4-1|利休の茶の湯|04.利休の茶の湯|千宗易利休|抛筌斎
- ewatanabe1952

- 2023年6月1日
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全10回 抛筌斎 千宗易 利休

利休の茶の湯
― 利休の茶の湯 ―
❚ 美の追求
「利休の茶の湯」では、千利休*が確立した「わび茶**」の精神とその特徴を詳しくご紹介します。
華美を排し、――無駄を削ぎ落とした簡素な美――を追求したその思想は、作法を超えて日本の精神文化や美意識にも深い影響を与えました。
それでは、「利休の茶の湯」について詳しく見ていきましょう。
❚ 機能する美とは

利休は鎌倉時代から室町時代を通じて主流であった「書院茶湯**」の発展過程において、華美な装飾を徹底的に排除し、町衆の間で発展した簡素な茶の湯を融合・完成させ新たな茶の湯の境地を開きました。
それまで主流であった「唐物道具**」を否定し、「見立道具**」をはじめとする国産の茶道具に価値を見出し、特に樂焼(長次郎焼)**の黒樂茶碗** を愛用し、 「無地」「木地」「黒」「朱」 などの簡素な美を好みました。
従来の華麗な茶の湯とは一線を画し、無駄を徹底的に削ぎ落とした機能美を追求したことで、茶の湯に大きな変革をもたらしました。
❚ わび茶の系譜と大成
利休の茶の湯は独自の茶風を示しているが、突然に生まれたわけではなく、表千家五代/随流斎良休宗左*の残した『隋流斎延紙ノ書**』に次のように記されています。
❝
―現代訳― 「伝ハ紹鴎ニ得申、道ハ珠光ニ得申ス」 ―現代訳― 茶の湯の技術は武野紹鷗*から、精神的な道は村田珠光*から受け継がれた
❝
すなわち利休の「わび茶(草庵茶湯)」は村田珠光の精神を受け継ぎ、それを武野紹鷗が実践し、利休によって完成されたことが示されています。
さらに天下人となった豊臣秀吉*の後援もあり「わび茶(草庵茶湯)」は大成され、広く社会に受け入れられることになりました。
❚ 山上宗二が見た茶の湯
利休の高弟であった山上宗二*の記した『山上宗二記**』には利休の茶の湯について次のように評されています。
❝
「宗易ハ名人ナレバ、山ヲ谷、西ヲ東ト、茶湯ノ法ヲ破リ、自由セラレテモ面白シ」 訳) 利休は名人であり、山を谷に、西を東に変えるように、茶湯の常識を破り、自由自在に工夫しても面白い
❞
この記述からも、利休の茶の湯が既存の形式にとらわれず、自由な発想と創造性に満ちたものであったことがわかる。
❚ 二平寿悦の証言

慶長十七年(1612年)、二平寿悦*の奥書**『僊林**』には利休の茶の湯の特徴が次のように記されている。
❝
―原文― 「当世の茶湯とハ、宗易と云数寄者、むかしのくどきことを除、手まへかるく、手数すくなく、かんなる所ヲ本とす。茶わんにても、こ(濃)き・うす(薄)きの替をかんようにたてつれバなり、座敷のひろ(広)き・せば(狭)きによらず左かまへなり、又道具ヲはこぶ事、ミな侘数寄の仕舞也、殊ニ茶のいき(息)ぬかすまじきため、ひしやく大にして一ひしやく立ル也」 ―現代訳― 「現代の茶湯というものは、宗易(千利休)という数寄者(茶人)が、昔ながらの細々とした決まりごとを取り払い、手順を簡略化し、無駄のない簡素なあり方を本質としたものである。茶碗に関しても、濃茶**と薄茶**を交互に点てることを工夫し、座敷の広さや狭さに関わらず、それに応じた柔軟な構えで行う。また、道具を運ぶ際もすべて「わび茶」の精神に基づいた所作となっており、特に、茶を点てる際に呼吸を乱さないよう、柄杓を大きめにして、一度で湯をすくいきるようにしている。」
❞
これは利休がこれまでの茶の湯から細かな決まりを省き、合理的かつ機能的な点前と、どんな場所・条件でも一貫した構えを取る柔軟性が特徴と論されている。
❚ 精神性と思想

南坊宗啓*による『南方録**』には利休の茶の湯について次のように記されている。
❝
「茶湯は台子を根本とすることなれども、心の至る所は、草の小座敷にしとくことなし」
❞
❝
「小座敷の茶湯は、第一仏法を以って修行得道する事也」
❞
この言葉は、利休が「茶の湯」を単なる嗜好や社交ではなく、禅に結び付いた精神修養の場であることを諭しています。
❚ 利休の茶の湯の特徴

利休が提唱した「一期一会**」や「一汁一菜**」という概念からもわかるように利休の「わび茶(草庵茶湯)」には禅の教えが色濃く反映されており、以下のような特徴が挙げられる。
■ シンプルで無駄のない美
……… 「見立道具」 を重視し、樂焼を愛好。
過度な装飾を排し、機能美を追求。
■ 草庵茶湯の確立
……… 茶室を狭小化し、「躙り口**」 を設けることで、亭主と客が同じ目線で向き合う空間を作り出す。
■ 席中の平等
……… 武士の帯刀**を禁じ、身分の違いを取り払った茶室空間 を構築。
■ 一期一会の精神
……… 茶会は一度きりの出会いであるという禅の思想を反映し、その一瞬にすべてをかける茶の湯 を提唱。
■ 一汁一菜の質素な食事
……… 茶事の食事(懐石料理**)にも「禅」の思想を取り入れ、過度な贅沢を避け、質素ながらも心のこもったもてなし を重視。
❚ 利休の茶の湯
利休以前 (書院茶湯) | 利休以後 (草庵茶湯) | |
主な空間 | 書院造 (広間・装飾豊か) | 草庵風 (狭小・簡素) |
茶室の広さ | 8畳以上が主流 | 2畳~4畳半 |
入室方法 | 広間正面から堂々と入る | にじり口から頭を下げて入る |
主な茶道具 | 唐物・名物 | 見立道具・国産道具 |
客の扱い | 身分差に応じた接待 | 武士も刀を外し平等に着座 |
装飾 | 花鳥風月などの豪華な意匠 | 無地・黒・木地などの簡素な意匠 |
❚ プロデューサーRIKYU

これまでに述べたように、利休は、単なる茶人の枠にとどまらず、当時の「美」の概念そのものを革新し、――美の巨匠――、――美のプロデューサー――としての役割を果たしました。
利休が大成させた「わび茶(草庵茶湯)」は、単なる茶の湯の様式にとどまらず、日本人の美意識をかたちづくる礎となった精神文化です。
これは、東山文化**における将軍や貴族の「書院茶湯」と、町衆が育んだ「茶の湯」の流れを統合し、簡素で精神性の高い「わび茶(草庵茶湯)」へと昇華させたものです。
利休の茶の湯は、形式から精神へと軸を移し、従来の茶湯とは一線を画す総合芸術として確立され、日本文化における美と精神の融合を象徴する存在となったのです。
❚ 次回は・・・
次回の「5-1|利休四規とは?|05.利休四規」では、千利休が茶の湯の理想として示した四つの規範について、その由来と意味を概観します。
利休が生涯をかけて追求した茶の精神が、どのような言葉として結実したのか、後世に与えた影響も含めて丁寧にご紹介します。
登場人物
千利休|せん・りきゅう
……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年
随流斎宗左|ずいりゅうさ・いそうさ
……… 。
武野紹鴎|たけの・じょうおう
……… 。
村田珠光|むらた・じゅこう(しゅこう)
……… 。
豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし
……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年
山上宗二|やまのうえ・そうじ
……… 。
二平寿悦|にへい・じゅえつ
……… 。
南坊宗啓|なんぼう・そうけい
……… 。
用語解説
草庵茶湯
……… 。
書院茶湯
……… 武家や公家の屋敷で行われた格式高い茶の湯。装飾や唐物名物を重視。
唐物道具|からものどうぐ
……… 。
見立道具|みたてどうぐ
……… 。
黒樂茶碗|くろらくちゃわん
……… 。
隋流斎延紙ノ書|
……… 。
山上宗二記|やまがみそうじき
……… 。
奥書|おくしょ
……… 。
僊林|せんりん
……… 。
濃茶|こいちゃ
……… 。
薄茶|うすちゃ
……… 。
南方録|なんぽうろく
……… 。
一期一会|いちごいちえ
……… 。
一汁三菜|いちじゅうさんさい
……… 。
躙り口|にじりぐち
……… 。
懐石料理|かいせきりょうり
……… 。
東山文化|ひがしやまぶんか
……… 。

