた)けば響く鐘のようなものである。 ❝ ​ そして――於 抛筌斎** 不忘宗室** ――と署名を加えています。 なおこの襖は 「法護普須磨 (反古襖)**」 と 称され、今日も大切に保存されています。 ​​ ​ ❚ 利休からの伝言 「利休百首」は、利休の精神を後世に伝えるために整えられた和歌形式の教えです。 その成立には玄々斎の尽力があり、実際の内容は江戸後期の茶道観も色濃く反映されています。 それでもなお、 ――心を尽くす―― 、 ――日々の修練を怠らぬ―― など、利休の本意を感じさせる一首一首は、今日の茶人にも大きな示唆を与えています。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-2|一首~十九首|07.利休百首」では、利休百首の第1首から第19首までの歌をひとつひとつ読み解きながら、そこに込められた教訓や利休の美意識を紹介していきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 玄々斎精中宗室|げんげんさいせいちゅうそうしつ ……… 。 武野紹鴎|たけの・じょうおう ……… 。 片桐石州|かたぎり・せきしゅう ……… 。 小堀遠州|こぼり・えんしゅう ……… 。    用語解説 裏千家|うらせんけ ……… 。 今日庵|こんにちあん ……… 。 咄々斎|とつとつさい ……… 。 茶道口|さどうぐち ……… 。 抛筌斎|ほうせんさい ……… 。 不忘宗室|ふぼうそうしつ ……… 。 法護普須磨|ほごふすま ……… 反古襖とも。

  • 7-2|一首 ~ 十九首|第7回 利休百首|千宗易利休

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 一首 ~ 十九首 ❚ はじまりの一首へ 本項では、茶道の大成者である千利休が弟子たちに遺した教訓歌集「利休百首」より、第1首から第19首までを取り上げ、それぞれの歌が持つ意味と背景を丁寧に読み解いてまいります。 これらの和歌には、茶の湯を学ぶ上で最も大切な心構えや稽古の姿勢、さらには道具の扱いに至るまで、利休が伝えたかった基本精神が凝縮されています。 一つひとつの言葉に込められた教えから、現代に生きる私たちが今なお学ぶべき――茶道のこころ――を紐解いていきましょう。 ❚ 一首 ~ 九首 一首、 その道に入らんと思う心こそ我身ながらの師匠なりけれ 何事でもその道に入りそれを学ぶにはまず志を立てねばならない。自発的に習ってみようという気持ちがあれば、その人自身の心の中にもうすでに立派な師匠ができている。 二首、 ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚かなりけり 批評するなら先ずその対象になるものに自ら入り込まねばならない。口先だけの批評では人は納得しない。 三首、 こころざし深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる 熱心な弟子には親切な師匠であるべき。実の子に教えるが如く憐れみ深く細々と教えなさい。 四首、 はぢを捨て人に物問ひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける 知らない事を恥と思わず、師匠や先輩に質問しなさい。一度のチャンスを逃し、知らないままなのは大きな損失となり、反対に一時の恥ずかしさを我慢すれば一生の得となる。 五首、 上手には好きと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる 名人上手になる為には、「好きであること」、「器用であること」、最後に「たゆまぬ研さん (修行)」である。 六首、 点前には弱みをすててただ強く されど風俗いやしきを去れ 点前は力が弱すぎてもいけないし、力が入りすぎてもぎこちない。 「気持ちは弱く、動作は強く」と考え、弱くも強くもない中庸を得た点前が良い。 七首、 点前には強みばかりを思ふなよ 強きは弱く軽く重かれ 軽い道具を扱う時は重い道具を持つ気持ちで、重い道具を扱う時は軽い道具を持つ気持ちで。 八首、 何にても道具扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれり 道具を置いてその手を離す時はすぐに引くのではなく、ゆっくりと離しなさい。 「置く手重かれ」とはこのことを指しています。 九首、 点前こそ薄茶にあれと聞くものを 麁相になせし人はあやまり 点前の巧拙は運びの平点前の薄茶で最もよく現れる。薄茶の点前がしっかり出来ないのでは、濃茶も練られないはず。何事も基本がもっとも大切です。 ❚ 十首~十九首 十首、 濃茶には手前を捨てて一筋に 服の加減と息をもらすな 濃茶は服加減が第一である。加減良く濃茶を練る事に専念し、点前の上手下手を重要視してはいけない。腹に力を入れ呼吸を整えることを心得なさい。 十一首、 濃茶には湯加減あつく服は尚ほ 泡なきやうにかたまりもなく 濃茶は湯加減が大切。湯は熱いほうがよく、茶碗は茶を入れる前に よく拭き、初めに十分練りなさい。泡やダマがある内は練られた茶と湯がよく溶け合っていないのです。 十二首、 とにかくに服の加減を覚ゆるは 濃茶たびたび点てて能く知れ 濃茶を加減良く練るには何度も繰り返し練習し経験を積むこと必要があります。 ​ 十三首、 よそにては茶を汲みて後茶杓にて 茶碗のふちを心してうて 茶杓で茶碗の縁を打つ時に限らず、茶筅通しや茶碗を拭く時もよくよく十分注意して扱いなさい 十四首、 中継は胴を横手にかきて取れ 茶杓は直におくものぞかし 中継(中次)は蓋が深いので棗のように蓋の上から持てないので、胴の横に手をかけて扱い、蓋上は平面のため、茶杓はまっすぐに置きなさい。 十五首、 棗には蓋半月に手をかけて 茶杓を円く置くとこそしれ 軽い道具を扱う時は重い道具を持つ気持ちで、重い道具を扱う時は軽い道具を持つ気持ちで。 十六首、 薄茶入蒔絵彫物文字あらば 順逆覚え扱ふと知れ 薄茶入で蒔絵、彫物、文字などがある時は棗の表裏や蓋と胴の合口をよく見定めるように注意すること。 十七首、 肩衝は中次とまた同じこと 底に指をばかけぬとぞ知れ 肩衝を持って清めの同拭きする時は中次を持つ時のように、胴の横から持ち、底に指をかけないように。 十八首、 文琳や茄子丸壺大海は 底に指をばかけてこそ持て 重い水指などを持ち上げる時は手軽に持ち、置いた手を離す時は恋人に別れを告げるように。 十九首、 大海をあしらふ時は大指を 肩にかけるぞ習ひなりける 大海茶入の扱いは「平棗扱い」にするが、その時に左手の親指を他の指からはなし茶入の肩にかけて扱う。 ❚ 稽古の道しるべとして 第1首から第19首までの和歌は、茶の湯の基本に立ち返り、自らの志を持って学び続けることの大切さを教えています。 師から弟子へと受け継がれる稽古の姿勢や、道具に対する丁寧な向き合い方、そして一挙手一投足に宿る心のありようが、やさしくも厳然とした言葉で説かれています。 茶道は、ただ作法を覚えるだけではなく、その奥にある精神を理解し実践してこそ深まるもの。 これらの教えを日々の稽古の中で意識し、自らの茶の湯を高めていきたいものです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-3|三十首 ~ 四十九首|07.利休百首」では、茶室での動作や細部に宿る心遣い、そして客人を思いやる作法の在り方に焦点を当てた歌々を取り上げてまいります。 点前の技巧に留まらず、茶席全体をととのえるための所作や心得に、利休が込めた精神を読み解いていきましょう。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 用語解説 点前|てまえ ……… 茶を点てるための一連の所作や手順。 濃茶|こいちゃ ……… 抹茶を多く用いて濃く練り上げたお茶。格式の高い茶会で用いられる。 薄茶|うすちゃ ……… 抹茶を少なめの湯で点てるお茶。軽やかで親しみやすい。 棗|なつめ ……… 抹茶を入れる蓋付きの器。主に薄茶に用いる。 中次|なかつぎ ……… 濃茶器の一種で、棗よりも蓋が深く胴の膨らみが少ない。 大海|たいかい ……… 大ぶりな濃茶器の一種。口が広く、他の茶入と扱いが異なる。 肩衝|かたつき ……… 肩が張った形の濃茶器。格が高く、名物として扱われることもある。 茶杓|ちゃしゃく ……… 抹茶をすくうための竹製の匙。 茶筅・茶筌|ちゃせん・ちゃせん ……… 茶を点てるために使う竹製の道具。

  • 7-3|二十首 ~ 三十九首|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 二十首 ~ 三十九首 ❚ 道具に学ぶ、美の作法 本項では、千利休が遺した教訓歌集「利休百首」の中から、第20首から第39首までを取り上げ、それぞれの歌が持つ意味と背景を丁寧に読み解いてまいります。 これらの和歌には、炭点前や灰形、道具の扱い方といった実務的な技術のみならず、それらを支える美意識や心得までもが端的な表現で詠み込まれています。 茶の湯において、道具は単なる道具ではなく、精神を映す存在です。 利休の言葉に耳を傾けながら、道具と向き合う所作の意味と、その奥にある心のかたちを、あらためて見つめてまいりましょう。 ❚ 二十首 ~ 二十九首 二十、 口ひろき茶入れの茶をば汲むといふ 狭き口をばすくふとぞいふ 大海、鮟鱇などの口の広い茶入からは汲む、その他の茶入の茶はすくうという気持ちで。 二十一、 筒茶碗深き底よりふき上り 重ねて内へ手をやらぬもの 指や手先が茶碗の内部に触れて汚れてしまわないように、筒茶碗を拭くときは先ず底を拭き、その後に縁を拭きなさい。 二十二、 乾きたる茶巾使はば湯はすこし こぼし残してあしらふぞよき 茶巾の湿りが少ないときには茶筅通しの湯を捨てるときに、底に少し残しておくというように、臨機応変で点前をしましょうという心得。 二十三、 炭置くはたとへ習ひにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり 炭手前では、少々形が悪くても、よく湯がたぎるように炭をつぐことが大切です。 二十四、 客になり炭つぐならばそのたびに 薫物などはくべぬことなり 客は亭主に所望され炭をつぐ際は絶対に香をくべないように。香をくべるのは亭主の役割です。 二十五、 炭つがば五徳はさむな十文字 縁をきらすな釣合をみよ 炭をつぐときは五徳を挟むと風通りが悪くなり見た目も見苦しい。炭と炭の縁を切れば(隙間が空いたら)火のめぐりが悪くなるのでしないように。 二十六、 焚え残る白灰あらば捨ておきて また余の炭を置くものぞかし 初炭に用いた枝炭が残っているのであれば、景色としてそのままにしておきましょう。 二十七、 炭おくも習ひばかりにかかはりて 湯のたぎらざる炭は消え炭 炭は下火の多少などによって置き方や数を変えなければならないので、教えられた通りに置いても火がおこらない場合もある。そのため炭は、自分の判断で火がおこるように置いても良いのです。 二十八、 崩れたるその白灰をとりあげて 又たきそへることはなきなり 枝炭は置くときにくずれてしまったり、また燃え残っても置き直さないでそれを景色とし、そこに新しい枝炭をつぎなさい。 二十九、 風炉の炭見ることはなし見ぬとても 見ぬこそ猶も見る心なれ 風炉の場合、美しくされた灰形が崩れるようなことをしないために初炭では拝見はしないこと。しかし、亭主の火箸から炭のつがれ方を想像し慎みましょう。そして実際の拝見は後炭の時にするように。 ❚ 三十首 ~ 三十九首 三十、 客になり底取るならばいつにても 囲炉裏の角を崩し尽すな 炉で廻り炭(七事式)をする場合、札の取り方で、客が亭主の役目をしなければならないことになる。その際、火のめぐりが悪くなるので囲炉裏の四隅の灰を崩さないように。 三十一、 客になり風炉の其うち見る時に 灰崩れなん気づかひをせよ 風炉の灰はとても扱いが難しく、灰形をつくるのは大変手間のかかるものです。客は亭主のそんな苦労を察して、風炉を拝見するときは静かに控えめに心配りをしましょう。 三十二、 墨蹟をかける時にはたくぼくを 末座の方へ大方はひけ 高僧が禅語を書いた掛物である「墨蹟」を床にかける際、啄木(掛物の掛緒と巻き緒)を必ず下座の方に引いておきましょう。 三十三、 絵の物を掛る時にはたくぼくを 印ある方へ引きおくもよし 絵の掛物を茶室にかける際は、啄木(掛物の掛緒と巻き緒)を筆者の印のある方へ引いておいてもよい。 三十四、 冬の釜囲炉裏ふちより六七分 高くすえるぞ習ひなりける 炉縁の表面から釜の口が六、七分(約2㎝)の高さで釜を据えると、柄杓を釜にあずけたときに柄と畳の間に空間ができるため、柄杓が楽に取れ扱いやすくなるのです。 三十五、 絵掛けものひだり右向きむかふむき 使ふも床の勝手にぞよる 茶室の床に人物画をかけるときは、向かって左向きの画はその人物の背が勝手付になるように掛けなさい。床によって掛けるものを選びましょう。 三十六、 姥口は囲炉裏縁より六七分 低くすえるぞ習ひなりける 姥口の釜の場合は胴全体より低いところに口があるため、胴の上部に柄杓をかけます。そのため、炉縁より六、七分(約2㎝)低く釜を据えなさい。 三十七、 品々の釜によりての名は多し 釜の総名鑵子とぞいふ 釜は形やその他の理由から様々な名称があり、各流宗匠の好み釜も含めると多数存在します。しかしそれらを総称し鑵子と言うのです。 三十八、 置き合せ心をつけて見るぞかし 袋は縫目畳目に置け 茶の湯の点前中、道具の置き合わせに注意せよ。しかしこの置き合わせは非常に難しいので、形にとらわれず袋の縫い目を畳の目に合わせて置きなさい。 三十九、 運び点て水指置くは横畳 二つ割にて真ん中に置け 運び点てで水指を置く位置は畳の横幅を二つ割り(横幅の4分の1)にした中央に置く。 ❚ 用の美と、心のかたち 第20首から第39首にかけては、茶道具の取り扱いや炭・灰といった点前の実務に関する細かな技法が数多く詠まれています。 しかしそれらは単なる手順ではなく、場をととのえ、客をもてなすために欠かせない――用の美――のあり方を教えてくれています。 細部にまで心を配り、形だけではなく精神の深みをもって行われる茶の湯の所作。 そこに宿る利休の教えを、稽古のなかで確かに受け取り、日々の一服に息づかせていきたいものです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-4|四十首~五十九首|07.利休百首」では、茶室における立ち居振る舞いや、亭主と客との心のやり取り、さらに道具の格や扱いの心得といった「座の設え」に関わる教えを読み解いていきます。 茶の湯における空間と関係性を深く見つめることで、利休が求めた一座建立の精神にふれてまいります。    登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 用語解説 筒茶碗|つつちゃわん ……… 背の高い筒状の茶碗。冬に使われることが多い。 茶巾|ちゃきん ……… 茶碗を清めるための布。湿り具合によって使い方が変わる。 炭点前|すみでまえ ……… 湯を沸かすために炭をつぐ所作のこと。炭の美しい配置も重視される。 灰形|はいがた ……… 炭を美しく配置するために整えられた灰の形。美的意識の象徴。 五徳|ごとく ……… 炭を支える金属の台。炭の配置においては風通しと見た目の美しさが求められる。 風炉|ふろ ……… 釜を据える炉の一種で、主に夏場に用いられる。 囲炉裏|いろり ……… 炉を構える場所。灰を整える際の扱いにも決まりがある。 啄木|たくぼく ……… 掛物の巻緒を留める木片のこと。掛物の左右の向きに注意する際の指標。 墨蹟|ぼくせき ……… 禅僧の筆による書。床の間に掛けられ、精神性を象徴する。 姥口|うばぐち ……… 口の位置が胴体より低い釜の形式。 鑵子|かんす ……… 茶の湯における「釜」の総称。 運び点前|はこびてまえ ……… 棚を使わず道具を運んで点前する形式。 ​

  • 7-4|四十首 ~ 五十九首|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 四十首 ~ 五十九首 ❚ もてなしに宿る心のかたち 本項では、千利休がが遺した「利休百首」の中から、第40首から第59首までを取り上げ、 それぞれの歌が持つ意味と背景を丁寧に読み解いてまいります。 ここでは、点前の細かな所作や客へのもてなしの態度など、亭主のふるまいにおける心配りが詠まれています。 利休の教えを通じて、一期一会の茶会に臨む心得を学びましょう。 ❚ 四十首 ~ 四十九首 四十、 茶入又茶筅のかねをよくも知れ あとに残せる道具目当に 茶入や茶筅を元の位置に戻す時は、他の道具を目当てに置きなさい。 四十一、  何にても置き付けかへる手離れは 恋しき人わかるると知れ 重い水指などを持ち上げる時は手軽に持ち、置いた手を離す時は恋人に別れを告げるように。 四十二、 余所などへ花を贈らば其花は 開きすぎしはやらぬものなり 他へ花を贈る時には、未来に楽しめる花(未開花)を贈るべきである。 四十三、  水指に手桶出さば手は横に 前の蓋取り先に重ねよ 手桶水指の場合、手を横一文字に定座に置き、蓋(割蓋)は両手で前を取り、向こうの蓋に重ねて置きなさい。 四十四、 釣瓶こそ手は竪におけ蓋取らば 釜に近づく方と知るべし 釣瓶(利休好木地)の場合、手を縦にして置き、釜に近い方の蓋を取り、向こうの蓋に重ねる。 四十五、  小板にて濃茶を点てるば茶巾をば 小板の端に置くものぞかし 風炉の板敷を使う濃茶の点前のときは茶巾を右前角に置きなさい。 (利休時代の点前) 四十六、 掛物の釘打つならば大輪より 九分下げて打て釘も九分なり 掛物の釘を打つときは、大輪(天井の回り縁)より九分(約27㎜)下の壁に打ち、竹釘の皮の面を上にしてやや斜め上向きにやはり九分の長さを残して打ちなさい。 四十七、 喚鐘は大と小とに中々に大と五つの数を打つなり 喚鐘は大小中中大と打ちなさい。銅鑼は大小大小中中大である。 四十八、 茶入より茶掬ふには心得て 初中後すくへそれが秘事也 茶入より茶すくうには初めは少し、二杓目は少し多め、三杓目はたくさん入れなさい。これは三度とも同じ量ではおもしろくないという教えで、濃茶を練るときもこのことに注意しなさい。 四十九、 湯を汲むは柄杓に心つきの輪の そこねぬやうに覚悟してくむ 湯を汲むときは、柄杓の合(湯を汲む円筒状の部分)と柄とがつなぎ合ったところ「月の輪」がゆるまない様に注意して汲みなさい。 ❚ 五十首 ~ 五十九首 五十、 柄杓にて湯をくむ時の習には 三つの心得あるものぞかし 風炉の柄杓の扱いには三つの心得がある。 一、十分目まで汲まず、九分目まで汲む。 二、湯は底から、水は中程を汲む。 三、「油柄杓(だんだん上にあがる)」をしないように。 五十一、 湯を汲みて茶碗に入るる其時の 柄杓のねぢは肱よりぞする 湯を汲んで茶碗に入れる時は手首を回すのではなく、肘から回しなさい。こうすることで柄杓の合が安定し湯がこぼれにくく自然と茶碗に入るのです。 五十二、 柄杓にて白湯と水とを汲むときは 汲むと思はじ持つと思はじ 湯や水を汲もう、または柄杓を持とうと思うと手先に気をとられてしまう。手先よりひじを意識しなさい。 五十三、 茶を振るは手先を振ると思ふなよ 臂よりふれよそれが秘事なり 薄茶を点てる時は手先だけで振ると思わずに、ひじから振ると思いなさい。そうすることで茶筅が自然と動き、茶がよく練れ、よく点つのです。 五十四、 床にまた和歌の類をば掛るなら 外に歌書をば荘らぬと知れ 床に和歌を掛けるならば歌書を飾らないというように、道具の取り合わせはなるべく重複を避けなさい。 五十五、 外題あるものを余所にて見るときは 先づ外題をば見せて披けよ 由緒のある掛物、天皇の書かれた物等を床に掛ける時は特別な作法により、掛物を巻いたまま床に飾り、まずは外題をよく拝見してから亭主に床に掛けてもらいましょう。 五十六、 羽箒は風炉に右羽よ炉の時は 左羽をば使ふとぞ知る 風炉は「陽」なので「陰」の右羽、炉は「陰」なので「陽」の左羽を使いなさい。 風炉は上にあるから「陽」、炉は下にあるので「陰」になり、左は「陽」で右は「陰」となる。 五十七、 名物の茶碗出でたる茶の湯には 少し心得かはるとぞ知れ 名物の茶碗や由緒のある茶碗を扱う時は、常の茶碗の扱いと変えなければいけない。 茶碗を直接畳の上には置かず、古帛紗にのせて扱い、拝見の際も深くもっとも低い位置で行うこと。 五十八、 暁は数寄屋のうちも行燈に夜会等には短檠を置け 暁(暁の茶事)は「陽」なので行燈の「陰」、夜会(夜咄の茶事)は「陰」なので短檠の「陽」を使いなさい。 五十九、 燈火に油をつがば多くつげ 客にあかざる心得と知れ 客への配慮として、夜咄の茶事では、燈心(芯)は長いものを用い油皿にも油をなみなみついで明るさをたもち、夜が更けても客にゆっくりとどまってもらうようにしなさい。真のもてなしにはこのような心得が大切。 ❚ 一期一会を生きる 第40首から第59首の歌には、亭主としての心構えや、点前の中で発揮される細やかな気配りが詠まれています。 それらは単なる動作の説明ではなく、すべてが「一期一会」の精神に通じています。 目に見えないところにこそ真のもてなしが宿るという利休の教えは、今日に生きる私たちにもなお深い示唆を与えてくれます。 形式ではなく、心を尽くす。その姿勢を忘れず、日々の茶の湯に生かしていきたいものです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-5|六十首~七十九首|07.利休百首」では、茶室の設えや書院飾り、さらには道具の格とその扱い方など、茶会全体を整えるための美意識と心得についての教えを読み解いていきます。 利休が追求した「空間の美」「格の美」とは何か、その本質を探っていきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年    用語解説 手桶水指|ておけみずさし ……… 。 釣瓶水指|つるべみずさし ……… 。 小板|こいた ……… 点前の際、道具を置くための小さな板敷。 大輪|たいわ ……… 天井の回り縁のこと。掛物の釘を打つ基準となる。 喚鐘|かんしょう ……… 客の入退室や合図に用いる小さな鐘。打ち方に作法がある。 月の輪|つきのわ ……… 柄杓の柄と合の接続部。緩みやすく注意を要する。 油柄杓|あぶらひしゃく ……… 柄杓を高く持ち上げて湯を注ぐ様子を指す。避けるべき振る舞いとされる。 古帛紗|こぶくさ ……… 茶碗や茶入などを扱う際に用いる小型の布。拝見時に名物道具を載せるために使う。 外題|げだい ……… 掛物などの巻物に添えられる題名や書名。拝見時の作法に関わる。 羽箒|はぼうき ……… 風炉や炉の灰を整える際に使う道具で、左右の羽の使い分けがある。 行燈|あんどん ……… 茶室を照らす灯具。時刻や趣向によって使い分ける。 短檠|たんけい ……… 。 夜咄|よばなし ……… 暁の茶事:それぞれ夜・早朝に催される茶事。設えや灯りに特色がある。 羽箒|はぼうき ……… 茶室の炉や風炉の灰を整える道具。羽の左右によって陰陽の意味がある。

  • 7-5|六十首 ~ 七十九首|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 六十首 ~ 七十九首 ❚ 感性をととのえる美の所作 本項では、千利休が遺した「利休百首」の中から、第60首から第79首までを取り上げ、 それぞれの歌が持つ意味と背景を丁寧に読み解いてまいります。 ここに詠まれるのは、道具の選定、花や掛物の取り合わせ、稽古の繰り返しに宿る心構えなど、茶会全体を美しく整えるための審美眼と感性です。 利休の言葉を手がかりに、自然との調和と時宜にかなった設えを通じて、茶の湯における美意識を深めていきましょう。 ❚ 六十首 ~ 六十九首 六十、 ともしびに陰と陽との二つあり あかつき陰によひは陽なり 茶の湯では、陰と陽の関係を大切にします。道具は水に縁のあるものは陰、茶入のようなものは陽と定められている。灯火にも陰と陽の区別があり、時刻も陰と陽とに分けて、陰と陽の二種の灯りをあわ せます。 六十一、 いにしへは夜会等には床の内 掛物花はなしとこそきけ 利休居士以前の夜の茶会には掛物・花は用いなかった。 六十二、 炉のうちは炭斗瓢柄の火箸 陶器香合ねり香としれ 炉の時、炭斗は瓢、柄付の火箸、陶器の香合、練香を用いなさい。 六十三、  いにしへは名物等の香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく 名物などの良い香合の場合、汚したり、傷つけたりしないように下に青葉や紙等を敷いて香をのせなさい。 六十四、 風炉の時炭は菜籠にかね火箸 塗り香合に白檀をたけ 風炉の時、炭は菜籠(炭斗)に入れ、金属製の火箸、塗物の香合、白檀を用いなさい。 六十五、  蓋置きに三つ足あらば一つ足 前に使ふと心得ておけ 三本足の蓋置の場合、一本足または一つだけ他とは違うものを前に。 六十六、 二畳台三畳台の水指は 先づ九ツ目に置くが法也 台目畳の時、まず水指は客付の畳の縁から数えて九つ目に置くこと。 六十七、 茶巾をば長み布幅一尺に 横は五寸のかね尺と知れ 茶巾は長さ1尺(約30cm)、横幅は五寸(約15cm)。 六十八、 帛紗をば竪は九寸よこ巾は 八寸八分曲尺にせよ 帛紗は縦(わさ)は九寸(約27cm)、横幅は八寸八分(約26cm) 六十九、 うす板は床かまちより十七目または十八十九目に置け 薄板は床框から奥へ、畳目で十七目から十八目、または十九目に置くこと ❚ 七十首 ~ 七十九首 七十、 うす板は床の大小また花や花生によりかはるしなしな 花入を置く位置は薄板の位置によって定まり、その位置は床の大きさや花、花入の種類によって異なる。いかに花と花入の映りを美しくするかが重要である 七十一、  花入の折釘打つは地敷居より 三尺三寸五分余もあり 床の大/小によって多少の違いはあるが地床正面の壁中央に打つのでこれを中釘(たいていは無双釘)ともいう。台目床のようなに小さい床の場、合敷居(床かまち)から、三尺三寸五分(約1m)の高さに打ちなさい。 七十二、 花入に大小あらば見合せよ かねをはずして打つがかねなり 花入の大/小、床の高/低・大/小により、柱や壁に打つ釘の位置は変わるものであり、変えなくてならないものでもある 七十三、 竹釘は皮目を上に打つぞかし 皮目を下になすこともあり 竹釘は皮目を上に打つのが原則であるが、皮目を下にする方が便利なこともあります。 七十四、 三つ釘は中の釘より両脇と 二つわりなる真ん中に打て 両横の二本の釘を打つ位置は、中央の釘から床の右端までの中央、同様に床の左端までの中央に打つ。大横物を掛けるときは、掛け緒は中央を掛け、次ぎに左、そして右と掛け、最後に中央をはずす。 七十五、 三幅の軸をかけるは中をかけ軸先をかけ次は軸もと 三幅対の軸をかける時は、まずは中央を掛け、軸先(下座)、軸元(上座)をを掛ける。 七十六、 掛物を掛けて置くには壁付を 三四分すかしおく事ときく 掛物を掛ける時は掛物や壁を損じてしまわないように壁付より三、四分(約1cm)すかしておくこと。 七十七、 花見よりかへりの人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花も置くまじ 花見から帰ってきたという客人を自身の茶会に招く時には花や鳥の絵や花を入れても客人は面白くない。 七十八、 時ならず客の来らば点前をば 心は草にわざをつつしめ 不時の来客の場合はご馳走を準備する時間もありませんがせめて点前だけは十分慎んで丁寧に接っしなさい 七十九、 釣船はくさりの長さ床により出船入船浮船と知れ 舟形の花入を吊るにはその鎖の長さ、床の都合で、出船としたり入船としたり、または浮き舟としたりしなさい。舳先を床中心に向けることを「入船」といい、反対に、艫を床の中心に向けると「出船」になる。「浮き船」は、天井から鎖でつらず、床の上に鎖をたばね、小さな錨を置き、花入をそれにもたれかけさせましょう。 ❚ 茶人の眼と心 第60首から第79首の和歌には、亭主の審美眼や場をととのえる力がいかに重要であるかが説かれています。 道具の選び方、設えの細部にまで込める配慮、花の扱いや掛物の高さに至るまで――すべてに、亭主の感性と心の在り方が問われています。 日々の稽古で積み上げた所作に美しさが宿り、心を澄ませて選び抜いた設えが客人の心を打つ。 そのような茶人の在り方にこそ、利休が示した理想の茶があるのかもしれません。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-6|八十首~百二首|07.利休百首」では、「利休百首」の最終章として、茶の湯における心構えや人としての生き方にまでおよぶ教えをたどっていきます。 茶の湯を通して利休が後世に伝えたかった「生きる姿勢」とは何か――締めくくりにふさわしい珠玉の言葉を味わっていきましょう。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 用語解説 陰陽|いんよう ……… 茶の湯における空間や道具の配置に使われる東洋思想。風炉は陽、炉は陰とし、それに応じて道具や灯火も選ばれる。 夜咄|よばなし ……… 夜に行われる茶事。行灯や短檠などを用いて照明を抑えた演出を重んじる。 炭斗|すみとり ……… 炭点前の際に用いる炭を入れた容器。季節や風炉・炉で使い分ける。 香合|こうごう ……… 練香や香木を入れる蓋付きの容器。素材や形により格が異なる。 帛紗|ふくさ ……… 茶器を扱う際に用いる布。長さや幅に規格があり、正式な点前では寸法通りのものが用いられる。 薄板|うすいた ……… 花入れや香炉などを置くための敷板。位置や角度に細かな決まりがある。 折釘|おりくぎ ……… 花入や掛物を掛ける際に使う釘。打つ位置や角度も道具によって異なる。 掛物|かけもの ……… 床の間に掛ける書画。茶事の趣旨や季節を表現する中心的な設えの一つ。 三幅対|さんぷくつい ……… 三枚組になった掛物。中央・左右に並べて掛ける形式で、格式の高い場面に用いられる。 花入|はないれ ……… 花を活けるための道具。置き型、掛け型、吊り型などがあり、花や季節、床の広さなどに応じて使い分けられる。 釣船|つりぶね ……… 舟形の掛花入。出船・入船・浮船など、飾り方によって意味が異なり、趣向に深みを加える。

  • 7-6|八十首 ~ 百二首|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 八十首 ~ 百二首 ❚ 本質へと至る道 本項では、『抛筌斎千宗易(利休)(1522年-1591年)(以下:「利休」)』が遺した「利休百首」の中から、第80首から第102首までを取り上げ、それぞれの歌が持つ意味と背景を丁寧に読み解いてまいります。 ここに詠まれるのは、道具に対する姿勢、稽古に込める心、そして「茶の湯とは何か」という本質的な問いへの応答です。 利休が晩年に至り、己の生涯をかけて体得した道のあり方が、簡潔な言葉の中に凝縮されています。 その一つひとつを味わいながら、茶人として歩むべき道を静かに見つめていきましょう。 ❚ 八十首 ~ 八十九首 八十、 壺などを床に飾らん心あらば 花より上に飾り置くべし 床に壺等を飾る時には花入より上座に飾りなさい。 八十一、 風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思ふ人はあやまり 左右の構えができれば、一分の隙もなく、たるみもない点前となる。 八十二、 右の手を扱ふ時はわが心 左の方にあるとしるべし 右の手で道具を扱うときには左手がおろそかになりやすいので神経を行き渡らせて集中しなさい。 点前に一部の隙もたるみもないように、という心構え。 八十三、  一点前点るうちには善悪と 有無の心をわかちをも知る ひと点前中は、自分の点前の上手、下手、誤りがないか、覚えちがいはないか、他人からほめられたい、笑われたくないなどということは考えずに、無我夢中にならなくてはならない。 八十四、 なまるとは手つづき早く又おそく ところどころのそろはぬをいう 点前の手順を早くしたり遅くしたり所々で揃わないなどの鈍(なま)る点前をしてはいけない。 八十五、  点前には重きを軽く軽きをば 重く扱う味ひをしれ 重き道具はまるで空のような軽さで軽い道具はまるで石のように扱うことを知りなさい 八十六、  盆石を飾りし時の掛物に 山水などはさしあひと知れ 盆石は盆の上に山水を写すので、その上に山水の軸を掛けることは重複するので避けること 八十七、 板床に葉茶壺茶入品々を かざらでかざる法もありけり 板床に名物茶入や茶壺等を飾るべきではないが、やむ得ぬ場合の「かざる方法(奉書紙を敷く)」もある 八十八、 床の上に籠花入を置く時は 薄板などはしかぬものなり 籠の花入は中に受筒があるので外側の籠が敷板の代わりになるため薄板等は敷かない。 八十九、 掛物や花を拝見する時は 三尺程は座をよけてみよ 床の掛物や花を拝見するときには、三尺(約90cm)ほど離れて拝見し なさい。 ❚ 九十首 ~ 百二首 九十、 稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかえるもとのその一 稽古とは一から順を追い十まで進み、次は再び初めに戻り一から十を進みそれを繰り返す事である。 九十一、 茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめて聞くこともなし 奥義とは教えようもなく習いようもない、自分で求め、自分で得るものである。 九十二、 茶を点てば茶筅に心よくつけて 茶碗の底へ強くあたるな 茶を点てる時にはよく注意し、茶筌の穂先が茶碗の底に強く当たらないよう。 九十三、 目にも見よ耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問ひつつよく合点せよ 竹釘は皮目を上に打つのが原則であるが、皮目を下にする方が便利なこともあります。 九十四、  習ひをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古腰張にせよ 書物に頼よりすぎているうちは本当の茶道の境地には達していない。 九十五、  水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし これらは客に対するご馳走であり敬礼であるため主客とも和敬を保つため、新しい清浄なものがよい。 九十六、 茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ 盆石は盆の上に山水を写すので、その上に山水の軸を掛けることは重複するので避けること 九十七、 茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯木あかつきの霜 茶の湯においては陰と陽の調和が必要である。 九十八、 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし 茶の湯は難しいことは何もない。湯を沸かして、茶を点て飲むだけのことです。しかし、この当たり前のことを当たり前にやるということの難しさを知りなさい。 九十九、  もとよりもなき古の法なれど 今ぞ極る本来の法 茶禅一味を説き、茶の湯とはただの遊びではなく、心を養うものであり、それが茶道本来の法である。 百、 規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな 規則は守らなければならないが、例えその規則を破ろうとも離れようとも「本(本質)」を忘れてはならない。 百一、 釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚かな 釜があれば茶の湯はできる、数多くの道具を持つことよりも身分相応を忘れないことが重要である。 百二、 かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚かな 数を多くの道具を持っている者はそれを隠すことよりも、それを十分活用すればよい ❚ 茶の湯とは何か 第80首から第102首にかけては、利休が茶人として辿り着いた境地 ――すなわち「本質を見極める心」「形に囚われぬ柔軟さ」「日常にこそ宿る美」―― が、簡明な言葉で表現されています。 ――湯をわかし、茶を点て、飲む―― という、あたりまえの行為に込められた深い意味。 その本質を見失わず、身の丈にかなった道具と所作をもって真摯に茶と向き合う――それこそが、利休の教えの結実と言えるでしょう。 この最後の章は、茶の湯の哲学と人生観が交差する、まさに生涯の道標となる教えです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「7-7|全首一覧|07.利休百首」では、これまで20首づつに分けてご紹介してきた「利休百首」を利休の言葉のみを取り上げ全首一覧で振り返ります。 百首に込められた利休の精神、弟子への教え、そして茶の湯の本質を改めて見つめ直しながら、一首一首の意味がどのように響き合い、全体としていかなる世界観を形成しているのかを読み解いていきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年    用語解説 板床|いたどこ ……… 板張りの床の間。畳敷きと異なる設えで、飾り方や道具の扱いに注意が必要。 盆石|ぼんせき ……… 小盆に山水の景を写した装飾用の石飾り。掛物との調和が求められる。 浮き船 出船 入船 舟形の花入を吊るす形や向きの種類を表す用語。設えに応じて使い分ける。 規矩作法|きくさほう ……… 作法や形式。利休はこれを大切にしながらも、それにとらわれ過ぎない心も説いた。 古帛紗|こぶくさ ……… 名物茶碗などを扱う際に使われる特別な帛紗。拝見時の礼を示す。 わび|わび ……… 質素の中に深い趣を見出す美意識。利休の美学の核。 用の美|ようのび ……… 実用的な中に美を見出す日本独自の美意識。日用品の中の美。 茶禅一味 ……… 茶の湯と禅が同じ精神性を持つとする思想。茶道の核心とされる。

  • 7-7|利休百首全首一覧|第7回 利休百首|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第7回 利休百首 ■ 利休百首|全首 ❚ 利休百首を一望する 本項では、千利休が後世に遺した「利休百首」全102首を一覧でご紹介します。 この百余首には、茶道の基本作法や稽古の心得、道具の扱い方から、精神性や人生観にまでおよぶ広範な教えが詠み込まれています。 それぞれの一首に込められた言葉は、茶の湯を志す者にとって、今なお学びの指針として深い意味を持ち続けています。 ❚ 利休百首 一覧 一、 その道に入らんと思う心こそ我身ながらの師匠なりけれ 二、 ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚かなりけり 三、 こころざし深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる 四、 はぢを捨て人に物問ひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける 五、 上手には好きと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる 六、 点前には弱みをすててただ強く されど風俗いやしきを去れ 七、  点前には強みばかりを思ふなよ 強きは弱く軽く重かれ 八、 何にても道具扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれり 九、  点前こそ薄茶にあれと聞くものを 麁相になせし人はあやまり 十、 濃茶には手前を捨てて一筋に 服の加減と息をもらすな 十一、 濃茶には湯加減あつく服は尚ほ 泡なきやうにかたまりもなく 十二、 とにかくに服の加減を覚ゆるは 濃茶たびたび点てて能く知れ ​十三、  よそにては茶を汲みて後茶杓にて 茶碗のふちを心してうて 十四、  中継は胴を横手にかきて取れ 茶杓は直におくものぞかし 十五、 棗には蓋半月に手をかけて 茶杓を円く置くとこそしれ 十六、 薄茶入蒔絵彫物文字あらば 順逆覚え扱ふと知れ 十七、 肩衝は中次とまた同じこと 底に指をばかけぬとぞ知れ 十八、 文琳や茄子丸壺大海は 底に指をばかけてこそ持て 十九、 大海をあしらふ時は大指を 肩にかけるぞ習ひなりける 二十、  口ひろき茶入れの茶をば汲むといふ 狭き口をばすくふとぞいふ 二十一、 筒茶碗深き底よりふき上り 重ねて内へ手をやらぬもの 二十二、  乾きたる茶巾使はば湯はすこし こぼし残してあしらふぞよき 二十三、 炭置くはたとへ習ひにそむくとも 湯のよくたぎる炭は炭なり 二十四、 客になり炭つぐならばそのたびに 薫物などはくべぬことなり 二十五、 炭つがば五徳はさむな十文字 縁をきらすな釣合をみよ 二十六、 焚え残る白灰あらば捨ておきて また余の炭を置くものぞかし 二十七、 炭おくも習ひばかりにかかはりて 湯のたぎらざる炭は消え炭 二十八、 崩れたるその白灰をとりあげて 又たきそへることはなきなり 二十九、 風炉の炭見ることはなし見ぬとても 見ぬこそ猶も見る心なれ 三十、  客になり底取るならばいつにても 囲炉裏の角を崩し尽すな 三十一、 客になり風炉の其うち見る時に 灰崩れなん気づかひをせよ 三十二、 墨蹟をかける時にはたくぼくを 末座の方へ大方はひけ 三十三、 絵の物を掛る時にはたくぼくを 印ある方へ引きおくもよし 三十四、 冬の釜囲炉裏ふちより六七分 高くすえるぞ習ひなりける 三十五、 絵掛けものひだり右向きむかふむき 使ふも床の勝手にぞよる 三十六、 姥口は囲炉裏縁より六七分 低くすえるぞ習ひなりける 三十七、 品々の釜によりての名は多し 釜の総名鑵子とぞいふ 三十八、 置き合せ心をつけて見るぞかし 袋は縫目畳目に置け 三十九、 運び点て水指置くは横畳 二つ割にて真ん中に置け 四十、 茶入又茶筅のかねをよくも知れ あとに残せる道具目当に 四十一、 何にても置き付けかへる手離れは 恋しき人わかるると知れ 四十二、 余所などへ花を贈らば其花は 開きすぎしはやらぬものなり 四十三、 水指に手桶出さば手は横に 前の蓋取り先に重ねよ 四十四、 釣瓶こそ手は竪におけ蓋取らば 釜に近づく方と知るべし 四十五、 小板にて濃茶を点てるば茶巾をば 小板の端に置くものぞかし 四十六、 掛物の釘打つならば大輪より 九分下げて打て釘も九分なり 四十七、 喚鐘は大と小とに中々に大と五つの数を打つなり 四十八、 茶入より茶掬ふには心得て 初中後すくへそれが秘事也 四十九、 湯を汲むは柄杓に心つきの輪の そこねぬやうに覚悟してくむ 五十、 柄杓にて湯をくむ時の習には 三つの心得あるものぞかし 五十一、 湯を汲みて茶碗に入るる其時の 柄杓のねぢは肱よりぞする 五十二、 柄杓にて白湯と水とを汲むときは 汲むと思はじ持つと思はじ 五十三、 茶を振るは手先を振ると思ふなよ 臂よりふれよそれが秘事なり 五十四、 床にまた和歌の類をば掛るなら 外に歌書をば荘らぬと知れ 五十五、 外題あるものを余所にて見るときは 先づ外題をば見せて披けよ 五十六、 羽箒は風炉に右羽よ炉の時は 左羽をば使ふとぞ知る 五十七、 名物の茶碗出でたる茶の湯には 少し心得かはるとぞ知れ 五十八、 暁は数寄屋のうちも行燈に夜会等には短檠を置け 五十九、 燈火に油をつがば多くつげ 客にあかざる心得と知れ 六十、  ともしびに陰と陽との二つあり あかつき陰によひは陽なり 六十一、 いにしへは夜会等には床の内 掛物花はなしとこそきけ 六十二、  炉のうちは炭斗瓢柄の火箸 陶器香合ねり香としれ 六十三、 いにしへは名物等の香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく 六十四、  風炉の時炭は菜籠にかね火箸 塗り香合に白檀をたけ 六十五、 蓋置きに三つ足あらば一つ足 前に使ふと心得ておけ 六十六、 二畳台三畳台の水指は 先づ九ツ目に置くが法也 六十七、  茶巾をば長み布幅一尺に 横は五寸のかね尺と知れ 六十八、 帛紗をば竪は九寸よこ巾は 八寸八分曲尺にせよ 六十九、 うす板は床かまちより十七目または十八十九目に置け 七十、 うす板は床の大小また花や花生によりかはるしなしな 七十一、 花入の折釘打つは地敷居より 三尺三寸五分余もあり 七十二、 花入に大小あらば見合せよ かねをはずして打つがかねなり 七十三、  竹釘は皮目を上に打つぞかし 皮目を下になすこともあり 七十四、  三つ釘は中の釘より両脇と 二つわりなる真ん中に打て 七十五、  三幅の軸をかけるは中をかけ軸先をかけ次は軸もと 七十六、 掛物を掛けて置くには壁付を 三四分すかしおく事ときく 七十七、 花見よりかへりの人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花も置くまじ 七十八、 時ならず客の来らば点前をば 心は草にわざをつつしめ 七十九、 釣船はくさりの長さ床により出船入船浮船と知れ 八十、  壺などを床に飾らん心あらば 花より上に飾り置くべし 八十一、 風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思ふ人はあやまり 八十二、 右の手を扱ふ時はわが心 左の方にあるとしるべし 八十三、 一点前点るうちには善悪と 有無の心をわかちをも知る 八十四、 なまるとは手つづき早く又おそく ところどころのそろはぬをいう 八十五、  点前には重きを軽く軽きをば 重く扱う味ひをしれ 八十六、 盆石を飾りし時の掛物に 山水などはさしあひと知れ 八十七、 板床に葉茶壺茶入品々を かざらでかざる法もありけり 八十八、 床の上に籠花入を置く時は 薄板などはしかぬものなり 八十九、 掛物や花を拝見する時は 三尺程は座をよけてみよ 九十、 稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかえるもとのその一 九十一、 茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめて聞くこともなし 九十二、 茶を点てば茶筅に心よくつけて 茶碗の底へ強くあたるな 九十三、 目にも見よ耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問ひつつよく合点せよ 九十四、 習ひをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古腰張にせよ 九十五、 水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし 九十六、 茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ 九十七、  茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯木あかつきの霜 九十八、 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし 九十九、 もとよりもなき古の法なれど 今ぞ極る本来の法 百、  規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな 百一、 釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚かな 百二、  かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚かな ❚ 利休の教え、百首を貫く心 全102首にわたる『利休百首』は、単なる作法の解説にとどまらず、稽古の姿勢、もてなしの心、道具との向き合い方、そして「茶とは何か」という本質に迫る教えが凝縮されています。 それぞれの歌は短くとも、その一つひとつに利休の深い思想と感性が宿っており、読み返すたびに新たな気づきや学びが得られます。 この一覧を通して利休の精神を改めて辿り、日々の稽古や実践のなかに生かしていただければ幸いです。 ❚ 次回は・・・ 次回は「8-1|利休の茶道具|08.利休の茶道具」へと進みます。 ここでは、利休が茶道具に吹き込んだ新しい価値観について取り上げ、その美意識や選定基準、背景にある思想を読み解いてまいります。 利休の「わび」の精神がどのように道具に表れているのか、その具体像に迫ります。 無料ダウンロード 本ページにてご紹介いたしました「利休百首」をPDF資料としてまとめましたのでダウンロード後(無料)、お稽古やご自身の修練にご活用いただければ幸いです ◆無料ダウンロード資料をご利用いただく際の注意点◆ 1.はじめに ・本サイトにて掲載しております解説文章につきましては、サイト運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解ください。 2.個人利用の範囲内でご使用ください ・ダウンロードいただいた資料は、個人利用(学習・修練・お稽古場での利用など)の非営利目的に限りご利用いただけます。 ・本資料(文章、デザイン含む)の一部または全部を、許可なく転載、複製、加工、修正、販売することを固く禁じます。 3..内容の正確性について ・掲載情報には十分注意を払っておりますが、その内容の正確性や最新性は保証しておりません。 ・各流派や各文献によって、その解釈や文言、年代などの記載内容に差異が生じる場合があります。 ・本資料をご活用される場合は皆様が修練なさっています先生などにご確認の上、自己の責任においてご活用ください。 4..免責事項 ・通信環境やご利用の端末によっては、ダウンロードが正常に行えない場合や、データ破損、誤作動などが発生する可能性があります。 ・本資料のご利用によって生じた、いかなるトラブルや損害についても、当方は一切の責任を負いかねます。 5.同意 本資料をダウンロードいただいた時点で、上記の内容にご理解、ご同意いただいたものとさせていただきます。

  • 8-1|利休の茶道具|第8回 利休の茶道具|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第8回 利休の茶道具 ■ 利休の茶道具 ❚はじめに 「利休の茶道具」では、 千利休* が生み出した茶道具やその美意識について詳しくご紹介します。 千利休は、茶道具においても華美な装飾を排し、機能美を重視した茶道具を考案しました。 その美意識は 「利休好 (利休形)**」 として受け継がれ、今日の茶の湯の世界にも深い影響を与えました。 ❚わび茶の精神と茶道具の改革 利休は、それまでの 「書院茶湯**」 における華美な装飾を徹底的に排除し、簡素で精神性を重んじる 「わび茶**」 を大成させました。 その美意識は茶道具にもおよび 「名物**」 と呼ばれた 「唐物**」 の茶器を否定し、無駄を削ぎ落としたシンプルな―― 機能美** ――を追求しました。 無地や木地の素朴な風合いを好み、色合いも黒や朱などの一色に統一し、余計な装飾を排した設計 は 「利休好 (利休形)」 として継承され、今日においても茶道具の基本形として受け継がれています。 ❚樂焼の創出 千利休が生み出した茶道具の中でも、最も有名なもののひとつが 樂焼** です。 樂焼は 樂家初代/長次郎* とともに創出されたもので、特に 「黒樂茶碗**」 は、わび茶の精神を象徴する茶碗として、茶道における最上格の茶碗とされています。 樂茶碗は 轆轤** を用いず、すべて手作業で成形されており、手に馴染む厚みと釉薬の光沢を抑えた落ち着いた質感が特徴です。 手造りならではの温かみと、深みのある――黒色――は、利休の求めた 「わび・さび**」 の精神を体現しており、その美しさと機能性の両面から高く評価されています。 また今日では、茶人にとどまらず、美術工芸品としても世界的に高い評価を受け、広く重宝されています。 ❚茶道具を造る 利休は、茶碗だけでなく、釜・茶入・棚・台子などさまざまな茶道具を「わび茶」に適応させる形に改良し、新しい茶道具の考案、プロデュースをおこないました。 また、自身で茶杓や花入を削り、実際に茶席で使用していたことも知られています。 代表的な自作道具には以下が挙げられます。 ❞ ・竹 花入「園城寺」 ・竹花入「音曲」 ・竹花入「夜長」 ・竹花入「尺八」 ・茶杓「泪」 ・茶杓「面 影」 ❝ これらは今日も大切に伝えられ、利休の美意識を象徴する作品として高く評価されています。 ❚見立道具 利休の茶道具における大きな特徴のひとつとして 「見立道具**」 の活用が挙げられます。 漁師が使っていた籠を花入に転用するなど身近な器物や日常の器物を茶道具として見立てることで、日常と茶の湯の垣根を取り払い、自由な美意識を取り入れました。 この考え方によって、茶道具は必ずしも特別なものでなくてもよいという価値観が生まれ、日常にあるものを茶の湯の世界に取り込むことで、より自由で創造的な美の形が確立されました。 それは単なる転用ではなく、――物の本質を見極める――という利休の哲学の表れであり、実用性を重視した―― 用の美** ――や、本来の形や機能を活かす――機能美――といった新たな価値観を茶道具に提示したのです。 ❚茶道具がもたらす美 利休の名を冠した茶道具や、利休が考案した形状は、今日における茶道具の在り方に多大な影響を与えています。 とりわけ――シンプルで無駄のない美の追求――という利休の美意識は、茶道具にとどまらず、日本の伝統工芸や建築、さらには現代デザインにも深く通じるものがあります。 利休は、――わび・さび――に代表される独自の美意識を確立し、日本独自の茶道具の発展に大きく寄与しました。 また、道具の持つ―― 用の美** ――や――機能美――を重視することで、実用性と精神性を両立させた美の哲学を打ち立てました。 その思想は「利休好 (利休形)」として多くの道具に受け継がれ、茶道の枠を超えて、日本文化全体の美意識や造形思想の根幹を成すものとなっています。 利休の茶道具は単なる器物ではなく、精神の形を宿した文化の結晶として、今もなお語り継がれ、敬われ続けています。 ❚次回は・・・ 次回の「9-1|利休の茶室|09.利休の茶室」では、千利休が創案した茶室空間に焦点を当て、その思想的背景や空間構成、用いられた素材や意匠について詳しく探っていきます。わずか二畳の空間に凝縮された美と精神、そして侘びの理念がどのように具体化されたのか、利休が理想とした茶の湯の場の本質に迫ります。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 樂長次郎|らくちょうじろう ……… 。 用語解説 利休好/利休形|りきゅうこのみ・りきゅうがた ……… 利休が好んだ茶道具の意匠や形。簡素・質実・機能美に優れるものが多く、現代の茶道具に深く影響を与えている。 書院茶湯|しょいんちゃゆ ……… 格式高く、広間で行われる旧来の茶会形式。中国風の装飾や調度が用いられた。 わび茶|わびちゃ ……… 。 名物|めいぶつ ……… 。 唐物|からもの ……… 。 機能美|きのうび ……… 。 樂焼|らくやき ……… 。 黒樂茶碗|くろらくちゃわん ……… 。 轆轤|ろくろ ……… 。 わび・さび|わび・さび ……… 。 見立道具|みたてどうぐ ……… 。 用の美|ようのび ……… 。

  • 9-1|利休の茶室|第9回 利休の茶室|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第9回 利休の茶室 ■ 利休の茶室 ❚ 茶室がもたらす影響 「利休の茶室」では、 千利休* が確立した 「 草庵茶室**」 について詳しくご紹介します。 利休が生み出した――極限まで無駄を省いた茶室――や「躙り口」、「露地」などの革新的な設計は、単なる建築様式にとどまらず、日本建築全体に影響を与えました。 その思想を探ることで、茶室の持つ本来の意味が見えてきます。 ❚ 茶室が示す未来 千利休は、それまでの 「書院茶湯**」 の形式を大きく変え、茶の湯の本質を追求した「草庵茶室」を創出しました。 この茶室は、茶の湯を単なる儀式的なものから、亭主と客人が真に向き合い、心を通わせるための場として設計されました。​ それまで「四畳半」が最小単位とされていた茶室をさらに縮小し、「二畳」「三畳」という極限まで無駄を省いた空間を取り入れました。 この茶室の設計には、千利休の茶の湯の思想が深く反映されており、単に茶を点てる場にとどまらず、精神性を重視した空間へと昇華されました。 ​ また、千利休の茶室は、単なる室内空間の工夫にとどまらず、さまざまな機能性と美意識を融合させた合理的な設計が施され、その設計思想は、後の日本建築にも大きな影響を与えることとなります。 ​ ❚ 比較 利休以前(書院茶湯) 利休以後(草庵茶室) 茶室の広さ 四畳半以上の広間 二畳・三畳の狭小空間 調度・設え 豪華な書画や家具 最小限の道具と掛物 採光 一方向からの自然光 窓や天窓による間接的な採光 入口 通常の襖・障子戸 躙り口を通る低い出入口 客の導線 通常の通路(機能重視) 露地による精神的導入空間 主眼 権威・格式の演出 精神性・もてなし・一期一会の表現 ❚ 窓 利休以前の茶室では、光の採り方は縁側に設けられた障子を通して行われる「一方光線」が主流でした。 しかし利休は茶室の内壁を土壁で囲み、必要な場所に「窓」を開けるという手法を取り入れました。 これにより、茶室内の光を自在に調整し、必要な部分だけを照らし、逆に陰影を生かすことで、茶室全体の雰囲気を演出できるようになりました。 また 「天窓」 や 「風炉先窓**」 といった新たな採光技術を取り入れることで、自然光の効果的な活用が可能になり、茶室の内観に奥行きと落ち着きをもたらしました。 これらの技法は、後の数寄屋建築や日本建築にも影響を与え、――光をデザインする――という考え方の礎となりました。 ❚ 躙り口 利休は茶室に入る際には、大名や武士であっても 帯刀** を禁じ、「躙り口」 という狭い入口を通って中へ入ることを求めました。 この構造によって、どんなに高い身分の者であっても、頭を低くし、謙虚な気持ちで茶室に入らなければなりません。 これは、亭主と客が平等な立場で向き合うための工夫であり、茶の湯の場においては、身分や貧富の差を超えた――心の交流――が最も大切であることを示しています。 「躙り口」は単なる構造的な工夫ではなく、茶の湯の根幹となる「敬意」と「謙虚さ」を体現する重要な空間設計となりました 。 ❚ 露地 それまでの 露地** は茶室へつながる単なる通路であったが利休はこの露地を――もてなしの空間――として再構築しました。 露地には、自然の景観と調和した石畳や 蹲踞** が配置され、客人が茶室へと向かうまでの間に心を落ち着け、茶の湯の世界へと精神と意識を切り替えるための場となりました。 また、亭主の心遣いが随所に施された露地は、訪れる客人にとって――待つ時間――もまた茶の湯の一部であることを示しました。 この工夫により、茶の湯は――茶を点てる行為――だけでなく、客が訪れ、もてなしを受け、共に茶を喫し、退出するまでのすべての時間を「一期一会」の体験として捉える「総合芸術」へと発展したのです。 ❚ 世界に誇る数寄屋建築 利休が生み出した草庵茶室の思想は、単なる茶室の設計にとどまらず、日本建築全体に深く大きな影響を与えました。 限られた空間の中に美と機能を凝縮する設計理念は、 数寄屋建築** をはじめとする日本の空間美の原点となり、今日の建築や住空間にも脈々と受け継がれています。 狭さを逆手に取り、最小限の構成で最大限の効果を引き出すその精神は、空間における「余白」や「間」の美学として昇華され、日本人の美意識と空間感覚の根幹を形成しました。 利休が追い求めた静謐で簡素な美は、茶の湯にとどまらず、日本文化の根底に流れる思想として、今なお建築・工芸・デザインなど幅広い分野に息づいています。 ❚ 次回は・・・ 次回の「9-2|国宝「待庵」|09.利休の茶室」では、現存する国宝「待庵」に込められた意匠や構造、侘び寂びの精神との関係を詳しく見ていきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 武野紹鴎|たけの・じょうおう ……… 。 織田信長|おだ・のぶなが ……… 。 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年    用語解説 草庵茶室|そうあんちゃしつ ……… 利休が確立した簡素・静謐を旨とする小規模な茶室様式。 書院茶湯|しょいんちゃゆ ……… 格式高く、広間で行われる旧来の茶会形式。中国風の装飾や調度が用いられた。 天窓|てんまど ……… 。 風炉先窓|ふろさきまど ……… 風炉の設置位置付近に設けられた小窓。採光と換気を兼ね、茶室の演出にも使われる。 帯刀|たいとう ……… 。 露地|ろじ ……… 茶室までの庭路。自然と調和した設えで、精神の切り替えを促す空間。 蹲踞|つくばい ……… 。 数寄屋建築|すきやけんちく ……… 。

  • 利休年表|わび茶の大成と茶の湯に生きた生涯|千宗易利休|抛筌斎|資料(PDF)無料ダウンロード

    抛筌斎 千宗易 利休 ■ 千利休 ■ 利休|年表 ❚  目次 00歳~19歳 20歳~39歳 40歳~59歳 60歳~69歳 最終年 没後 資料(PDF)|無料ダウンロード ❚ 0歳~19歳 1522年 (大永二年) 0歳 和泉国(大坂)、堺の今市町にて、「納屋衆*」と呼ばれる商人階級の家に、父・田中与兵衛*と母・月岑妙珎*の子として生まれる。 ​幼名は与四郎。 1535年 (天文四年)  14歳 4月28日付の『念仏差帳日記*』に、「堺・念仏寺の築地修理に銭一貫文を寄進」として「与四郎殿 せん」の名が見られる。これが歴史史料上に現れる千利休の初出とされる。 1537年 (天文六年) 16歳 『松屋会記*』の9月13日の条に、「京都の与四郎」が奈良の塗師・松屋久政*を朝会に招いた旨の記述がある。しかしこの「与四郎」が利休か否かは疑問である。 1538年 (天文七年) 17​歳 この年より、茶匠・北向道陳*のもとで茶の湯を学び始める。 1540年 (天文九年) 19​歳 この頃より、北向道陳を介して武野紹鷗*に師事し、本格的に茶を学び始める。 また同年、父・田中与兵衛が没する。 ❚ 20歳~39歳 1544年 (天文十三年) ​ 23歳 天文二十一年(1552年)2月27日付の『松屋会記』に、「堺・千宗易」が、奈良・称名寺の住職・恵遵房と、奈良の塗師である松屋久政を招き、一会を催した旨の記録がある。 これが「宗易(千利休)」という名が確実に初見する歴史史料とされている。 1545年 (天文十四年) ​24歳 この頃までに大徳寺の大林宗套*(あるいは笑嶺宗訢*)より『抛筌斎利休宗易居士』の居士号*を与えられたのではないかと考えられている。(※諸説あり)。 1546年 (天文十五年) ​25歳 長男の千道安*が誕生。 また後に養子となる千少庵*が誕生。(※後妻・千宗恩*の連れ子で千家二代) 1560年 (永禄三年)  39歳 この頃に山上宗二*を弟子に迎え入れたとされる。 ❚ 40歳~59歳 1562年 (永禄五年​) 41歳 1月18日 師である北向道陳が死去。 11月26日 塗師・松屋久政を訪れ「松屋三名物*」を拝見。 1565年 (永禄八年) ​44歳 1月29日 武将・松永久秀*は大和国の多聞山城の茶に利休を招き、天下一の名物と称された「九十九髪茄子の茶入*」を用いる。 1572年 (元亀三年) ​51歳 12月8日 大坂/堺の南宗寺*にて兄(異母兄弟)・千康隆*とともに父・田中与兵衛の三十三回忌の法要を営む。 1573年 (天正元年) ​52歳 9月15日 古渓宗陳の京都・大徳寺入寺に奉加として「利休銭百貫文」、「宗及五十寛文」、「宗巴十寛文」「利休内寛文」を寄進。 11月23日 天下人・織田信長が京都・妙覚寺において堺衆を招いておこなわれた茶会にて薄茶を点て振舞う。 1574年 (天正二年) ​53歳 この頃、織田信長の茶頭*となり、今井宗久*、津田宗及*と共に「天下の三宗匠*」と称される。 またこの頃より「抛筌斎*」の斎号を用いる。 3月24日 織田信長が京都・相国寺において堺衆を招いておこなわれた茶会にて特別に『千鳥の香炉*』を拝見。 3月27日 織田信長の奈良下向に供奉し、奈良・正倉院の名香「蘭奢待*」の切取を拝見。 4月3日 織田信長、京都・相国寺に利休と今井宗久を招き「初花肩衝茶入*」を披露。 また織田信長は利休と今井宗久*の2人名だけが名物香炉を所持していたために正倉院名物の名香「蘭奢待」を下賜。 1575年 (天正三年) ​54歳 9月16日 織田信長の越前出陣に際し鉄砲弾千個を贈り、返礼の黒印状を遣わされる。 1576年 (天正四三年) 55歳 この頃、六女・亀と義息である千少庵が結婚。 1577年 (天正五年) ​56歳 妻・宝心妙樹が死去。 1578年 (天正六年) ​57歳 この年に後の千家三代となる孫の千元伯宗旦が誕生。 またこの頃に後妻・千宗恩と再婚。 ❚ 60歳~69歳 1582年 (天正十年) ​​61歳 この頃に京都・山崎の妙喜庵*内に二畳茶室『待庵(国宝)*』を建造。 6月21日 織田信長が本能寺の変にて自刃。 1583年 (天正十一年) 62歳 5月24日 『津田宗及茶湯日記』の天正11年5月24日の条には、太閤・豊臣秀吉の催した坂本城朝会の中に『茶堂宗易』と見え、この頃までには豊臣秀吉の『茶頭』になっていたと考えられる。 11月29日 参禅の師である笑嶺宗訢が死去。 1584年 (天正十二年) 63歳 10月15日 『[関白/太閤]豊臣秀吉(1536-1598)』が当代の大茶の湯者を大阪城に集めた茶会において茶頭を努める。 1585年 (天正十三年) ​​64歳 この頃より千少庵にかわり大徳寺門前の屋敷に居を構え、この屋敷内に四畳半茶室「不審庵*」を建立。(※諸説あり) 9月下旬 古渓宗陳(あるいは大林宗套)が選定の『利休居士』号を第百六代天皇・正親町天皇より勅賜される。 また同月、古渓宗陳より『利休居士号賀頌』を贈られる。 10月7日 京都御所において豊臣秀吉が正親町天皇に茶を献じ、利休も後見役として仕え、天皇還御後に親王や公家衆に台子の茶の湯を献じている。 また同日「利休居士 宗易(花押)」と署名した御所会記を春屋宗園*に送り、奉仕の茶会記録を古渓宗陳に書き贈っている。 12月20日 豊臣秀吉は大阪城内の「黄金の茶室*」を毛利輝元*の使者であった小早川隆景*に見せ利休に茶を振舞わせた。 1586年 (天正十四年) 65歳 1月6日 年頭の参内において豊臣秀吉は黄金茶室を禁中に移し茶会を行い、その際、利休が茶頭をつとめる。 10月13日 『松屋会記』によると奈良の中坊源吾の朝会において「宗易形ノ茶ワン」と記される。おそらくこれが「樂茶碗(長次郎茶碗)」の初見とされる。 10月23日 大和郡山の尾崎嘉助の茶会において「今ヤキ茶ワン」と記述あり。 1587年 (天正十五年) ​​66歳 この年の3月頃までに「京都・聚楽第*」の北東角(現:京都市葭屋町通元誓願寺下ル)に位置する場所に「聚楽屋敷(通称:利休屋敷)」を構え、邸内には書院他に「四畳半」、「一畳台目」の茶室が作られたと伝えられている。 またこの書院は色付九間書院と呼ばれ、今日の表千家にある茶室『残月亭*』のもとになったと伝えられている。 9月15日 弟の千宗把に「北野大茶の湯」への参会のため、堺衆の上洛を促す書状を送る。 10月1日 京都・北野天満宮において、「北野大茶の湯」が開催。 利休は豊臣秀吉が所持する名物茶器にて一席を設ける。 10月12日 細川三斎*、古田織部*と共に「聚楽第」に神谷宗堪*を招き茶会を催す。 1588年 (天正十六年​) ​67歳 1月7日 聚楽屋敷の四畳半茶室にて催した朝会に前田利家を含む17名を招く。 9月4日豊臣秀吉の怒りに触れ、筑前大宰府へ流罪となった古渓宗陳の送別茶会を聚楽屋敷にて催す。 1589年 (天正十七年​) 68歳 この年あたりに大徳寺山門の修築を開始したとされる。 1月 亡き父母他の追善供養のため大徳寺・聚光院に永代供養料「米七石(およそ1,000㎏)」を寄進し、併せて千家の菩提寺と定める。 7月16日 利休の尽力により古渓宗陳の流罪赦免となる。 12月5日 修復を寄進した大徳寺三門「金毛閣*」が完成。同時に三門の楼上に「利休の木像」が安置され、落慶法要を営む。 12月8日 父・田中与兵衛の五十回忌法要を営む。 1590年 (天正十八年) ​​69歳 4月11日 高弟の山上宗二が豊臣秀吉の怒りに触れ、相州小田原にて処刑される。 6月20日 豊臣秀吉の小田原攻めに同行した際、伊豆韮山の竹で「園城寺*」・「よなが*」・「尺八*」の花入を削り、その内の「園城寺」に、「武蔵鐙の文*」の書状を添えて古田織部に送る。 8月17日 最晩年の茶会記である『利休百会記』の記述をはじめる。 ❚ 最終年 1591年​ (天正十九年) 70歳 1月18日 南方録*によると三女・三、六女・亀を除くいずれかの息女が自害。 1月20日 この頃より大徳寺山門の楼上に安置された「利休の木像」が問題となる。 1月22日 「利休の木像」の件に付き、不謹慎であるとの弾劾が行われ利休は春屋宗園を訪ねて相談し帰宅。 同日、所持の「狂言袴茶碗・引来鞘*」を進上する旨の「書状(引木鞘の文)*」を認め、「狂言袴茶碗・引来鞘」と共に細川三斎に贈る。 同日、利休最大の理解者であった、豊臣秀長が死去。 2月4日 自身の茶と共にあゆみ大切に保持していた秘蔵の「橋立の茶壷*」と「書状(横雲の文)*」を認め大徳寺・聚光院に預け、「御渡しなさるまじく候(決して他人に渡さぬようお願いします)」と伝えている。 2月14日 豊臣秀吉より大坂/堺への蟄居が命じられる。 その際、淀の渡しから堺の津へと戻る際に細川三斎と古田織部の二名が淀の船着場にて見送りに赴く。 同日、細川三斎と古田織部が見送りをしてくれた御礼を伝えてもらうように依頼した「書状」を細川家家老の松井康之宛に贈る。 2月15日 自身を心配し「消息」を使者に届けさせた芝山監物*に返礼の「書状」を認め贈る。 2月16日 豊臣秀吉より、切腹の申し渡しが下る 2月24日 死を覚悟し、千家の家督相続から縁戚の者への自身の財産処分などを認めた「書状(末期の文)*」を認める。 2月25日 大徳寺山門の「利休の木像」が一条戻橋に磔刑に処せられる。 2月26日 蟄居先の大坂・堺から京都の聚楽屋敷に戻どされる。 2月28日 朝、孫の千宗旦へ「辞世の偈*」と「和歌」を認めた後、聚楽第にて切腹し生涯を閉じる。 ※切腹にあたっては『[刀鍛冶]粟田口吉光(生没年不詳)』作の『短刀「吉光」』が用いられたという。鎌倉時代の刀工、粟田口吉光の脇差。宗家に伝わり、家元のみが見られるものだという。 自刃後 長男・千道安は飛騨高山の金森長近*の元へ、養嗣子の千少庵は会津の蒲生氏郷*の元へ預けられる。 ❚ 没後 1594年 (文禄三年) 11月13日 徳川家康と蒲生氏郷により千少庵の赦免を豊臣秀吉に懇願。 両名の署名入りの「連署状(少庵召出状)*」にて千少庵は京都に戻り、千家を再興することとなる。 1614年 (慶長十九年) 千少庵が没し、息子の千宗旦が千家の家督を相続。 1646年 (正保三年) 千宗旦の隠居に伴い。三男の表千家四代/江岑宗左が千家の家督を相続し、表千家*の基礎を固める。 1653年 (承応二年) 千宗旦、再び隠居(又隠居)して、もとの隠居の二畳を「今日庵*」と命名し、又隠居の家に四畳半を建てて「又隠」と命名。 四男の裏千家四代/仙叟宗室は、「今日庵」を継承して、裏千家*の基礎を固めた。 ― (―年) 次男の武者小路千家四代/一翁宗守*は一時期、千家を離れ、塗師の吉岡家に養子に入っていたが兄弟の勧めにより千家に戻り、武者小路に千家を興す。 千家三代/千宗旦の三人の子供(利休の曾孫)がそれぞれ千家を継承し、表千家、裏千家、武者小路千家を開祖し三千家が誕生し現在に至る。 資料(PDF)|無料ダウンロード ​ 本ページにてご紹介いたしました「千利休の生涯」をPDF資料としてまとめましたのでダウンロード後(無料)、お稽古やご自身の修練にご活用いただければ幸いです ​​ ◆無料ダウンロード資料をご利用いただく際の注意点◆ 1.はじめに ・本サイトにて掲載しております解説文章につきましては、サイト運営者が茶道の修練にあたり、個人的にまとめた解説文章となっておりますので個人的な見解や表現なども含まれていることを事前にご理解ください。 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  • 0-1|三千家とは|三人の息子と三千家の役割|茶道辞典

    茶道辞典 ■ 三千家 ■ 三千家とは ❚ 三千家とは? 三千家とは、千家開祖/千宗易利休(1522-1591)の教えを継承する「表千家」、「裏千家」、「武者小路千家」の3つの流派を合わせた総称で、今日の茶道において学ぶ人々にとって重要な基盤となっています。 各流派では点前や作法をはじめ、道具の種類や扱い方にも違いがあり、それぞれの流派が千利休の茶道を継承しつつ、それぞれ独自の茶風と特色を代々育んできました。 ❚ 三千家の成り立ち 千家開祖/千宗易利休の孫にあたる千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)の四人の息子のうち、勘当された長男を除く三人がそれぞれ独自の茶の湯の形を育み、各家(流派)を興しました。 長男  ▶閑翁宗拙(1592-1652)・・・父宗旦より勘当 次男  ▶似休齋一翁宗守(1605-1676)・・・武者小路千家 三男  ▶逢源斎江岑宗左(1613-1672)・・・表千家 四男  ▶臘月庵仙叟宗室(1622-1697)・・・裏千家 ■ 長男|堺千家 ■ 閑翁宗拙 ~かんおうそうしゅつ~ 文禄元年(1592年) ― 承応元年(1652年) 六十歳 史料が少なく理由は判明しないが[父]千家三代/咄々斎元伯宗旦より勘当を受け晩年は正伝寺の塔頭「瑞泉院」に身を寄せ生涯を閉じる。 ■ 次男|武者小路千家|開祖|四代 ■ 似休斎 一翁宗守 ~じきゅうさい・いちおうそうしゅ~ 慶長十年(1605年) ― 延宝四年(1676年) 七十二歳 一時「千家」を離れていたが千家に戻り「武者小路千家」を創建。 ■ 三男| 表千家|開祖|四代  ■ 逢源斎 江岑宗左 ~ほうげんさい・こうしんそうさ~ 慶長十八年(1613年) ― 寛文十二年(1672年) 六十歳 [父]千家三代/咄々斎元伯宗旦 の家督と屋敷を継承し「表千家」を創建。 ■ 四男| 裏千家|開祖|四代  ■ 臘月斎 仙叟宗室 ~ろうげつさい・せんそうそうしつ~ 元和八年(1622年) ― 元禄十年(1697年) 七十六歳 加賀に仕官していたが師である[医師]野間玄琢(1590-1645)の死去に伴い帰京。 それを機に [父]千家三代/咄々斎元伯宗旦 は隠居を志し、翌年屋敷の裏に隠居所として「今日庵」を建て隠居。その後、その隠居所を継ぎ「裏千家」を創建。 ※三千家では千利休を祖(初代)とし息子の千少庵(1546-1614)を二代、孫の千宗旦を三代として三千家の初代御家元は四代から数える習わしになっています。 ❚ 三千家の役割 三千家は江戸時代(1603-1868)初期に設立し、それまで武家や公家が中心であった茶道を師弟関係に基づく家元制度として確立。これにより茶道は安定して継承され、町衆など幅広い層へも広がる基盤が整えられました。 三千家は千家開祖/千宗易利休の「侘び茶」の精神を守るとともに、時代や環境に応じて茶道を発展させてきました。三千家は単なる流儀の継承者ではなく、のちの茶道文化の制度化・教育化・普及の中心的役割を担ってきました。 江戸期には武家社会の礼法として、明治以降は日本文化の象徴として、国内外にその教えを広め、茶室建築や茶道具の継承と改良、茶事や茶会の形式の確立、流儀の整備を通して、茶道を体系的に守り伝える基盤を築きました。 今日の三千家は、日本のみならず世界各地に門弟や愛好者を持ち、国際的な文化交流にも大きく貢献しています。各流派は伝統を重んじつつ、教育機関や文化イベントなどを通して、初心者でも茶道に触れられる機会を積極的に広げており、その存在は、茶道を「特別な文化」ではなく「日常に活かせる道」として社会に浸透させる原動力となっています。 ❚ まとめ 三千家とは、千利休の精神が時代を超えて受け継がれてきた証といえます。利休、少庵、宗旦の三代が築いた茶の湯の礎は、「表千家」「裏千家」「武者小路千家」という三つの流派へと受け継がれました。 それぞれの家は、利休の教えを守りながらも、時代に合わせて独自の茶風を育んできました。表千家の静寂と品格、裏千家の柔軟さ、武者小路千家の理知的な気風――いずれも侘び茶の精神を根幹に据え、茶道の発展に大きく寄与しています。 今日の三千家は、国内外で茶道の普及と文化交流に力を注ぎ、利休の精神を現代に伝えています。三千家は、茶道の歴史を支える柱であり、これから茶道を学ぶ人にとっても、その教えは日本文化の深さに触れる確かな道しるべとなるでしょう。

  • 1-1|表千家とは|表千家|不審庵|三千家

    三千家 ■ 表千家|不審庵 ■ 表千家とは ❚ 表千家とは 表千家とは千家開祖/千宗易利休(1522-1591)の孫・千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)の四人の息子の内、三男である 表千家四代/逢源斎江岑宗左 によって興された茶道の流派で裏千家、武者小路千家と並び「三千家」の一つとして知られています。 宗旦の息子 長男  ▶閑翁宗拙(1592-1652)・・・父宗旦より勘当 次男  ▶似休齋一翁宗守(1605-1676)・・・武者小路千家四代御家元 三男  ▶逢源斎江岑宗左(1613-1672)・・・表千家四代御家元 四男  ▶臘月庵仙叟宗室(1622-1697)・・・裏千家四代御家元 表千家四代/逢源斎江岑宗左が 千家の家督を継いで以来、代々の家元が利休の教えを守りながら新たな工夫を加え、今日に至るまで茶道界の中心的な存在として確立されてきました。 わび茶の精神を根本としながらも、洗練された美意識と格式を兼ね備えることが、表千家の大きな特徴です。 ❚ 表千家の由来 表千家の呼び名は江戸時代(1603-1868)初期から自然と定着したものであり、裏千家の茶室「今日庵」と対比し、通り(寺之内通り)の表側に位置したことから「表千家」と称されるようになりました。 ❚ 表千家のあゆみ 表千家は、千家開祖/抛筌斎千宗易利休の血脈を継承する三千家の本流であり、代々の家元は紀州徳川家の茶頭を務めるなど高い格式を誇ってきました。 表千家四代/逢源斎江岑宗左は寛永十九年(1642年)、紀州徳川家初代藩主/徳川頼宣(1602-0671)に招かれ、以後明治時代(1868-1912)に至るまで歴代家元が二百石の禄を受けるなど中級武士並の待遇で茶道を伝えました。 紀州藩主の中には茶道に深く通じた者も多く、特に表千家九代/了々斎曠叔宗左(1775-1825)の頃には「数寄の殿様」と呼ばれた紀州徳川家十代藩主/徳川治宝(1771-1853)から篤い庇護を受けました。また、紀州徳川家と縁の深い三井家との関係により、表千家の茶風は町人層にも広まりました。 元禄期(1688-1704)から化政期(1804-1830)にかけて、表千家六代/覚々斎原叟宗左(1678-1730)、表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)の時代には、町人文化への普及が進みました。 表千家七代/如心斎天然宗左は弟の裏千家八代/又玄斎一燈宗室(1717-1771)や高弟の江戸千家開祖/川上不白(1719-1807)らと共に、時代に即した茶風を創出し、「千家中興の祖」と称されます。 この時期には家元制度の基盤が整備され、門弟制度や許状制度が確立されました。 また、複数人で同時にお稽古ができる「七事式」を考案し、花月や且座、一二三などの形式を生み出したことは、後世の茶道教育に大きな影響を与えました。 天明八年(1788年)の「天明の大火」では不審菴をはじめ表裏両千家の茶室が焼失しましたが、翌年には再建され、利休二百回忌の茶事が盛大に催されました。 その後も明治三十九年(1906年)の失火で不審菴が全焼しましたが、大正二年(1913年)に復興し、現在の不審菴はその際に再建されたものです。 寛政六年(1786年)に建立した祖堂をはじめとする草庵風の建物群は、重要文化財に指定されています。 庭園や露地も国の名勝に指定され、深山幽谷の趣を今に伝えています。 明治時代(1868-1912)以降は藩の庇護を失ったものの、表千家十一代/碌々斎瑞翁宗左(1863-1937)の尽力により茶道の伝統を守り、大正期(1912-1926)・昭和期(1926-1989)には茶席の再建や新席の設置が進みました。 第二次世界大戦後は茶道人口の増加に伴い、全国組織として表千家同門会を整備し、より多くの人々に茶の湯を伝える体制を築きました。 1942年 (昭和十七年) 2月「表千家同門会」発足 1949年 (昭和二十四年) 「財団法人不審庵」発足 1956年 (昭和三十一年) 表千家東京稽古場を開設 1967年 (昭和四十二年) 表千家学校茶道登録制度導入 1998年 (平成十年) 「不審菴文庫」設立 2008年 (平成二十年) 「表千家茶道会館」竣工 2012年 (平成二十四年) 法令改正に伴い、「一般財団法人不審庵」、「一般社団法人表千家同門会」に名称変更 ❚ 一般社団法人表千家同門会 表千家同門会とは、表千家茶道の継承、普及ならびに日本文化の向上と発展を目的として、昭和十七年(1942年)に発会された、表千家茶道を習う全国組織です。 今日では 日本国内に53支部、海外に4支部を展開し、茶の湯を正しく継承し、茶の湯の普及、地域振興、国際親善の発展に貢献に尽力。 昭和五十年(1975年)、「社団法人表千家同門会」を設立。 その後、平成二十四年(2012年)、法改正に伴い「一般財団法人不審庵」に名称を変更。 ❚ 一般財団法人不審菴 昭和二十四年(1949年)、表千家の茶室や露地、表千家伝来の茶道具、古文書などの保存・継承するとともに利休の茶の湯を継承し、茶道を通した日本文化の向上と発展に貢献することを目的とした団法人「不審庵」 を設立。 平成二十四年(2012年)、法改正に伴い「一般財団法人不審庵」に名称を変更。 表千家歴代の年忌や全国各地で執り行われる献茶式などの行事をはじめ稽古指導、各種講習会、許状(相伝)の授与、さらに千家十職や内弟子の指導育成など、さまざまな役割を担っています。 ❚ 表千家の特徴 表千家の茶の湯は、千家開祖/千宗易利休が大成した「わび茶」の精神を基盤としています。 華やかさよりも質素さを重んじ、目で見る美ではなく心で感じる美を尊びます。 茶道 さどう SADOU (SADO) お辞儀 八の字に両手をつき、約30度の角度でお辞儀。 正座 男性:男性は安定する広さに膝をあける。 女性:膝をこぶしひとつ程度開く。 足の運び 入室:左足から入室。 運び:一畳を6歩で歩く。 薄茶 泡をあまり立てず 帛紗 男性:紫。 女性:赤。 茶筅 煤竹 菓子器 (薄茶) 喰籠 ❚ まとめ 表千家は、千利休のわび茶を正統に受け継ぎ、紀州徳川家や三井家との関係を通じて武家・町人に茶の湯を広めてきた流派です。家元制度や七事式の制定を通じて茶道教育の基盤を整え、茶室「不審菴」や庭園・露地などの伝統建造物とともに、現代においても利休の精神を受け継いでいます。 今日では一般財団法人不審菴(家元機構)と一般社団法人表千家同門会(社中組織)が協力し、伝統と現代を結ぶ茶の湯を展開することで、表千家は日本文化の中心として多くの人々に親しまれています。

  • 1-2|不審庵とは|茶室|表千家|不審庵|三千家

    三千家 ■ 表千家|不審庵 ■ 不審庵とは ❚ 茶室 ―不審庵― 表千家を象徴するもう一つの呼称に、庵号である「不審庵~ふしんあん~」があります。 「不審庵」とは、表千家を代表する茶室の庵号であり、今日では表千家の屋敷全体や組織全体を指す名称としても用いられています。 不審庵の名は千家開祖/千宗易利休(1522-1591)の時代からすでに使われており、千家開祖/千宗易利休が大徳寺門前の屋敷に建てた四畳半の茶室に額が掲げられていました。他にも「不審庵」と称する四畳半の茶室がいくつかあったと伝わります。 千家開祖/千宗易利休の子である千家二代/千少庵宗淳(1546-1614)は千家を再興し、利休の大坂屋敷にあった茶室を再現した「深三畳台目」に「不審庵」の名を付けたとされます(諸説あり)。 さらに、孫・千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)は父・千家二代/千少庵宗淳の没後、祖父・千家開祖/千宗易利休所持の障子や躙口の戸などの古材を用いて「床なしの一畳半」を建て、「不審庵」と称しました。 この千家三代/咄々斎元伯宗旦の不審庵は、息子・表千家四代/逢源斎江岑宗左(1613-1672)に受け継がれるが、正保三年(1646年)にこれを畳み、新たに平三畳台目の茶室を建てます。 これが、現在まで伝わる表千家の平三畳台目「不審庵」の始まりとなっています。 ❚ 不審庵の変革 表千家四代/逢源斎江岑宗左が建てた「不審庵」は、もとは表千家の茶室「残月亭」の南側に接して建てられており、間の狭い部分に水屋を設けたため、茶道口が点前座の風炉先側に開くという、やや変則的な構えとなっています。 この不審庵は天明八年(1788年)の「天明の大火」で焼失しましたがその後再興され、「残月亭」の南側から離れ独立した建物となりました。 さらに明治三十九年(1907年)にも焼失しましたが、大正二年(1913年)に忠実に旧構を踏襲して再建され、今日の姿に至っています。 不審庵の内部は、横に長い三畳台目で躙口を右隅に、正面に床の間、その隣に給仕口を配しています。床柱には赤松皮付丸太、相手柱にはあて丸太、床框には筋入の北山丸太を用い、全体が質素で端正な千家流の意匠で統一されています。 点前座は三種の異なる天井が交わる中心に赤松の中柱を据え、袖壁に横竹を入れ下部を吹き抜けにしています。客座側には利休流の二重棚が設けられ、台目構えの典型を示します。茶道口は風炉先側にあり、勝手付には板畳を入れて点前座にゆとりをもたせた構造です。また千家三代/咄々斎元伯宗旦の助言により採用された「釣襖」もこの席ならではの特徴となっています。 点前座の二方の壁にはくの字の腰板が張られ、後方上部に下地窓を設け、光を抑えた侘びの空間を形成しています。客座天井の突上窓も印象的で空間に静かな奥行をもたらします。 客座と点前座の間の小壁には、祖父・千家開祖/千宗易利休の参禅の師である大徳寺百十七世/古渓宗陳(1532-1597)筆の「不審菴」の扁額が掲げられています。 ❚ 庵号 ―不審庵― ​茶室「不審庵」の庵号は千家開祖/千宗易利休の参禅の師である大徳寺百十七世/古渓宗陳から賜った禅語に由来したといわれています。 ​ ​ 「不審花開今日春~ふしんはなひらくこんにちのはる~」 ―現代訳― 疑問を持つことで悟りの花が開き、今日もまた新たな春を迎える ​ この禅語は、「探究する姿勢の大切さ」や「学び続ける心」を示しており、千家開祖/千宗易利休の求道心と深く結びついています。 ❙ まとめ 不審庵は千家開祖/千宗易利休以来の侘びの精神を色濃く伝える茶室として、幾度の焼失と再建を経ながらも、今日まで表千家の中心にあり続けてきました。 その静謐で端正な佇まいは今も京都・表千家の敷地内に現存し、茶道の理念と伝統を体現する象徴的な存在として今日も多くの茶人に敬われています。

  • 1-3|表千家の資格|相伝|許状|表千家|不審庵|三千家

    三千家 ■ 表千家|不審庵 ■ 相伝 ❚ 許状とは ​茶道において、「許状」とは、稽古の各段階ごとに学ぶことが許可される「許し状」のことを指します。これは、修道の証明書や免許のようなものではなく、習得した課目に応じて次の段階へ進むことを許されるものです。 許状とは単なる修了証やライセンス(免許)ではなく、茶道の奥義へと進むための指標となります。 また、千家においては、許状に関する呼称が異なり、表千家では「相伝」、裏千家、武者小路千家では「許状」と呼ばれ、それぞれの流派において独自の許状体系が確立されています。 表千家の免状は、「相伝」と呼ばれ、師事する先生を通じて不審庵への「入門」を許された門弟には、その修業課程に応じ相伝を授与されます。 相伝の種類には、「習事」「飾物」「茶通箱」「唐物」「台天目」「盆点」があり、「盆点」の上位には、夫人の最高位となる「乱飾」、さらにその上には、家元後継者をはじめわずかの男子高弟にのみ許される「皆伝」があります。 ​ ❙ 相伝 表千家に資格制度は存在せず相伝は、一般的に、以下のような流れで相伝が与えられます。 ​​ ​1.入門 2.習事 習事八ヶ条(茶筅飾・台飾・長緒・盆香合・花所望・炭所望・組合点・仕組点)を習得 ​3.飾物 ▶飾物五ヶ条(軸飾・壺飾・茶入飾・茶碗飾・茶杓飾)を習得 4.茶通箱 ▶二種類の濃茶を同じ客に差し上げる場合の点前です。 ▶茶通箱から先は口伝となります。 5.唐物 ▶茶入が唐物の場合の濃茶点前。 6.台天目 ▶天目茶碗を台にのせて扱う濃茶点前。 7.盆点 ▶四方盆を用いた唐物点前 8.乱飾 ▶夫人の最高位 9.皆伝(または的伝) ▶家元後継者及び男子高弟にのみ許される ❚ まとめ 表千家における相伝とは、茶道の学びの段階を示すものであり、修道の課程を示すものです。 稽古を積み、各段階で許状を取得することで、より深く茶道の精神と技法を身につけることができます。 ただし、許状は「学び終えた証」ではなく、「次の段階に進むための許し」であることを理解し、日々の稽古を通じて茶道の心を磨いていくことが大切です。

  • ★1-4|表千家の茶室|表千家|不審庵|三千家

    三千家 ■ 表千家|不審庵 ■ 茶室 ❚ 茶室 ~不審庵~ ❚ 茶室 ~残月亭~ ❚ 茶室 ~点雪堂|祖堂~ ❚ 茶室 ~半古張の席~ ❚ 茶室 ~松風楼~

  • 1-5|表千家の施設|表千家|不審庵|三千家

    三千家 ■ 表千家|不審庵 ■ 施設案内 ❚ 表千家 [所 在 地] 〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入百々町536 [連 絡 先] TEL 075-432-2195 (事務局代表) [公式 HP] http://www.omotesenke.jp/ ❚ 表千家茶道会館 [所 在 地] 〒602-0005 京都府京都市上京区妙顕寺前町515-3 [連 絡 先] ― [公式 HP] ― ❚ 表千家会館 [所 在 地] 〒602-0072 京都府京都市上京区百々町536 [連 絡 先] ― [公式 HP] ― ❚ 表千家同門会本部・不審庵事務局 [所 在 地] 〒602-0072 京都府京都市上京区百々町536 表千家会館内 [連 絡 先] 075-432-2195 [公式 HP] ― ❚ 表千家北山会館 表千家北山会館は、流派を超えて茶道を学ぶ方はもちろんのこと、一般の誰もが気軽に茶の湯に触れることのできる文化会館として、平成六年(1994年)に開館。 平成八年(1996年)からは毎年秋の恒例行事として「特別展」と「茶の湯文化にふれる市民講座」を開催。 今日では裏千家茶道会館と並び、茶道の学び場として一般人をはじめ多くの茶人、茶道愛好家などから親しまれています。 [所 在 地] 〒603-8054 京都府京都市北区上賀茂桜井町61 [連 絡 先] TEL 075-724-8000 (代表) [公式 HP] https://www.kitayamakaikan.jp/ ❚ 表千家東京稽古場 [所 在 地] 〒102-0084 東京都千代田区二番町6 [連 絡 先] ― [公式 HP] ―

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