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  • 9-3|大師会とは ~日本文化を守った茶会~|第9回 茶の湯の救世主|明治時代|茶道の歴史

    全10回 茶道の歴史 ■ 第9回 茶の湯の救世主 [3/5] ■ 明治時代 (1868年―1912年) ❚ 目次 01.茶会が文化を支える場に 02.益田鈍翁と文化保存の茶会 03.二大茶会の成立とその意義 04.美と精神をつなぐ一碗 登場人物 用語解説 ❚ 登場人物 益田鈍翁 ……… 三井財閥|実業家|数寄者|孝|1848-1938 空海 ……… 真言宗開祖|弘法大師|774―835|高野山「金剛峯寺」建立|遣唐使 狩野探幽 ……… 狩野派絵師|1602-1674 本阿弥光悦 ……… 芸術家|陶芸家|刀剣鑑定家|1558-1637 ❚ 01.茶会が文化を支える場に 茶の湯は、どのようにして“文化保存”の場となったのでしょうか。 園遊会形式で開催された壮大な茶会が、日本の美術や精神文化を守りました。 一服の茶を媒介に、書画・仏教・工芸が一堂に会した空間。 今回は、明治の「大師会」から、茶の湯と文化保護の歩みをひもときます。 ​​​ ❚ 02.益田鈍翁と文化保存の茶会 明治時代 (1868-1912) 、数寄者と呼ばれる実業家や政財界人たちの尽力により、茶道は再興の道を歩み始めました。​ その中心人物のひとりが、 三井物産の初代社長であった益田鈍翁(1848-1938)です。 益田鈍翁は、茶道をはじめとする日本文化を保存・発展させる活動に情熱を注ぎ、とくに仏教美術や書画などを取り入れた大規模な茶会を開催しました。 ​その代表例が、明治二十九年(1896年)に開催された大師会です。 きっかけは、彼が入手した弘法大師/空海(774-835)の「崔子玉座右銘」の古写本でした。 これは江 戸時代(1603-1868) の名絵師である狩野探幽( 1602-1674 )が秘蔵していたとされる名品であり、仏教と文化を結ぶ象徴的な遺品でもありました。 ​ ■ 空海 ■ 読み:くうかい 生年:774-835 分類:真言宗の開祖 弘法大師の名で親しまれる高僧。唐に留学し密教を修得、帰国後に高野山を開いた。文化的側面にも長け、茶の種子や製法を持ち帰ったとされ、日本の茶文化の起源の一人とされる。 ■ 崔子玉座右銘 ■ 読み:さいしぎょくざゆうめい 分類:格言集 中国・後漢時代(25-220)の文人/崔瑗(崔子玉)(78-1430)によって記された格言集で、処世訓や人生訓を簡潔な文で綴った作品。「善は急げ、悪は遅らせよ」「心を正しくして行いを慎め」など、日常の行動指針となる言葉が多数含まれている。中国・唐代(618-907)以降、日本にも伝わり、武士や文人、茶人たちにも愛読されました。道徳と教養を備えるための手引きとして、今なお読み継がれている。 ■ 狩野探幽 ■ 読み:かのうたんゆう 生年:1602-1674 分類:絵師 江戸時代(1603-1868)前期を代表する絵師で、狩野永徳の孫。わずか15歳で徳川将軍家に仕え、御用絵師として二条城・名古屋城・江戸城などの障壁画を多数手がける。雄大で洗練された構図、抑制の効いた筆致により、「探幽様式」と称される独自の美を確立。狩野派の中でもとりわけ高く評価され、後世の絵師たちに大きな影響を与える。 ❚ 03.二大茶会の成立とその意義 この大師会は弘法大師/空海の命日である3月21日にあわせ、自邸で催された茶会でありながら、従来のような少人数での開催ではなく、多くの招待客を一度に迎える「大寄茶会」として実施されました。 ​ 国内における最高峰の逸品、名品の展示と茶の湯を融合した新たな形式は大きな話題を呼び、政財界の名士たちがこぞって出席。 ❝ 招かれなければ面目が立たぬ ❞ とまで言われるほどの影響力を持ち、茶道は文化の中心として再び光を放つこととなりました。 ​ 一方、西の京都では、江戸時代初期の芸術家『本阿弥光悦』を偲ぶ『光悦会』が、鷹峯の「光悦寺」にて春に開催されるようになります。 ​ こうして、東の大師会、西の光悦会は、文化と美を守る茶会として定着。今日でも続く日本を代表する二大茶会として多くの茶人たちに親しまれています。 ■ 本阿弥光悦 ■ 読み:ほんあみこうえつ 生年:1558-1637 分類:刀剣鑑定家|芸術家 江戸時代(1603-1868)初期の芸術家・文化人で、書・陶芸・漆芸・茶の湯など多彩な分野で才能を発揮。刀剣鑑定の家系に生まれ、「寛永の三筆」に数えられる名筆家でもあります。徳川家康から洛北・鷹峯の地を拝領し、芸術村「光悦村」を築いて多くの職人と共に創作活動を行う。樂焼茶碗や蒔絵に見られる独創性と美意識は、のちの琳派にも影響を与え、日本美術史に大きな足跡を残す。 ■ 光悦会 ■ 読み:こうえつかい 分類:茶会 江戸時代(1603-1868)初期の芸術家/本阿弥光悦(1558-1637)を偲ぶと共に関西茶道界の力を誇示しようとしていた茶道具商/土橋嘉兵衛(生没年不詳)・茶道具商/山中定次郎(1866-1936)らを世話役に実業家/馬越化生(1844-1933)・益田鈍翁(1848-1938)・実業家/三井孝弘松風庵(1849-1919)などの賛助を得て大正四年(1915)、実業家/三井孝弘松風庵を会長にして発足。今日では11月11日~13日の日程で東京、京都、大阪、名古屋、金沢の五都美術商が世話役となり開催されています。 ❚ 04.美と精神をつなぐ一碗 文化というものは一朝一夕には守れません。 大師会に集った人々は、茶の湯を通じて美術や精神文化の再評価を促しました。 一碗のお茶に、仏教の思想や美の記憶が宿る――。 次回は、こうした明治時代(1868-1912)の動きが、教育や外交の場にまで広がり、現代へとつながる茶道の新しい展開へと進んでいく様子を見ていきましょう。 登場人物 益田鈍翁 読み:ますだ・どんのう 生年:1848-1938 分類:実業家|数寄者 明治から昭和初期にかけて活躍した人物で、本名は益田孝。三井物産の初代社長として近代経済界を支える一方、茶道・書画・能楽などの文化保護にも尽力。とくに茶の湯では独自の審美眼と収集で知られ、「近代数寄者の祖」と称されます。多くの名物道具を伝世し、近代茶道の復興と美術振興に大きな足跡を残す。 空海 読み:くうかい 生年:774年―835年 分類:真言宗の開祖 弘法大師の名で親しまれる高僧。唐に留学し密教を修得、帰国後に高野山を開いた。文化的側面にも長け、茶の種子や製法を持ち帰ったとされ、日本の茶文化の起源の一人とされる。 狩野淡幽 読み:かのうたんゆう 生年:1602-1674 分類:絵師 江戸時代(1603-1868)前期を代表する絵師で、狩野永徳の孫。わずか15歳で徳川将軍家に仕え、御用絵師として二条城・名古屋城・江戸城などの障壁画を多数手がける。雄大で洗練された構図、抑制の効いた筆致により、「探幽様式」と称される独自の美を確立。狩野派の中でもとりわけ高く評価され、後世の絵師たちに大きな影響を与える。 本阿弥光悦 読み:ほんあみこうえつ 生年:1558-1637 分類:刀剣鑑定家|芸術家 江戸時代(1603-1868)初期の芸術家・文化人で、書・陶芸・漆芸・茶の湯など多彩な分野で才能を発揮。刀剣鑑定の家系に生まれ、「寛永の三筆」に数えられる名筆家でもあります。徳川家康から洛北・鷹峯の地を拝領し、芸術村「光悦村」を築いて多くの職人と共に創作活動を行う。樂焼茶碗や蒔絵に見られる独創性と美意識は、のちの琳派にも影響を与え、日本美術史に大きな足跡を残す。 用語解説 大師会 読み:たいしかい 分類:ちゃかい 明治二十七年(1894) に三井物産の創始者であり茶人でもある益田鈍翁(1848-1938)は江戸時代(1603-1868)初期の名絵師である狩野探幽(1602-1674)が秘蔵していたという弘法大師/空海(774-835)の「崔子玉座右銘」一巻を入手。明治二十九年(1896)の弘法大師/空海の命日(3月21日)に自宅にて大師会を開催。その後「三渓園」「畠山美術館」「護国寺」と会場を移しながら、昭和四十九年(1974)より「根津美術館」に引き継がれ今日でも毎年春に開催されています。 大寄茶会 読み:おおよせちゃかい 分類:茶会 多人数を招いて行う大規模な茶会で、茶の湯本来の「一客一亭」の精神から派生した形式。明治時代(1868-1912)以降に広まり、寺院や美術館、公園などの広い会場で、不特定多数の来場者を対象に開催。複数の流派や席主が点前を披露し、参加者は自由に席を巡り茶の湯を体験できます。格式にとらわれず初心者も参加しやすいため、茶道の普及や地域文化の振興に寄与しています。

  • 9-2|数寄者の功績 ~茶道を救った男たち~|第9回 茶の湯の救世主|明治時代|茶道の歴史

    全10回 茶道の歴史 ■ 第9回 茶の湯の救世主 [2/5] ■ 明治時代 (1868年―1912年) ❚ 目次 01.数寄の心が文化をつないだ 02.新たな担い手「数寄者」の登場 03.守る、伝える、つなげる 04.茶の湯をつないだ「こころ」 登場人物 用語解説 ❚ 登場人物 益田鈍翁 ……… 三井財閥|実業家|数寄者|孝|1848-1938 井上馨 ……… 政治家|実業家|1836-1915 明治天皇 ……… 第百二十二代天皇|1852-1912 ❚ 01.数寄の心が文化をつないだ 茶の湯は、誰によって近代へと受け継がれたのでしょうか? 大名に代わって文化を支えたのは、新時代を切り拓く実業家たちの美意識と情熱でした。 茶室を再建し、茶会を開き、道具を守る——―。 今回は、明治時代(1868-1912)の危機にあって茶道を再生へと導いた「数寄者」の存在に注目します。 ​​​ 数寄者 読み:すきしゃ 茶道・香道・和歌・書画などの風雅な趣味を深く愛し、造詣を持つ人物を指します。特に茶の湯においては、単なる愛好者にとどまらず、道具の選定やしつらい、もてなしの精神に至るまで、洗練された美意識と教養を備えた人が数寄者と称されます。 ❚ 02.新たな担い手「数寄者」の登場 明治時代(1868-1912)に入って茶道は深刻な衰退期を迎えることとなりました。 そんな中で救世主として現れたのが、明治以降に台頭した「数寄者」と呼ばれる実業家や財界人たちでした。とりわけ著名なのが三井物産の初代社長であった益田鈍翁(1848-1938)です。 益田鈍翁は三井財閥の中心的人物でありながら、茶の湯を深く愛し、その発展と保存に生涯を捧げました。また、同時期に茶道の再生に大きな貢献をしたのが、政治家であり実業家であった井上馨(1836-1915)です。 井上馨は明治政府の外務卿などを歴任しながら、伝統文化の保護にも情熱を注ぎました。 井上馨は、奈良・東大寺四聖坊にあった茶室「八窓庵」が取り壊され、風呂の薪として売られようとしていたところを耳にし、三十円でこれを購入し、東京・鳥居坂の自邸へと移築しました。 ​ そして明治二十年(1887年)、その完成披露に「明治天皇」が行幸した ことで、明治期以降に衰退していた茶の湯に再び注目が集まることとなりました。 ​ 益田鈍翁 読み:ますだ・どんのう 生年:1848-1938 分類:実業家|数寄者 明治から昭和初期にかけて活躍した人物で、本名は益田孝。三井物産の初代社長として近代経済界を支える一方、茶道・書画・能楽などの文化保護にも尽力。とくに茶の湯では独自の審美眼と収集で知られ、「近代数寄者の祖」と称される。 井上馨 読み:いのうえ・かおる 生年:1836-1915 出自:長州藩 分類:政治家|数寄者 幕末から明治にかけて活躍した人物で外務大臣、大蔵大臣、内務大臣などを歴任。欧化政策を推進し、鹿鳴館の建設でも知られる。一方で茶道や芸術にも理解が深く、数寄者としても文化人との交流を重ね、政治と文化の両面で近代日本の形成に大きな影響を与えた。 八窓庵 読み:はっそうあん 分類:茶室 奈良・東大寺四聖坊にあった茶室。明治時代(1868-1912)に井上馨(1836-1915)が取り壊されそうになったのを買い取り、東京に移築。茶道再興の象徴的な存在となった。 ❚ 03.守る、伝える、つなげる 「数寄者」たちは、その莫大な財力をもとに、美術品としての茶道具を集めるだけでなく、茶室を再建し、茶会を開き、茶道の世界に実践者として深く関わることで、その存続と再興を実現したのです。 ​ 財界人、政治家、文化人たちが一体となって伝統を再生しようとするこの動きこそ、今日に続く近代茶道の基盤となりました。 ❚ 04.茶の湯をつないだ「こころ」 武士が去り、時代が変わっても、茶の湯の灯は消えませんでした。 それを守り育てたのは、新しい時代を担った数寄者たちの手でした。 道具を残し、精神を継ぎ、場をつくる――。 彼らの美意識と行動力が、茶道を近代へと導いたのです。 次回は、そうして築かれた近代茶道がどのようにして「教育」や「国際交流」に展開していったのかを見ていきましょう。 登場人物 益田鈍翁 読み:ますだ・どんのう 生年:1848-1938 分類:実業家|数寄者 明治から昭和初期にかけて活躍した人物で、本名は益田孝。三井物産の初代社長として近代経済界を支える一方、茶道・書画・能楽などの文化保護にも尽力。とくに茶の湯では独自の審美眼と収集で知られ、「近代数寄者の祖」と称されます。多くの名物道具を伝世し、近代茶道の復興と美術振興に大きな足跡を残す。 井上馨 読み:いのうえ・かおる 生年:1836-1915 分類:政治家|数寄者 幕末から明治にかけて活躍した政治家。長州藩出身で、明治政府では外務・大蔵・内務大臣などを歴任。欧化政策を推進し、鹿鳴館の建設でも知られる。一方で茶道や芸術にも理解が深く、数寄者としても文化人との交流を重ねました。政治と文化の両面で近代日本の形成に大きな影響を与えた人物です。 明治天皇 読み:めいじてんのう 生年:1852-1912 分類:第百二十二代天皇 用語解説 数寄者 読み:すきしゃ 分類:用語 茶道・香道・和歌・書画などの風雅な趣味を深く愛し、造詣を持つ人物を指します。特に茶の湯においては、単なる愛好者にとどまらず、道具の選定やしつらい、もてなしの精神に至るまで、洗練された美意識と教養を備えた人が数寄者と称されます。千利休や織田有楽斎、松平不昧などがその代表で、数寄者の精神は、現代の茶人にも大きな影響を与え続けています。 三井財閥 読み:みついざいばつ 分類:企業 ―。 三井物産 読み:みついぶっさん 分類:企業 ―。 八窓庵 読み:はっそうあん 分類:茶室 奈良・東大寺四聖坊にあった茶室。明治時代に井上馨が取り壊されそうになったのを買い取り、東京に移築。茶道再興の象徴的な存在となった。

  • 9-1|失われた茶の湯 ~明治維新と茶の衰退~|第9回 茶の湯の救世主|明治時代|茶道の歴史

    全10回 茶道の歴史 ■ 第9回 茶の湯の救世主 [1/5] ■ 明治時代 (1868年―1912年) ❚ 目次 01.文明開化の波に消えかけた茶の湯 02.明治維新による価値観の転換 03.再興のための努力 04.​“こころ”としての再出発 登場人物 用語解説 ❚ 登場人物 圓能斎 ……… 裏千家十三代御家元|鉄中宗室|1872-1924|裏千家十二代/又玅斎の長男 玄々斎 ……… 裏千家十一代御家元|精中宗室|1810-1877|松平乗友の子 ❚ 01.文明開化の波に消えかけた茶の湯 文明開化の時代、茶の湯はなぜ姿を消しかけたのでしょうか? 時代の波に飲まれながらも、再興の希望は失われなかった——―。 大名文化から町人文化へ、そして近代化の荒波のなか、茶の湯は大きな試練に直面しました。 今回は、明治時代における茶の衰退と、その先に見えた再生の兆しをたどります。 文明開化 読み:ぶんめいかいか 明治維新以後に急速に進んだ日本の近代化・西洋化を象徴する言葉。政治、教育、衣食住、風俗などあらゆる分野において西洋の制度や文化が導入され、鉄道の開通、ガス灯の普及、洋装の広まりなどがその象徴とされました。 ​​​ ❚ 02.明治維新による価値観の転換 江戸幕府の崩壊と 明治維新を契機に、 日本は急速な西欧化と近代化を迎えました。 これにより、それまで日本文化の中核にあった茶の湯もまた、大きな転換点を迎えることとなります。 衰退の大きな要因となったのは、茶の湯を支えてきた「大名」や「武士」の没落です。 これにより経済的・文化的な支援基盤を失い、茶道そのものが存続の危機に立たされました。 また、西洋の生活様式や思想が急速に広まり、日本文化全体への関心が低下。 茶室、茶道具、作法といった文化の一つひとつが「時代遅れ」とされる風潮が強まりました。 ​ 実際、明治四年(1871年)には姫路・酒井家の由緒ある茶道具が売りに出されたものの、ほとんど買い手がつかず、仏像や書画も二束三文で売却されるという悲惨な状況が記録されています。 ​ 明治維新 読み:めいじいしん 幕末から明治初期にかけて行われた日本の政治・社会の大変革。江戸幕府が倒れ、天皇中心の中央集権国家が築かれたことで、封建制度が廃止され、近代国家への道が開かれました。 ​​​ ❚ 03.再興のための努力 このような状況の中でも、茶道界は再興の道を模索していました。 ​とくに裏千家十三代/圓能斎鉄中宗室(1872-1924)は、一時東京へ居を移し、当時の有力財界人と交流しながら茶道の存在を再認識させる努力を続けました。 ​さらに、三千家の御家元たちも教育界との連携を進め、「女性の教養」として茶道を学校教育(教養科目)に取り入れる動きが始まりました。 こうして茶道は「遊芸」から「教養」へと立ち位置を変えていくのです。 ​ この時代には、 「立礼式」の導入や 、和洋折衷の点前様式の模索など、現代につながる数々の工夫と発明がなされました。 立礼式 読み:りゅうれいしき 明治時代(1868-1912)に裏千家十一代/玄々斎精中宗室 (1810-1877)によって考案された、椅子とテーブルを用いる茶道の点前形式。 ​​​ ❚ 04.​“こころ”としての再出発 大きな衰退を経験しながらも、茶道はこの明治時代をきっかけに、再び“日本のこころ”として復活の兆しを見せ始めたのです。 明治という変革の時代に、一度は衰退の淵に立たされた茶の湯。 しかしその陰で、伝統を守り、未来へとつなぐ人々の努力がありました。 茶道は“教養”として新たな意義を得ながら、現代の文化として息を吹き返します。 次回は、この再興を支えた人物たちの功績をたどります。 登場人物 圓能斎鉄中宗室 読み:えんのうさいてっちゅうそうしつ 生年:1872-1924 分類:裏千家十三代御家元 ―。 圓能斎鉄中宗室 読み:げんげんさいせいちゅうそうしつ 生年:1810-1877 分類:裏千家十一代御家元 ―。 用語解説 文明開化 読み:ぶんめいかいか 明治維新以後に急速に進んだ日本の近代化・西洋化を象徴する言葉です。政治・教育・衣食住・風俗などあらゆる分野において西洋の制度や文化が導入され、鉄道の開通、ガス灯の普及、洋装の広まりなどがその象徴とされました。従来の生活様式や価値観が大きく変化し、伝統と革新が交錯する中で、新たな国民意識と文化の形成が進められました。文明開化は近代国家への第一歩を示す時代の象徴です。 明治維新 読み:めいじいしん 幕末から明治初期にかけて行われた日本の政治・社会の大変革で、1868年の王政復古を契機に始まりました。江戸幕府が倒れ、天皇中心の中央集権国家が築かれたことで、封建制度が廃止され、近代国家への道が開かれました。地租改正・廃藩置県・四民平等などの政策が進められ、西洋文明の導入とともに日本は急速な近代化を遂げました。明治維新は、日本の歴史における転換点とされています。 立礼式 読み:りゅうれいしき 明治時代(1868-1912)に裏千家十一代/玄々斎精中宗室 (1810-1877)によって考案された、椅子とテーブルを用いる茶道の点前形式です。正座が難しい人や海外の賓客にも茶の湯を楽しんでもらうために工夫されたもので、伝統の精神を保ちながらも、形式にとらわれない柔軟な茶の在り方を体現する点前として、多様な場面で親しまれています。今日では各流派により、さまざまな形式の立礼棚が考案され、学校茶道や国際交流の場で広く用いられています。

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