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4-1|利休の茶の湯|04.利休の茶の湯|千宗易利休|抛筌斎

全10回 抛筌斎 千宗易 利休



千利休の人物イラストと掛物「利休の茶の湯」を組み合わせた構成で、利休が提唱した茶の湯を紹介する冒頭画像。


利休の茶の湯

― 利休の茶の湯 ―






❚ 美の追求

「利休の茶の湯」では、千利休*が確立した「わび茶**」の精神とその特徴を詳しくご紹介します。



華美を排し、――無駄を削ぎ落とした簡素な美――を追求したその思想は、作法を超えて日本の精神文化や美意識にも深い影響を与えました。



それでは、「利休の茶の湯」について詳しく見ていきましょう。











❚ 機能する美とは

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利休は鎌倉時代から室町時代を通じて主流であった「書院茶湯**」の発展過程において、華美な装飾を徹底的に排除し、町衆の間で発展した簡素な茶の湯を融合・完成させ新たな茶の湯の境地を開きました。


それまで主流であった「唐物道具**」を否定し、「見立道具**」をはじめとする国産の茶道具に価値を見出し、特に樂焼(長次郎焼)**黒樂茶碗** を愛用し、 「無地」「木地」「黒」「朱」 などの簡素な美を好みました。



従来の華麗な茶の湯とは一線を画し、無駄を徹底的に削ぎ落とした機能美を追求したことで、茶の湯に大きな変革をもたらしました。











❚ わび茶の系譜と大成

利休の茶の湯は独自の茶風を示しているが、突然に生まれたわけではなく、表千家五代/随流斎良休宗左*の残した『隋流斎延紙ノ書**』に次のように記されています。



―現代訳― 「伝ハ紹鴎ニ得申、道ハ珠光ニ得申ス」 ―現代訳― 茶の湯の技術は武野紹鷗*から、精神的な道は村田珠光*から受け継がれた


すなわち利休の「わび茶(草庵茶湯)」は村田珠光の精神を受け継ぎ、それを武野紹鷗が実践し、利休によって完成されたことが示されています。



さらに天下人となった豊臣秀吉*の後援もあり「わび茶(草庵茶湯)」は大成され、広く社会に受け入れられることになりました。

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❚ 山上宗二が見た茶の湯

利休の高弟であった山上宗二*の記した『山上宗二記**』には利休の茶の湯について次のように評されています。



「宗易ハ名人ナレバ、山ヲ谷、西ヲ東ト、茶湯ノ法ヲ破リ、自由セラレテモ面白シ」 訳) 利休は名人であり、山を谷に、西を東に変えるように、茶湯の常識を破り、自由自在に工夫しても面白い



この記述からも、利休の茶の湯が既存の形式にとらわれず、自由な発想と創造性に満ちたものであったことがわかる。










❚ 二平寿悦の証言

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慶長十七年(1612年)、二平寿悦*奥書**『僊林**』には利休の茶の湯の特徴が次のように記されている。



―原文― 「当世の茶湯とハ、宗易と云数寄者、むかしのくどきことを除、手まへかるく、手数すくなく、かんなる所ヲ本とす。茶わんにても、こ(濃)き・うす(薄)きの替をかんようにたてつれバなり、座敷のひろ(広)き・せば(狭)きによらず左かまへなり、又道具ヲはこぶ事、ミな侘数寄の仕舞也、殊ニ茶のいき(息)ぬかすまじきため、ひしやく大にして一ひしやく立ル也」 ―現代訳― 「現代の茶湯というものは、宗易(千利休)という数寄者(茶人)が、昔ながらの細々とした決まりごとを取り払い、手順を簡略化し、無駄のない簡素なあり方を本質としたものである。茶碗に関しても、濃茶**と薄茶**を交互に点てることを工夫し、座敷の広さや狭さに関わらず、それに応じた柔軟な構えで行う。また、道具を運ぶ際もすべて「わび茶」の精神に基づいた所作となっており、特に、茶を点てる際に呼吸を乱さないよう、柄杓を大きめにして、一度で湯をすくいきるようにしている。」




これは利休がこれまでの茶の湯から細かな決まりを省き、合理的かつ機能的な点前と、どんな場所・条件でも一貫した構えを取る柔軟性が特徴と論されている。











❚ 精神性と思想

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南坊宗啓*による『南方録**』には利休の茶の湯について次のように記されている。



「茶湯は台子を根本とすることなれども、心の至る所は、草の小座敷にしとくことなし」



「小座敷の茶湯は、第一仏法を以って修行得道する事也」



この言葉は、利休が「茶の湯」を単なる嗜好や社交ではなく、禅に結び付いた精神修養の場であることを諭しています。











❚ 利休の茶の湯の特徴

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利休が提唱した「一期一会**」「一汁一菜**」という概念からもわかるように利休の「わび茶(草庵茶湯)」には禅の教えが色濃く反映されており、以下のような特徴が挙げられる。


■ シンプルで無駄のない美

……… 「見立道具」 を重視し、樂焼を愛好。

過度な装飾を排し、機能美を追求。


■ 草庵茶湯の確立

……… 茶室を狭小化し、「躙り口**」 を設けることで、亭主と客が同じ目線で向き合う空間を作り出す。


■ 席中の平等

……… 武士の帯刀**を禁じ、身分の違いを取り払った茶室空間 を構築。


■ 一期一会の精神

……… 茶会は一度きりの出会いであるという禅の思想を反映し、その一瞬にすべてをかける茶の湯 を提唱。


■ 一汁一菜の質素な食事

……… 茶事の食事(懐石料理**)にも「禅」の思想を取り入れ、過度な贅沢を避け、質素ながらも心のこもったもてなし を重視。












❚ 利休の茶の湯


利休以前 (書院茶湯)

利休以後 (草庵茶湯)

主な空間

書院造 (広間・装飾豊か)

草庵風 (狭小・簡素)

茶室の広さ

8畳以上が主流

2畳~4畳半

入室方法

広間正面から堂々と入る

にじり口から頭を下げて入る

主な茶道具

唐物・名物

見立道具・国産道具

客の扱い

身分差に応じた接待

武士も刀を外し平等に着座

装飾

花鳥風月などの豪華な意匠

無地・黒・木地などの簡素な意匠











❚ プロデューサーRIKYU

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これまでに述べたように、利休は、単なる茶人の枠にとどまらず、当時の「美」の概念そのものを革新し、――美の巨匠――――美のプロデューサー――としての役割を果たしました。



利休が大成させた「わび茶(草庵茶湯)」は、単なる茶の湯の様式にとどまらず、日本人の美意識をかたちづくる礎となった精神文化です。



これは、東山文化**における将軍や貴族の「書院茶湯」と、町衆が育んだ「茶の湯」の流れを統合し、簡素で精神性の高い「わび茶(草庵茶湯)」へと昇華させたものです。



利休の茶の湯は、形式から精神へと軸を移し、従来の茶湯とは一線を画す総合芸術として確立され、日本文化における美と精神の融合を象徴する存在となったのです。












❚ 次回は・・・

次回の「5-1|利休四規とは?|05.利休四規」では、千利休が茶の湯の理想として示した四つの規範について、その由来と意味を概観します。


利休が生涯をかけて追求した茶の精神が、どのような言葉として結実したのか、後世に与えた影響も含めて丁寧にご紹介します。










 

登場人物


  • 千利休|せん・りきゅう

……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年


  • 随流斎宗左|ずいりゅうさ・いそうさ

……… 。


  • 武野紹鴎|たけの・じょうおう

……… 。


  • 村田珠光|むらた・じゅこう(しゅこう)

……… 。


  • 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし

……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年


  • 山上宗二|やまのうえ・そうじ

……… 。


  • 二平寿悦|にへい・じゅえつ

……… 。


  • 南坊宗啓|なんぼう・そうけい

……… 。











 

用語解説


  • 草庵茶湯

……… 。


  • 書院茶湯

……… 武家や公家の屋敷で行われた格式高い茶の湯。装飾や唐物名物を重視。


  • 唐物道具|からものどうぐ

……… 。


  • 見立道具|みたてどうぐ

……… 。


  • 黒樂茶碗|くろらくちゃわん

……… 。


  • 隋流斎延紙ノ書|

……… 。


  • 山上宗二記|やまがみそうじき

……… 。


  • 奥書|おくしょ

……… 。


  • 僊林|せんりん

……… 。


  • 濃茶|こいちゃ

……… 。


  • 薄茶|うすちゃ

……… 。


  • 南方録|なんぽうろく

……… 。


  • 一期一会|いちごいちえ

……… 。


  • 一汁三菜|いちじゅうさんさい

……… 。


  • 躙り口|にじりぐち

……… 。


  • 懐石料理|かいせきりょうり

……… 。


  • 東山文化|ひがしやまぶんか

……… 。











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茶道具|中古道具市
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