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  • 1-14|茶道具|茶道具の歴史と役割|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶道具 ❚ 目次 01.茶道具とは 02.茶道具の歴史 03.茶道具の役割 04.茶道具の種類 05.茶道具の今 ❚ 01.茶道具とは 茶道具とは、茶の湯を行う際に使用される道具類の総称で、茶碗・茶杓・茶入・茶筅・柄杓・建水など点前に直接用いるものから、床の間に飾る道具、懐石のための道具、露地や待合に置く道具まで幅広く含まれます。 茶道具は単なる茶を点てるための道具ではなく、茶の湯の精神や美意識を映す役割を担っています。 形や素材、仕上げ、取り合わせによって季節感や亭主の趣向を表現し、茶席全体の雰囲気をつくり上げます。どの道具もそれぞれに決まった意味や役割があり、茶席の趣向と深く結びついています。 茶道具の特徴に茶道具は単体で完結するものではなく、互いに補い合い、調和することで初めて一つの「茶席」が成立します。道具合わせの妙は、茶の湯の魅力の一つでもあり、亭主の美意識や心遣いが最もよく現れる部分です。 また、茶道具には、職人による高度な技と長い歴史が込められており、ひとつひとつが文化的価値を宿し、茶人の心を映す象徴的な存在でもあります。 ❚ 02.茶道具の歴史 茶道具の歴史は、日本における茶の湯の発展と密接に結びついています。 もともと茶は中国から伝来したもので、平安時代(794-1185)には貴族の間で薬用・嗜好品として飲まれていました。その後、鎌倉時代(1185-1333)に禅宗とともに茶が武家社会へ広まり、室町時代(1336-1573)には書院造の成立とともに“茶の湯”としての形式が整えられていきます。 この時期には、中国から渡来した天目茶碗・唐物茶入・青磁・白磁などが「唐物」として尊重され、初期の茶道具として重宝されました。しかし、やがて日本独自の美意識が育まれ、唐物の豪華さだけではなく、静けさ・簡素さを旨とする“侘び”を体現する道具が求められるようになります。 安土桃山時代(1573-1603)、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522–1591)によって侘び茶が大成されると、茶道具も大きく変化しました。 それまで主流であった豪奢な器に代わって、樂茶碗に代表される国産の茶碗、竹製の茶杓、素朴な国産茶入など、利休好みの道具が誕生し、茶道具は「用の美」と精神性を映す象徴的な存在へと深化していきます。 江戸時代(1603-1868)に入ると、各地の窯場や工房で多くの名工が活躍し、茶碗・茶入・釜・花入・炭道具などが専門的に制作されるようになりました。 また、茶の湯が武家や町人に広く普及したことで、道具の種類や意匠はさらに多彩となり、後に「千家十職」と呼ばれる職家によって品質と格式が体系化されていきます。 今日では、千家十職をはじめ伝統を継承する作家・工房に加えて、ガラス・金属・合成素材など新しい技法を取り入れた作品も生まれています。 茶道具の歴史は、時代の美意識とともに変化を重ねながらも、茶の湯の精神を支える文化として今なお受け継がれ続けています。 ❚ 03.茶道具の役割 茶道具は、単に茶を点てるための道具ではなく、茶の湯という日本文化を支える役割を担っています。 それぞれの道具には明確な目的と意味があり、亭主の心を映し出すとともに茶席全体の空気を形づくる重要な役割を担っています。 たとえば茶碗・茶杓・茶筅・棗などの点前道具は、一服の茶を美しく丁寧に点てるための道具であり、水指や釜、炭道具などは、茶室の環境を整え、適切な湯温や水の状態を保つために欠かせません。 床の間に掛ける掛物や花入は、季節感や亭主の趣向をさりげなく伝える役割を果たします。 また茶席における道具の取り合わせや配置は、単なる実用品の並びではなく、一つの演出として捉えられます。華美さを競うものではなく、素材・形・色・配置といった調和によって、静けさと深みのある空間を生み出すことが重視されます。 この意味で、茶道具は主役ではなく、客人の心を和らげ、茶の味わいと場の雰囲気を引き立てるための“脇役”として働く存在といえます。 また茶道具には、亭主の心配りや季節感、そして茶事の趣旨を伝えるという精神的な役割もあります。客人は道具を拝見し、その意図や意味を感じ取ることで、亭主との心の交流が生まれます。 このように茶道具は、機能性・美意識・精神性の三つが一体となり、茶の湯という文化を成立させるために欠かすことのできない存在となっています。 ❚ 04.茶道具の種類 茶道具は、茶を点てるための実用品であると同時に、茶席の雰囲気づくりや季節の表現、そして亭主の心を映す重要な要素でもあります。 茶碗や茶杓は点前の基礎となる道具であり、茶入や棗は抹茶を適切に保存し、点前の中で美しい所作を生み出す役割を担います。また、花入や香合は季節の趣向を伝え、釜や炭道具は湯を整えることで茶席全体の空気を形づくります。 茶道具はそれぞれに固有の意味と機能があり、道具同士の調和によって一つの茶会が完成します。 亭主の趣向や季節感は道具組に反映され、客は道具を拝見することで茶席のテーマを感じ取り、静かな交流が生まれます。 以下では、茶道具の種類とその特徴について解説します。 床の間道具 種類:掛軸、花入、香炉、置物など 床の間に飾り、茶席の趣向と季節感を示すために用いられる道具です。 掛軸を中心に、花入や莊道具などを取り合わせることで、一会の主題や亭主の思いが象徴的に表現されます。 点前道具 種類:茶碗、茶杓、茶入、茶器、水指、棚物、蓋置、香合など 一服の茶を点てるために直接用いる道具であり、茶の湯の中心を構成します。 実用性とともに所作の美しさにも配慮され、点前の流れを整える重要な役割を担います。 釜道具 種類:釜、風炉、紅鉢、火箸など 湯を沸かすための道具で、茶の味を左右する湯温や湯の状態を整えます。 炭火や風炉との組み合わせによって季節感を表現し、茶席の雰囲気を決定づけます。 席中道具 種類: 菓子器、煙草盆、火入など 茶席内で客や亭主が用いる道具で、亭主と客人の間を支えます。 客の快適さを整え、茶席の流れを円滑にするための補助的な役割も果たします。 炭道具 種類: 炭斗、灰器、炭箸、火箸、焙烙など 炭点前に用いられる道具で、炉や風炉に火を整えるために必要となります。 火の扱いによって釜の湯の状態が調整され、茶会の格式を表す要素ともなります。 野点道具 種類: 野点傘、茶籠、立礼棚など 大寄せ茶会や野外で茶を点てる(野点茶会)ための道具で、携帯性と実用性が重視されます。 自然の景色と一体となる演出を可能にし、茶の湯本来の趣を味わうために用いられます。 懐石道具 種類: 膳、椀、皿、箸、酒器、盃など 懐石料理を供するための道具で、もてなしの基本である「食」を整えます。 料理や季節に応じて器が選ばれ、茶事全体の調和を生み出します。 待合道具 種類: 香炉、汲出茶碗、毛氈、座布団など 客が茶席に入る前に心を整えるための道具で、待合の雰囲気をつくります。 静かな時間を過ごすことで、客は一会への心構えを備えることができます。 露地道具 種類:蹲踞、手桶、草履、箒など 露地(茶室へ向かう庭)を整え、客の導線を清らかにするための道具です。 露地を清めることで、俗世から離れ茶室へ向かう心の移行を促します。 燈火道具 種類: 行灯、燭台、ろうそくなど 茶席や露地で明かりを取るための道具で、灯火の揺らぎが茶の湯の静かな雰囲気を支えます。 光と影のバランスによって、茶席の趣が引き立ちます。 水屋道具 種類: 茶篩缶、桶類、布巾類など 点前の準備や後片付けを行う水屋で使用する道具です。 実用性と作業効率が重視され、茶会全体を支える裏方の役割を果たします。 消耗品 種類: 抹茶、炭、茶筌、柄杓、茶巾など 茶道で日常的に使われる消耗品で、点前の質を支える重要な存在です。 使い込まれることで茶人の技と心が道具に宿り、茶の湯を深めていきます。 懐中道具 種類: 帛紗、懐紙、楊枝、数寄屋袋など 茶会に参加するなど、すべての茶人が携帯する持物です。 点前や茶席で必要となる基本の備えであり、身支度としての意味も持ちます。 ❚ 05.茶道具の今 茶道具は、長い歴史と伝統を受け継ぎながら、今日においても変わらず大切に使われ続けています。 かつては茶人や武家、僧侶など限られた人々によって扱われる特別な道具でしたが、今日では流派を問わず多くの人々が茶の湯に親しみ、茶道具も広く日常へと浸透しています。 伝統的な茶碗や茶杓、棗、釜などは、今もなお熟練の職人の手によって一つひとつ丁寧に作られています。素材の選定から仕上げに至るまで、長い歴史に支えられた技術と美意識が息づき、その価値は国内外で高く評価されています。名匠による道具は美術品としても鑑賞され、展覧会や市場で注目を集め、文化財として大切に保存されているものも少なくありません。 一方で、今日の暮らしや感覚に合わせた新しい茶道具も増えており、ガラス・ステンレス・合成素材など、従来にはなかった素材を用いた作品も誕生しています。シンプルでモダンな意匠の道具は若い世代にも受け入れられ、茶道をはじめるきっかけにもなっています。 また、海外の工芸家が日本の茶の湯の精神を理解し、独自の表現を込めて制作する茶道具も登場し、多様な文化交流が広がりを見せています。 このように茶道具は、伝統を守りながらも時代に合わせて進化を続けています。 道具そのものは姿を変えても、茶会における「もてなしの心」「季節を感じる美意識」「静けさの中にある精神性」は変わることなく受け継がれています。 茶道具は単なる器物の集合ではなく、歴史・技術・美・精神を一つに内包した総合芸術です。 今日においても、茶道具は日本文化を体感するための大切な存在であり、日常に豊かな時間と心の安らぎをもたらしてくれる道具であり続けています。

  • 1-12|茶席の着物|男性|茶席の装いと着物選び|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶席の着物|男性 ❚ 目次 01.茶席の 着物 02.茶席の 着物|男性 03.茶席の 着物|男性|季節 04.茶席の 着物|男性|帯 05.茶席の 着物|男性|袴 06.茶席の 着物|男性|その他 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 01.茶席の着物 茶道において着物は、単なる衣服ではなく、茶席の空気を整え、亭主と客人の心を結ぶ重要な要素です。季節や茶会の趣旨、格式に合わせた装いを選ぶことで、もてなしの心が静かに表現されます。 茶席の着物は、華美になりすぎず、茶室の設えや季節の風情と調和することが求められます。 男性と女性では装いの形式が異なりますが、いずれも「控えめで上品」であることが基本であり、茶道の精神である「和敬清寂」や「一期一会」を体現する服装が望まれます。 季節によって用いる色柄は異なり、たとえば春は柔らかな色調、夏は涼やかな薄物、秋は深みのある色、冬は落ち着いた暖色など、茶室の雰囲気との調和を重視します。 こうした季節感の表現は、茶会全体の趣を整える大切な要素です。 一方で、結婚式やパーティーにふさわしいような、過度に華やかな訪問着や振袖、煌びやかな帯は、茶道の静謐な空気にそぐわないため避けるべきとされています。 茶席では控えめで品格のある装いが、亭主のもてなしの心をより深く伝えるとされています。 また、着物の選び方や着こなしは、流派や師匠によって考え方が異なる場合があります。 特に正式な茶会に出席する際は、ご自身の先生に相談し、席の格式や目的に即した装いを選ぶことが安心です。 茶席の着物は、日本人の美意識や謙虚さを映し出すものであり、着物を整えて茶席に臨むことは、茶の湯の精神に寄り添う大切な姿勢の一つです。ふさわしい装いと心をもって茶会に向き合うことで、日常を離れた豊かなひとときを味わい、茶道の魅力をより深く感じることができるでしょう。 ❚ 02.茶席の着物|男性 茶席における男性の装いは、茶道の精神や作法を具現するための大切な要素です。控えめでありながら品格を備え、茶室の静かな空気を損なわない「調和」を重んじた着こなしが求められます。季節や茶会の趣旨に応じてふさわしい色合い・素材を選ぶことが、茶道における礼を尽くす姿勢につながります。 男性の正装として特に特徴的なのが「十徳」です。 十徳は羽織に似た広袖の装束で、古くは僧侶の「直綴」を起源とし、茶の効用を説いた「茶の十」に由来するとも伝えられています。 御家元や宗匠、教授者、宗名者など、特定の立場にある者だけが着用を許される特別な正装であり、一般の者が許可なく着ることはできません。 茶の湯の世界における「位」を象徴する、最も格式高い男性の装いです。 十徳を着用しない場合の第一礼装は、五つ紋もしくは三つ紋の黒紋付きに、仙台平の袴を合わせた装いです。仙台平は重厚な縞柄が特徴で、格の高さを示す男性礼装の定番として用いられます。 準礼装としては、黒以外の茶色・紺・鼠(グレー)などの無地染めの紋付に、羽織と袴を合わせるのが一般的です。羽二重や上質な白生地を染めた着物に、五つ紋、三つ紋、一つ紋のいずれかを入れ、茶会の格や趣旨に応じて選びます。略礼装では紋を入れず、やや短めの着丈に仕立てることもあり、日常の稽古や気軽な茶会にふさわしい装いとなります。 袴には、落ち着いた無地の御召や紬がよく用いられ、着物の素材や色調との調和を重視し、派手すぎない控えめなものが適しています。 茶席に入る際は羽織を脱ぎ、白足袋に履き替えるのが基本の作法とされています。 男性の着物は、茶道の精神である「和敬清寂」や「一期一会」の心を装いによって表すものでもあります。季節に合った色や素材、茶会の格式にふさわしい組み合わせを慎重に選ぶことは、もてなしへの敬意を示す行為そのものです。 流派や先生によって細かな作法や定めが異なるため、装いに迷う場合は必ずご自身の先生に相談することが望まれます。 ❚ 03.茶席の着物|男性|季節 ​茶席における男性の装いは、季節の移ろいに寄り添いながら、茶室の雰囲気を損なわない落ち着いた佇まいが求められます。着物にも季節に応じた種類があり、大きく「袷 ~あわせ~」「単衣 ~ひとえ~」「絽・紗・麻 ~ろう・しゃ・あさ~」の三つに分けられます。 それぞれの特徴を理解し、季節の趣を感じさせる装いを整えることが大切です。 以下では、茶席でよく用いられる男性の着物の季節とその特徴について解説します。 袷 ~あわせ~ 袷は裏地のついた着物で、主に十月から五月の長い期間に着用されます。 暖かさがあり、秋から春にかけての肌寒い時期に適しています。 茶席では、袷に羽織を重ねて入室することはできないため、男性の場合、長着に袴を合わせた姿が正式であり、落ち着いた茶席にも自然に調和します。   ​ 単衣 ~ひとえ~ 単衣は裏地のない一枚仕立ての着物で、六月と九月に用いられます。 表地自体は袷と同じ素材であることが多く、透けない生地で仕立てられているのが特徴です。 ただし、肌襦袢・長襦袢・半衿などは六月〜九月の期間、絽や紗、麻といった軽やかな夏素材に替えることで、涼しさと季節感を演出します。 ​ ​ 絽・紗・麻 ~ろう・しゃ・あさ~ 七月・八月の盛夏には、絽・紗・麻といった透け感のある素材の着物が選ばれます。 裏地のない薄手の生地で仕立てられ、見た目にも風通しよく、夏の茶席にふさわしい清涼感を与えます。 帯も同じく透け感のある夏帯を合わせ、袴地や角帯にも夏専用の素材が用意されています。 全体として軽やかで涼やかな印象となり、暑い季節でも快適に過ごすことができます。 ❚ 04.着物|男性|帯 男性の帯は、女性に比べて種類が少なく、基本的に「角帯 ~かどおび~」と「兵児帯 ~へこおび~」の二種類に大別されます。 一般的に、角帯は礼装から外出着まで幅広く利用され、着物や浴衣に共用されることが多いですが、茶席では扇子をはさむため、特に角帯が適しているとされています。 ​ 以下では、茶席でよく用いられる男性の着物の帯とその特徴について解説します。 角帯 ~かどおび~ 角帯は男性の帯の中でも最も格式が高く、礼装から外出着まで幅広い場面で着用されます。 素材には絹をはじめ、木綿、麻、合成繊維など多様な種類があり、繊維文化の変化に伴ってそのバリエーションは年々増えつつあります。 茶席では、しっかりと締まり形が崩れにくい点から、角帯が最適とされています。 また、夏の茶会では、絽・紗・羅など透け感のある夏帯が使われ、見た目にも軽やかで涼しげな印象を与えます。 季節感を装いに取り入れることで、茶室の雰囲気とも自然に調和します。 ​兵児帯 ~へこおび~ 兵児帯は柔らかく幅の広い帯で、締め心地が軽く、カジュアルな着こなしやくつろぎ着に適しています。体への負担が少なく、気軽に結べるため日常的な装いとしても親しまれてきました。 兵児帯の中には、帯の端が絞られたものもあり、その絞りの細かさが高級感や仕立ての良さを見分けるひとつの目安となります。 ただし、茶席では格式や実用性の観点から角帯が主流であり、兵児帯が用いられる場面は限られます。 ❚ 05.着物|男性|袴 ​ 茶道における男性の着物について、「袴」は、着物とともに用いられる必須の装いであり、正式な茶席での品格を示す要素です。 男性の茶席の着物に合わせる「袴」について、以下の三種類の特徴と用途をご紹介いたします。 ​ 以下では、茶席でよく用いられる男性の着物の袴とその特徴について解説します。 裂地:仙台平 ~せんだいひら~ 袴地として最も格式が高いとされるのが「精好仙台平」です。 宮城県仙台市で織られる絹織物で、堅牢でありながらしなやかさを兼ね備えた質感が特徴です。 縞の品格ある佇まいは、礼装・正装にふさわしく、格式高い茶会での着用に最適とされています。 茶道の男性礼装における袴地の代表格と言える存在です。 ​形状:行灯袴 ~あんどんばかま~ 行灯袴は、主に十月から五月の季節に着用され、内側に中仕切りを設けず筒状に仕立てられた袴で、その形が行灯に似ていることから名付けられています。 無駄のない端正な姿が特徴で、茶室の静けさと調和するため、茶席で多く用いられます。 動きも妨げにくく、格式と実用性を兼ね備えた袴です。 ​形状:馬乗り袴 ~うまのりばかま~ 馬乗り袴は、内側が二股に分かれた構造になっている袴で、もともとは乗馬や武士の実用に用いられてきた形で裾さばきが良く動きやすい点が特徴です。 行灯袴に比べると日常的に着用される場面が多い袴で茶会でも、堅苦しすぎない場や動きやすさを重視する場合に適しています。 ❚ 06.着物|男性|その他 ​茶席における男性の正装は、着物や袴だけでなく、その下に着用する襦袢や半襟、さらに腰紐・足袋・履物などの細かな装身具によって完成します。 これらの小物は、見た目の美しさだけでなく、着姿の安定や所作の整いにも深く関わる重要な要素です。茶席の格式と静謐な雰囲気を損なわないため、選び方や扱い方にも細やかな配慮が求められます。 ​ 以下では、茶席でよく用いられる男性の着物のその他とその特徴について解説します。 襦袢 ~じゅばん~ 襦袢は着物の下に着る下着で、着物の滑りを良くし、美しいシルエットを保つために用いられます。種類には長襦袢・半襦袢・肌襦袢などがあり、季節や着物の格に応じて使い分けます。 長襦袢は着物全体を覆うため最も一般的で、着崩れを防ぐ効果があります。 半襦袢は襟元のラインを美しく見せ、特に夏場など涼しさを求める時期に用いられることもあります。 ​半襟 半襟は襦袢に縫い付けて使用する替え襟で、襟元を清潔に保つとともに、着物の印象を左右する重要な小物です。 茶席では白を基調とした控えめなものが基本とされ、季節により絽や麻などの素材が使い分けられます。 半襟の仕立てが整っていることは、茶席の装いにおいて欠かせない所作の一つです。 ​腰紐 腰紐は着物を体に固定し、着姿を整えるために必須の補助具です。 シンプルで機能的なものが好まれ、素材は綿やモスリンなどが一般的です。 腰紐の締め方ひとつで着物全体のシルエットが変わるため、実用性と技術が求められる道具でもあります。 ​足袋 茶席では必ず白の足袋を着用します。どのような着物にも合わせられ、もっとも格式の高い色とされているためです。 たとえ外出時に色足袋を履いていたとしても、茶席に入る前には白足袋に履き替えるのが作法であり、清潔感を大切にする茶道の精神が反映されています。 ​履物 茶席で用いる履物は、落ち着いた色合いで、品よく控えめなものが選ばれます。 雪駄や草履が一般的で、着物や袴との調和が重要視されます。 履物を整えることは、茶道における立居振る舞い全体の印象を左右するため、見えない部分ながら大切な配慮です。 ​ これらの小物はすべて、茶席での装いを整え、茶道の持つ繊細な美意識を反映するために重要な要素です。流派や先生の教えによって選び方が異なる場合もありますが、いずれも着物の品格と着姿の美しさを引き立たせるために欠かすことができない道具です。 正しい小物使いによって、茶席にふさわしい落ち着きと品格を備えた装いが完成します。

  • 1-13|茶道の着物|女性|茶席の装いと着物選び|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶席の着物|女性 ❚ 目次 01.茶席の着物 02.茶席の着物|女性 03.茶席の着物|女性|種類 04.茶席の着物|女性|帯 05.茶席の着物|女性|その他 ❚ 01.茶席の着物 茶道において着物は、単なる衣服ではなく、茶席の空気を整え、亭主と客人の心を結ぶ重要な要素です。季節や茶会の趣旨、格式に合わせた装いを選ぶことで、もてなしの心が静かに表現されます。 茶席の着物は、華美になりすぎず、茶室の設えや季節の風情と調和することが求められます。 男性と女性では装いの形式が異なりますが、いずれも「控えめで上品」であることが基本であり、茶道の精神である「和敬清寂」や「一期一会」を体現する服装が望まれます。 季節によって用いる色柄は異なり、たとえば春は柔らかな色調、夏は涼やかな薄物、秋は深みのある色、冬は落ち着いた暖色など、茶室の雰囲気との調和を重視します。 こうした季節感の表現は、茶会全体の趣を整える大切な要素です。 一方で、結婚式やパーティーにふさわしいような、過度に華やかな訪問着や振袖、煌びやかな帯は、茶道の静謐な空気にそぐわないため避けるべきとされています。 茶席では控えめで品格のある装いが、亭主のもてなしの心をより深く伝えるとされています。 また、着物の選び方や着こなしは、流派や師匠によって考え方が異なる場合があります。 特に正式な茶会に出席する際は、ご自身の先生に相談し、席の格式や目的に即した装いを選ぶことが安心です。 茶席の着物は、日本人の美意識や謙虚さを映し出すものであり、着物を整えて茶席に臨むことは、茶の湯の精神に寄り添う大切な姿勢の一つです。ふさわしい装いと心をもって茶会に向き合うことで、日常を離れた豊かなひとときを味わい、茶道の魅力をより深く感じることができるでしょう。 ❚ 02.茶席の着物|女性 茶席における女性の着物は、単なる装いにとどまらず、茶道の精神を映し出す大切な要素です。 控えめで上品な着物を身にまとうことは、亭主のもてなしの心を尊重し、客人との静かな交流を深めるための心遣いでもあります。 女性の正装としては、季節や茶会の趣旨に合わせた色合い・柄を選び、華美に過ぎない落ち着いた着物が基本とされています。結婚式のような場で用いられる豪華な訪問着、金銀糸の帯、鮮やかな色彩の振袖などは、茶道の静謐な雰囲気に相応しくないため避けられます。 代わりに、控えめでありながらも品格を感じさせるデザインの着物が望まれます。 また、着物そのものだけでなく、帯の結び方・足袋の白さ・草履の色合いなど、小物の選び方にも配慮が求められます。全体が調和し、茶室の落ち着いた空気を乱さないことが大切です。帯は華やかすぎる結びを避け、茶席にふさわしい上品な形を選びます。 茶室の掛け軸や花、茶道具の雰囲気との調和も重要です。着物は茶席全体の一部として存在するため、優しい色調や自然を感じさせる柄など、茶室の設えに馴染む装いを心がけます。 女性の着物は、茶道における美意識や静けさを体現するものです。装いそのものがもてなしの一部となることを意識し、季節感と品格を大切にした着物選びを行うことが、茶席における最も理想的な姿といえるでしょう。 ❚ 03.茶席の着物|女性|種類 茶席に着て行く女性の着物には「訪問着」「付け下げ」「色無地」「小紋」などがありますが、茶道でもっとも基本となるのは「一つ紋付の色無地」です。とはいえ、茶会の種類や主旨、時期、会場によってふさわしい装いは異なり、「茶事」「利休忌」などの格式高い茶会から、気軽に参加できる大寄茶会まで、場に応じて着物を選ぶことが大切です。 以下では、茶席でよく用いられる女性の着物の種類と、その特徴・格式について解説します。 留袖 (黒留袖/色留袖) 留袖は、着物の中で最も格が高いものとされ、黒留袖と色留袖に分かれます。 地色の黒いものを黒留袖といい、黒以外の地色で裾に模様のあるものを色留袖といいます。 色留袖に五つ紋付けを施せば第一礼装となり、三つ紋付や一つ紋付けにすれば、訪問着のような準礼装としても用いることができ、格式の高い茶会にふさわしい装いとなります。 ​訪問着 訪問着は、留袖に次ぐ格を持つ準礼装で、華やかさと上品さを兼ね備えた着物で既婚・未婚を問わず着用できます。 格調高い古典柄や豪華なデザインのものは、一つ紋を付けることで色留袖と同等の格式となります。 婚礼や重要な茶会、初風炉・口切り・初釜、神社仏閣で行われる献茶式など、格式の高い茶会には、訪問着や付け下げが選ばれます。 ​付下げ 付け下げは、訪問着よりやや控えめで、上品な準礼装として用いられる着物で既婚・未婚を問わず着用できます。 反物の段階で柄付けされ、着た時にすべての模様が上向きになり、見た目は訪問着に似ているが、訪問着よりも軽やかで落ち着いた印象でシンプルなデザインが特徴です。 元々は訪問着よりも格下とされていましたが、柄の華やかさや紋を付けることで訪問着と同等の格式として着用される場合もあります。 ​​色無地 茶道で最も基本とされる着物で色無地でシンプルな一色染め、または同色の裾ぼかしが施された、黒以外の無地の着物です。 家紋を入れることで、訪問着や付け下げと同様に礼装としての体裁を整えることができます。 家紋がない場合は略礼装や普段着としても着用でき、黒い帯を合わせることで略式の喪服としても利用可能。 礼装として五つ紋付けする場合もありますが、一般的には背中央に一つ紋を入れる「一つ紋付」が茶会には相応しいとされています。 格式ある茶会でも、稽古でも、幅広い場面で着られるため、茶道をたしなむ女性が最初に揃える着物でもあります。 ​​小紋 小紋は、型紙を用いて全体に文様が一方向に繰り返し描かれた着物です。 基本的にはカジュアルな着物として扱われ、軽い外出着とされますが、柄の華やかさやデザインによっては、ドレスアップタイプとしても活用できます。 小紋は、江戸小紋、京小紋、加賀小紋、紅型小紋など多岐にわたり、各種類ごとに独自の柄や色使いがあります。 茶席には、模様が控えめで無地の部分が多い、飛び柄や草花模様、茶屋辻模様など、風情を感じさせる小紋が適しており、野点や大寄茶会など、カジュアルな茶会では訪問着ほど改まらない晴れ着として着用されます。 ​ 着物の種類 格式の高い茶会・茶事 訪問着・付け下げ・色留袖 一般的な茶会 色無地(一つ紋) 大寄席茶会など 小紋・色無地(紋なしも可) ​ このように、茶道で着る着物は、基本的には一つ紋の色無地が最も基本とされますが、茶会の時期や会場、趣旨に応じて適切な着物を選ぶことが求められます。 茶会の種類や規模によって、着るべき着物の装いは変わり、格式高い茶事から気軽な大寄茶会まで、さまざまな場面で異なる装いがあります。 ❚ 04.茶席の着物|女性|帯 女性が茶席で身につける帯には、着物と同様に格式があり、長さや形、仕立てによっていくつかの種類に分かれています。 現在一般的に用いられる帯としては、「丸帯」「袋帯」「九寸名古屋帯」「袋八寸名古屋帯」「京袋帯」「細帯(半幅帯)」「兵児帯」の七種類があります。 それぞれに特徴と格があり、茶会の種類や場面によってふさわしい帯は変わってきます。 ​ 以下では、茶席でよく用いられる女性の着物|帯の種類と、その特徴・格式について解説します。 丸帯 丸帯はかつて最上級の礼装として用いられた帯で、生地を二枚重ねた分厚い作りが特徴です。華やかな文様が全体に織り出されており、豪華絢爛な帯として知られます。今日では茶席で目にする機会は減りましたが、古典的な格式を備えた帯として位置づけられています。 ​袋帯 寸法:幅30~32㎝×長さ約4m30cm以上 明治時代に丸帯の代わりとして生み出された帯で、最も格が高いとされます。 表と裏に異なる生地を使用し、袋状の構造が特徴です。 幅は30〜32cmほど、長さは4m30cm以上と長く、主に二重太鼓で結ばれます。 金銀糸を用いた格調ある柄付けのものが多く、格式の高い茶会や正式な場面でよく用いられます。 ​九寸名古屋帯 寸法:34cm(九寸)×長さ約3m60cm 九寸名古屋帯は、袋帯に次ぐ高い格を持ち、織と染の技法が施されています。 袋帯よりも短い長さ(約3m60cm)で、仕立てによって太鼓部分のみ幅が広く、それ以外の部分は半分の幅になるのが特徴で一重太鼓で締めるのが特徴です。 織や染の技法によって礼装から略礼装まで幅広く活用できる帯として人気があります。 ​京袋帯 ​京袋帯は、京都で発展した帯で、伝統的な織りや染色技法が活かされ、格式の高い装いにふさわしいとされています。帯芯を入れずに袋帯のように仕立てられているのが特徴で軽く締めやすく、上質感のある織や染めが施されることから、茶席での正装に向く帯として選ばれることが多くあります。美しい柄と落ち着いた色合いが特徴で、正装として多く用いられます。 八寸名古屋帯(袋名古屋帯) 寸法:幅約30cm(八寸)×長さ約3m60cm 八寸名古屋帯(袋名古屋帯)は、九寸名古屋帯に似たデザインながら、八寸幅(約30cm)で仕立てられた名古屋帯で、締めやすさと格のバランスに優れています。 九寸名古屋帯よりもやや軽やかな印象ながら、文様や仕立てによっては準礼装としても十分に対応でき、上品な装いを求める茶席に適しています。 ​​細帯 (半幅帯) 寸法:幅約15㎝(四寸)×長さ約3m60cm 細帯、または半幅帯は、幅が狭くカジュアルな装いに向いている帯です。 文庫結びや貝の口など結び方も豊富で、気軽な外出着として広く使われます。 日常的な稽古や気軽な大寄せの茶会などでは使われる場合もありますが、正式な茶席ではあまり用いられません。 ​​兵児帯 ​兵児帯は、柔らかい生地で仕立てられた帯で、身体に負担が少なく、主にカジュアル用途やリラックス着に適した帯です。 元来は庶民的な帯でしたが、絞りの美しさなどによって意匠性が高められたものもあり、現代では浴衣やカジュアルな着物に合わせる帯として用いられています。 帯の種類 格式の高い茶会・茶事 袋帯 一般的な茶会 九寸名古屋帯・京袋帯 大寄席茶会など 八寸名古屋帯(袋名古屋帯) 普段着・カジュアル 細帯(半幅帯)・兵児帯 ​ このように、帯は素材や柄、仕立ての違いによって格が大きく異なり、茶席では礼装としての品位を保つ帯を選ぶことが大切です。茶会の趣旨や規模、時期に応じて帯の格を見極めることで、着物全体の調和が生まれ、茶道の持つ美意識をより深く表現することができます。 ❚ 05.茶席の着物|女性|その他 茶席で着物を美しく着こなすためには、着物や帯だけでなく、それらを支える小物の役割も非常に重要です。帯揚げや帯締め、襦袢、半襟、足袋、履物などの小物は、装いの品格を整えるだけでなく、着崩れを防ぎ、全体の調和を保つために欠かせない存在です。 以下では、茶席でよく用いられる女性の着物|その他の種類と、その特徴・格式について解説します。 帯揚げ お太鼓結びを整える際に帯の形を支える役割を持ち、帯山の丸みを美しく保つために使われます。 また帯の重みを支える働きもあり、見えない部分で着姿の完成度を左右する大切な小物です。 ​帯締め 帯締めは結んだ帯が緩まないように締める紐であり、装いのアクセントとしての役割も果たします。 帯締めの色や素材は着物と帯との調和を大きく左右するため、茶席では上品で落ち着いた組み合わせが好まれます。 ​​半襟(半衿) 半襟は、襦袢の襟元に取り付け、襟元を整え、顔周りの印象を整えるとともに着物のシルエットを美しく保ち、着物全体の清潔感を保つために用いられます。 茶席では、基本的に白の半襟が最も望ましく、格式の高い場面でも使える標準的な装いとされています。 ただし、華やかな茶会や季節の趣向を凝らした茶席では、控えめな刺繍入りの半襟を用いる場合もあります。 ​襦袢 襦袢は肌襦袢の上に重ねる下着で、着物の形を美しく見せるために欠かせない存在です。 ワンピースのように長い長襦袢が正式ですが、上下別々になっている二部式の半襦袢と裾よけの二部式が便利で、動きやすさも兼ね備えています。 ​肌襦袢 肌襦袢は最初に身につける下着で、汗を吸収し肌当たりのよい素材が望まれ、自宅で洗濯できるものを選ぶと扱いやすく便利です。  着付紐 着付紐には、幅3~5cmの腰紐や、伊達締め、和装ベルトなどがあり、着物の着崩れを防ぎ、全体のシルエットを安定させるために用いられます。 それぞれの道具は素材や幅、締め心地が異なり、さらに、先端がクリップになっている着付けベルトや、マジックテープ付きの和装ベルトなど、便利なアイテムもあり、これらを組み合わせることで、より快適で美しい着姿を維持することができます。 特に伊達締めや着付けベルトは胸元の安定に効果があり、茶席での動作の多い場面でも安心して着物を保つことができます。  帯板 帯板は帯の前部分に挟み、帯にシワが寄るのを防ぐための道具で、帯の平らな面を美しく見せるために欠かせません。 一般的には幅14cm、長さ40cmほどの短めの帯板が使いやすく、名古屋帯でも袋帯でも安定した仕上がりになります。 ​帯枕 帯枕は帯の後ろに丸みや形状を整えるために使うもので、名古屋帯のお太鼓結びや袋帯の二重太鼓に欠かせない小物です。 正装の場合や若い方には山が高くボリュームのある帯枕が、年配の方やカジュアルな場面には小ぶりな枕が相応しいとされています。 ​足袋 茶席では必ず白の足袋を着用します。どのような着物にも合わせられ、もっとも格式の高い色とされているためです。 たとえ外出時に色足袋を履いていたとしても、茶席に入る前には白足袋に履き替えるのが作法であり、清潔感を大切にする茶道の精神が反映されています。 履物 履物には草履と下駄がありますが、茶席では基本的に草履を選びます。 草履はかかとが少し下がる程度の大きさが歩きやすく、着物との調和も良いとされています。 下駄はカジュアルな装い向きであり、正式な茶会にはふさわしくありません。 ​​ ​ これらの小物はすべて、茶席での装いを整え、茶道の持つ繊細な美意識を反映するために重要な要素です。流派や先生の教えによって選び方が異なる場合もありますが、いずれも着物の品格と着姿の美しさを引き立たせるために欠かすことができない道具です。 正しい小物使いによって、茶席にふさわしい落ち着きと品格を備えた装いが完成します。

  • 1-11|茶席の御花|茶花|花は野にあるように|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶席の御花 ❚ 目次 01.茶席の御花 02.茶花と生け花の違い 03.茶花の生け方 04.花入れの種類 05.茶花の十二ヶ月 ❚ 01.茶席の御花 茶席に生ける花は、茶花~ちゃばな~といい、室礼のを整えるうえで欠かせない要素あり、単なる装飾ではなく、亭主のもてなしをの心を象徴するものとされています。 茶花は、客人のために選ばれ、その花姿を通して季節の移ろいを静かに語りかけます。 茶道の世界では千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522–1591)が唱えた「利休七則」のひとつに「花は野にあるように」という教えがあります。 これは花を華美に飾り立てるものではなく、自然のままの姿を尊び、野に咲く花のように素直に、控えめに生けることを示したものです。 そのため、茶花は豪華なアレンジや人工的な演出を避け、茶室の雰囲気に溶け込むように生けられます。そこには「わび・さび」の精神が宿り、静けさの中にある自然の調和を表現することが求められます。 また、茶席の花は季節感を象徴する大切な役割も担っています。使用する花は、その時期にふさわしいものを選び、春・夏・秋・冬、それぞれの季節がもつ気配をさりげなく伝えることが求められます。 ❚ 02.茶花と生け花の違い 茶花はしばしば「生け花(華道)」と混同されますがその目的や美意識は、生け方には明確な違いがあります。 茶花 生け花 目的 茶席の空気を整え、季節と自然の気配をそっと添えるためのもの。 花そのものではなく「茶席の一部」としての調和が目的。 造形美・様式美を追求し、作品としての完成度や構成の美しさを重視する芸術的表現。 美意識 「野にあるように」の精神を重んじ、作為的な構成を避け、自然の姿に近い控えめな生け方を良しとする。 流派ごとに定められた型や構成(天地人など)に美を求め、構図や動きを造形的に表現する。 生け方 基本は一種または少数の花のみを用い、季節の自然感が損なわれないよう、最小限の組み合わせとする。 多種類の花材を組み合わせ、線や面を意識したダイナミックな構成をつくる。 このように、華道が「作品としての花」を追求するのに対し、茶花は「茶室の呼吸に寄り添う花」を尊ぶ点に大きな違いがあります。 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 03.茶花の生け方 茶席に飾る花は、剣山やオアシス(スポンジ)などの補助具を用いず、花入にそのまま生ける「投げ入れ」が基本とされています。剪定しすぎたり形を整えすぎたりせず、花本来の自然な姿を保ちつつ、茶席の雰囲気に調和するように生けることが大切です。 また、香りの強い花や棘のある花は茶席全体の調和や落ち着きを乱すために避け、あくまで控えめに、自然の気配りをそっと添えることを心がけます。 花を生ける際は、掛け軸や茶道具との調和を第一に考えます。 花だけが主張しすぎることのないよう、茶室の空気感や床の間全体の構成を意識し、客人が正面から見たときに最も美しく映るよう調整します。 茶花は「茶席の一部」であり、決して作品として自己主張する存在ではありません。 その控えめな佇まいが、茶席の静けさを引き立てるのです。 使用する花の本数は「二」または「奇数」とするのが基本で、多くの種類を寄せ集めるのではなく、1~3種類に抑えるのが理想的で、一輪の花だけでも十分な趣を演出できます。 枝ものを用いる場合は、曲線の自然な流れを活かしながら、生けた花が自然と息づいている姿を表現することが重要です。 花や枝の動きを自然に見せることで、茶席全体の落ち着いた雰囲気と調和させることができます。 また、花入の種類によっても生け方が異なります。「掛花入」の場合は、花が自然に垂れるように生け、「置花入」の場合は安定感を持たせるように配置します。「竹花入」や「陶器の壺」などは、それぞれの形状に合わせて、花の配置を工夫することが求められます。 茶席における花は、単なる装飾ではなく、茶道の精神を体現し、亭主のもてなしの心を象徴するものです。自然な姿を大切にし、過度な装飾を避けながら、客人が四季の移ろいを感じられるように生けることが重要です。 ❚ 04.花入の種類 茶道において、花を生ける器は「花入」と呼ばれ、茶席全体の雰囲気を整え、亭主のもてなしの心を表現する重要な道具の一つです。花入は、単なる花を生ける容器ではなく、掛け軸や茶道具と調和し、茶席の趣を引き立てる役割を持ちます。 花入には、大別して「置花入」「掛花入」「吊り花入(釣花入)」の三種類があり、茶席の形式や趣向に応じて使い分けられます。 ​ 置花入 置花入は、床の間に直接置いて使用する花入です。 陶磁器や金属、竹籠など多様な素材が用いられ、陶磁器の置花入には、唐物の品格ある壺や、日本の国焼の素朴な器などがあり、格式や趣向に応じて選びます。 竹籠の花入れは、特に夏の茶席で涼やかな趣を演出し、素朴な風情を生かすことができます。 ​​掛花入 掛花入は、床の間の壁に掛けて使用する花入で、竹製のものが最も一般的です。 竹の節や割れ目を活かした素朴な美しさがあり、わび・さびの精神を体現する花入として重視されます。 竹のほか、陶器や金属製の掛花入もあり、席の趣向や格調に応じて使い分けます。 格式のある茶席では掛花入が選ばれることが多く、流派や席の趣向により使い方が異なります。 ​吊り花入(釣花入) 吊り花入は、天井や柱などに掛けて吊るす花入で、特に夏の茶席に涼やかな趣を添えるために用いられます。 吊り花入の代表的な素材は竹や籠で、軽やかな風情が特徴です。竹の節を活かしたものや、細工が施されたものなど、さまざまな種類があり、花の種類や茶室の構造に合わせて選びます。 茶席で吊り花入を用いる場合は、客の視線に合わせた高さに調整し、花が自然に揺れることで生まれる動きや影の美しさを楽しむことが重要とされています。   ​ 花入は、茶席の季節感や趣向、床の間の掛け軸や茶道具との調和を考えて選ぶことが大切です。 夏の涼やかな茶席には竹の花入や籠花入を、格式のある茶席には陶磁器の花入を用いるなど、全体の雰囲気にあわせて使い分けます。 ​ また、花の種類や活け方とも深く結びついています。野に咲く花の素朴な魅力を生かすためには過度な装飾を避けた、控えめで自然味のある花入が適しているとされます。 茶席においては、花とともに花入そのものも亭主のもてなしの心を表す道具であり、選び方一つで茶席の雰囲気を大きく左右する重要な要素となります。 ​ 茶道において、花入は単なる器ではなく、客人へのもてなしの心を象徴する存在です。 花の持つ自然な美しさを引き出し、茶席の空間に穏やかで調和の取れた雰囲気をもたらします。 掛花入・置花入・吊り花入、それぞれの特性を理解し、茶席の趣向や季節に応じて適切に選ぶことで、より深い茶道の精神を表現することができます。 ❚ 05.茶花の十二ヶ月 前項までに述べたように茶席において、季節の移ろいを感じることは非常に重要な要素とされています。茶道では、一年を通じてその時々の風情を大切にし、茶席の設えに反映させることが求められます。 下記では、月ごとの茶席の御花を歳時記としてまとめ、季節ごとに用いられる代表的な茶花をご紹介しますので参考としてご活用ください。 ​ ■ 1月/睦月 ■ 茶花 椿・黄梅・寒牡丹・寒桜・白梅・蕗の薹・雪柳・福寿草 ​ ■ 2月/如月 ■ 茶花 梅・黒文字・水仙・寒蘭・雪月花・蕗・猫柳・雪割草・節分草 ​ ■ 3月/弥生 ■ 茶花 桃・杏・黄梅・木瓜・菜の花・山茱萸・彼岸桜 ■ 4月/卯月 ■ 茶花 青文字・木通・馬酔木・油瀝青・枝垂桜・二輪草・岩桜・鶯神楽・花筏・牡丹・苧環・片栗 ​ ■ 5月/皐月 ■ 茶花 あやめ・都忘れ・杜若・下野・苧環・山芍薬・鈴蘭・鉄線・雛罌粟・藤・雪の下・野薊・卯の花・小手毬・牡丹 ■ 6月/水無月 ■ 茶花 甘茶・山紫陽花・またたび・金魚草・山芍薬・京鹿子・麒麟草・桔梗・金鳳花・菖蒲・花菖蒲・狐の牡丹・月見草・都草・紫式部 ■ 7月/文月 ■ 茶花 朝顔・虎杖・糸芒・一薬草・薄雪草・弟切草・鹿子百合・蝦夷竜胆・鬼百合・唐糸草・唐松草・仙人草・浜薊 ■ 8月/葉月 ■ 茶花 茜草・犬蓼・岩桔梗・顎無・秋の麒麟草・葦・粟・犬胡麻・女郎花・金水引・宗旦木槿・萩・弟切草・男郎花・雁草・銀露梅・半夏生 ■ 9月/長月 ■ 茶花 青柳花・曙草・朝露草・磯菊・梅鉢草・犬塔花・馬の鈴草・朮・吾亦紅・数珠玉・浜菊・貴船菊山牛蒡・桜蘭・霜柱・白萩・野牡丹・杜鵑草 ■ 10月/神無月 ■ 茶花 磯菊・桜蓼・梅擬・小紫式部・吊花・島寒菊・野路菊・浜菊・蔓梅擬・七竈・風鈴梅擬・山帰来・見返草・釣鐘人参・山口菊・万寿菊・溝蕎麦 ■ 11月/霜月 ■ 茶花 小菊・筏葛・柿・烏瓜・油椿・枇杷・満天星・三椏・姫蔓蕎麦・万作・野紺菊・紫式部・石蕗・榛 ■ 12月/師走 ■ 茶花 寒紅梅・喫茶去・九輪桜・水仙・クリスマスローズ・石菖・常盤桜・葉牡丹・蠟梅・冬桜・ポンポン咲菊・冬至梅・白玉・白侘助​

  • 1-10|茶席の御菓子|主菓子と干菓子の違いと役割|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶席の御菓子 ❚ 目次 01.茶席の御菓子 02.御菓子の役割 03.主菓子と干菓子 04.御菓子の頂き方 05.御菓子の十二ヶ月 ❚ 01. 茶席の御菓子 茶席における御菓子は、茶の湯のもてなしを彩る重要な要素です。 茶会の趣向や季節に合わせて選ばれ、見た目・色合い・形・素材などを通して四季の風情を表現します。 また、茶道で供される御菓子は、大きく「主菓子~おもがし」と「干菓子~ひがし~」の二種類に分類されます。 正式な茶事では濃茶に主菓子、薄茶に干菓子が供されるのが基本であり、この点についてはページ後半でさらに詳しく述べます。 春は桜や若葉を模した生菓子、夏は涼しさを感じさせる錦玉や水羊羹、秋は紅葉や栗、冬には雪景色を思わせる菓子など、季節の移ろいを反映した多彩な意匠が特徴です。 さらに、茶室に飾られた花や掛物、茶道具の銘と意匠が重ならないよう配慮したり、静寂を大切にするため、食べる際に大きな音が出ない菓子を選ぶなど、茶席ならではの細やかな心遣いが求められます。 御菓子は、単なる甘味にとどまらず、季節・意匠・趣向・美意識を通じて、茶席の雰囲気と世界観を形づくる大切な役割を担っています。 ❚ 02. 御菓子の役割​ 御菓子は、抹茶の味わいを高めるための甘味としてだけでなく、茶の湯における「もてなしの心」を象徴する存在です。 抹茶の苦味・渋みと御菓子の甘みは互いに調和し、とりわけ濃茶では主菓子の柔らかな甘味が旨味を引き立て、薄茶では干菓子の軽やかな甘味が清涼感を添えます。 この味のバランスが、茶道における御菓子の最も基本的な役割といえます。 また、御菓子の選定には、亭主が客を思う心が込められており、見た目・季節感・風趣、さらには器合わせに至るまで繊細な配慮が施されています。これにより、茶席全体の調和と品格が高まり、茶の湯の精神性を体現する重要な要素となっています。 ❚ 03.主菓子と干菓子 茶道で供される御菓子は、大きく「主菓子」と「干菓子」の二種類に分類されます。 正式な茶事では、主菓子=濃茶、干菓子=薄茶とともに提供されるのが基本ですが今日の参加しやすい茶会も多く、大寄せの茶会では薄茶のみが提供されることが一般的です。その場合、主菓子のみ、または主菓子と干菓子の二種類が振る舞われることもあります。 ​ 主菓子 主菓子とは、水分を多く含む 生菓子・蒸菓子 を中心とした、しっとりとした御菓子の総称です。餡を用いたものが多く、見た目の意匠も四季の移ろいを繊細にあらわします。 正式な茶事では、懐石後の「初座」で、縁高に美しく盛り付けられ客に供されます。 濃茶の深い旨味と調和するよう、柔らかく上品な甘味を持つ点が特徴です。 干菓子 ​干菓子は、その名の通り水分の少ない乾いた御菓子で、代表的なものに落雁、煎餅、金平糖などあります。 季節の草花や風物をかたどった意匠のものが多く、軽やかな甘味で薄茶の風味を引き立てます。 茶会では、一般的に二種、三種を取り合わせ、干菓子盆に盛りつけて供されます。 ​ この順序は、濃茶・薄茶それぞれの味わいを最も引き立てるために生まれたものであり、御菓子の味・質感・意匠を通して、茶道のもてなしの心や季節の趣が体験できます。 ❚ 04.御菓子の頂き方 ​茶道では、お茶をいただく前に御菓子を食べ終えておくのが基本とされています。 御菓子が供される際には、所作を丁寧に行い、御菓子の美しさを損なわないよう心を配りながら頂きます。 ​ ■ 菓子器の取り扱い ■ 01.菓子器が運ばれてきたら 両手で持ち、畳の縁の外に自分と次の客人の間に置きます。その際、軽く手をついてお辞儀をしながら「お先に」と挨拶します。 02.懐紙の準備 懐紙を取り出し、折り目(和)が手前にくるように整え、膝前の畳の縁内に置きます。 03.御菓子を取る 左手を菓子器に添え、お菓子の形を崩さないように丁寧に取りあげます。 基本は、外側のものから取ります。 次の客人への心遣いとして残された御菓子の形が美しく見えるよう配慮することも大切です。 04.菓子箸の扱い 菓子箸を使用した場合は、懐紙の端で軽く拭って清めてから菓子器に戻します。 05.頂く際の姿勢 御菓子は、懐紙にのせたまま胸元あたりまで持ち上げ、左手にのせていただきます。 ■ 主菓子と干菓子 ■ ​主菓子の頂き方 黒文字(黒文字楊枝)を用いて 食べやすい大きさに切り、軽く刺して口に運びます。 饅頭など、柔らかい菓子の場合は 黒文字を使わず手で割る のが一般的です。 食べ終えた黒文字は懐紙の端で軽く拭ってから懐紙に包み、自分の懐にしまうか菓子盆に戻します。 ​​干菓子の頂き方 干菓子は 手でいただく のが基本です。 煎餅など一口で食べられないものは、懐紙の上で静かに割ってからいただきます。 干菓子が複数種類ある場合は、盛り付けを乱さないよう 手前から 丁寧に取り、次客へ回します。 食べきれない場合は、懐紙に包んで持ち帰ることも可能です(茶会の形式による)。     ​茶席では、御菓子の味わいだけでなく、その美しい意匠や季節感も楽しむことが重要とされています。所作ひとつひとつに心を込めて、茶道のもてなしの精神を味わいましょう。 ❚ 05.御菓子の十二ヶ月 茶道において御菓子は、単なる甘味としてではなく、季節の趣や茶席の雰囲気を彩る重要な役割を担っています。 茶席の御菓子には、それぞれの季節を反映した意匠や色彩が施され、和菓子職人の繊細な技と日本文化の美意識が表現されています。   下記では月ごとの茶席の御菓子を歳時記としてまとめ、季節ごとに用いられる代表的な御菓子をご紹介しますので参考としてご活用ください。 ​​ ​ ■ 1月/睦月 ■ 主菓子 花びら餅・旭餅・重ね扇・此の花・松ヶ枝・松襲・松の雪 干菓子 干支煎餅・寿煎餅・七宝・ねじ梅・福梅・若松煎餅 ​ ■ 2月/如月 ■ 主菓子 梅ヶ香・こぼれ梅・福は内・椿餅・雪間草 干菓子 絵馬煎餅・お多福・きつね面・ねじ梅・ねじ棒 ​ ■ 3月/弥生 ■ 主菓子 青柳・草餅・早わらび・春の野・春の野きんとん・都の春・桃の里 干菓子 貝尽し・菜花の月・早蕨・蝶結び ■ 4月/卯月 ■ 主菓子 桜花・京の山・胡蝶・桜餅・つつじ・花見団子・春の山・矢吹重 干菓子 桜花・蝶々・花筏・花兎・蕨 ​ ■ 5月/皐月 ■ 主菓子 菖蒲饅頭・岩根のつつじ・柏餅・唐衣・花菖蒲・藤の花 干菓子 菖蒲・轡・竹流し・躑躅・結び松風 ■ 6月/水無月 ■ 主菓子 紫陽花・紫陽花きんとん・磯辺餅・卯の花・氷室・水牡丹 干菓子 芦煎餅・鮎・貝拾い・滝煎餅・撫子・水 ■ 7月/文月 ■ 主菓子 朝露きんとん・天の川・おりひめ・苔清水・玉清水・星の光 干菓子 鮎・糸巻・団扇煎餅・川瀬・撫子・弥さか煎餅 ■ 8月/葉月 ■ 主菓子 青瓢・月の雫・夏木立・波の花・葉月・水の面・水花火 干菓子 岩波・団扇・小菊・千鳥煎餅・ひさご・夕顔 ■ 9月/長月 ■ 主菓子 桂の月・桔梗餅・西湖の月・十五夜・月見団子・萩まんじゅう 干菓子 芋の葉・枝豆・桔梗・すすき煎餅・野菊・初雁煎餅 ■ 10月/神無月 ■ 主菓子 薄紅葉・秋明菊・竜田・万寿菊・みのりの秋・山づと 干菓子 銀杏煎餅・稲穂・稲穂煎餅・小菊・雀・鳴子・もみじ葉 ■ 11月/霜月 ■ 主菓子 織部饅頭・初しぐれ・初霜・晩秋・冬木立 干菓子 銀杏煎餅・枯松葉・しめじ・照葉・吹き寄せ・もみじ ■ 12月/師走 ■ 主菓子 木枯し・試み餅・柴の雪・蕎麦薯蕷・雪餅・夜の雪 干菓子 うす氷・寒菊・笹の葉・雪華・雪輪

  • 1-9|抹茶|抹茶とは|濃茶と薄茶の違いと役割|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 抹茶 ❚ 目次 01.抹茶とは 02.濃茶と薄茶の違い 03.抹茶のおいしい季節 04.抹茶の効能につて 05.抹茶の保存について 06.茶の起源 07.抹茶ができるまで 08.抹茶を点てる 09.昔と白とは 10.御好抹茶のご紹介 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 01.抹茶とは 抹茶とは、茶葉を細かく挽いた日本独自の粉末茶であり、茶道にて提供される一碗の基となるものです。茶道においては単なる飲み物ではなく、茶の湯の精神を象徴する存在として重んじられています。 その鮮やかな緑の色合い、繊細な香り、そして点てる所作の美しさは、日本の文化と美意識が凝縮されたものです。茶室の静寂の中で点てられる一服の抹茶は、単なる嗜好品ではなく、日常から離れた特別なひとときを演出し、亭主と客との心の交流を深めるものです。この一服には、精神性を伴う茶の湯の趣が凝縮されています。 茶道で客人をもてなす一碗(抹茶)には「濃茶」と「薄茶」の二種類があり、それぞれ異なる点前や作法が存在しどちらも茶道におけるもてなしの心を表す大切な一碗となります。 抹茶は長い歴史と丁寧な製法を経て生まれ、日本文化の象徴的な飲み物です。栽培・製造・点前のすべてに人の手と心が込められており、一服の抹茶には季節やもてなしの心が凝縮されています。 茶葉から抹茶へと至る過程を知ることで、一碗の奥深さを一層感じられ、茶道の魅力をより深く味わうことができます。 ❚ 02.濃茶と薄茶の違い 前項にて述べたように抹茶には「濃茶」と「薄茶」の二種類があり、茶道や抹茶と聞いて思い浮かべるのは「薄茶」を指すことがほとんどです。   しかし、製茶方法において濃茶と薄茶に明確な違いはなく、収穫された茶葉の中から、苦みや渋みが少なく、特に品質の高いものが「濃茶」として選別され、それ以外のものが「薄茶」として用いられます。そのため、市販されている濃茶用の抹茶も、薄茶として点てることが可能です。 ​ 濃茶 濃茶は、1人または2~5人で一碗を回し飲みをする形式がとられます。 抹茶を多く使い、とろりとした濃厚な味わいが特徴です。濃茶の点前では、客人数分の抹茶を一つの茶碗に練り上げ、全員で回し飲みします。 これは、亭主が一つの茶碗に心を込めて点てた一服を、客人同士が分かち合いながらいただくことで、茶の湯の精神を共有するという意味を持っています。 ​ 薄茶 薄茶は1人一碗で喫します。 軽やかで口当たりがやさしく、一人分ずつ点てて客人に供します。 一般的な茶会や日常的に親しまれる抹茶は、この薄茶を指します。 濃茶 薄茶 点前 練る 点てる 人数 1人また2人~5人 (まわし飲み) 1人 抹茶 4~5g (1人分) 2g 湯量 15cc (1人分) 60cc 温度 80℃前後 80℃前後 ❚ 03.抹茶のおいしい季節 抹茶は、春から初夏にかけて収穫された一番茶の新芽を使用し、碾茶(=揉まずに乾燥させた茶)の状態を保ったまま約5か月間低温で熟成させることで旨味が引き出され、最も香り高く上質な抹茶となります。 このようにして作られた抹茶は、秋頃(10月〜11月)が最もまろやかで芳醇な香りを楽しめる旬の時期とされています。 また茶道ではこの時期に「炉開き」と呼ばれる行事が行われ、茶壺の口を切ってその年の新茶を披露する「口切の茶事」が催されます。これは茶道における一年の始まりを祝う大切な行事であり、茶道界では「茶道のお正月」とも呼ばれるほど特別な意味を持っています。 ❚ 04.抹茶の効能について 抹茶は粉末茶であるため、茶葉そのものを摂取します。煎茶(=緑茶)のように抽出液を飲むのではなく、栄養成分を丸ごと取り入れることができ、テアニンやカテキン、ビタミン類などが豊富です。 日本に茶が伝わった当初、茶は薬として珍重されていました。史料には、二日酔いの薬として用いられたり、禅僧が眠気覚ましに喫していたことが記されています。 今日においても、カテキンによる抗酸化作用やテアニンによるリラックス効果が注目され、健康茶としての価値が見直されています。 紅茶や烏龍茶とは異なり、抹茶は茶道の点前・作法とともにいただくことで、味覚だけでなく精神性を味わうことができます。これは他のお茶にはない大きな特徴といえます。 抹茶の効能 テアニン:リラックス効果 カテキン:抗酸化作用 ビタミン類:美容・健康維持 カフェイン:集中力向上(禅僧が眠気覚ましに愛用) ❚ 05.抹茶の保存について 抹茶は非常にデリケートなため、保存方法が大変重要な要素となります。 抹茶は湿気や光、酸化によって風味が損なわれやすいため、未開封の状態では冷暗所で保管し、開封後はしっかりと密封してなるべく早めに使い切ることが望まれます。 適切な保存によって、抹茶の鮮やかな色、香り、まろやかな味わいを長く楽しむことができます。 保存のポイント 光・湿気・酸化を避ける 未開封は冷暗所で保管 開封後は密封して早めに使い切る ❚ 06.茶の起源 日本における抹茶の起源(渡来)は鎌倉時代(1185-1333)まで遡ることとなります。 当時、中国・宋代(960-1279)で発展した「点茶」の文化が日本に伝わり、禅僧たちの修行の中で飲用されていました。 禅の精神と結びついた茶は、精神を落ち着け、集中力を高める役割を持つと考えられており、単なる嗜好品ではなく、修行を支える重要な存在でした。 室町時代(1336-1573)になると、茶は禅宗寺院から武家や公家の間にも広がり、格式ある嗜好品として扱われるようになります。 同時に茶会は政治や文化の場としても機能し、茶を通じた礼儀やもてなしの心が発展し、この時期に日本独自の茶の湯文化の基礎が形作られていったといえます。 戦国時代(1467-1573)末期には 千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)が 抹茶を茶の湯の中心に据え、点前や茶会の形式を整えることで、「侘び茶」という独自の茶の湯文化を完成させることになります。 利休は、華美を避け簡素で静寂を重んじる美意識を茶の湯に取り入れ、抹茶を通じて「もてなしの心」を表現しました。これにより、抹茶は単なる飲み物から、精神性と文化性を兼ね備えた日本文化の象徴として確立されました。 江戸時代(1603-1868)以降も抹茶は茶道の中心として発展を続け、各地の茶人や茶師たちによって技術や作法が受け継がれ、今日に至るまで茶道の精神的支柱となっています。 抹茶の栽培・製造・点前すべての工程に人の手と心が込められており、一服の抹茶には季節感やもてなしの心が凝縮されています。 ❚ 07.抹茶ができるまで 抹茶は、摘まれた茶葉をそのまま粉にするのではなく、いくつもの工程を経て仕上げられます。 原料となるのは「碾茶」と呼ばれる特別な茶葉になります。 01.覆下栽培 春に芽吹く新芽へ覆いをかけ、収穫の数週間前から 霜除けを兼ねた藁や専用の黒いシートなどで茶畑を覆い、直射日光が当たらないように管理します。 日光を遮ることで、茶葉に含まれる「葉緑素」が増え、 渋味のもとになるカテキンの生成が抑えられ、旨味成分のテアニンが豊富な柔らかい茶葉に育ちます。 ※覆下の期間は茶園や気候により異なります。 02.手摘み・収穫 芽が大きくなりすぎる前の新芽だけを丁寧に手摘みします。 芽が若く柔らかいほど、仕上がりの色・香り・味が上質になり、 機械による摘む方法もあるが手摘みの方が味も良く高級な碾茶となります。 03.蒸し・乾燥 摘んだ新芽はすぐに蒸して酸化を防ぎ、香りと色を閉じ込めます。 その後、揉まずに乾燥させることで碾茶(仕上茶)となります。 ※蒸さずに酸化させると紅茶や烏龍茶となり、揉みながら乾燥させると玉露になります 04.選別・審査 乾燥した茶葉から葉の大きさを揃え、茎やと葉脈を取り除き、やわらかい葉肉部分だけを選別します。 これが抹茶の滑らかさと鮮やかな緑色の源となります。 その後、専門家により等級が決められます。 05.保存 選別された茶は碾茶のまま低温除湿の状態で保存します。 適切に保存することで香りやまろやかな味わいが保たれます。 保存の際、濃茶用の茶葉は紙袋に包んで茶壷に、薄茶用の茶葉は茶壷内の隙間を埋める形で詰められます。 06.石臼挽き 選別した碾茶を石臼でゆっくりと挽き、きめ細やかな粉末にします。 石臼はただ挽くのではなく石臼の調整がとても繊細であり、熟練された調整技術によりなめらかな抹茶が生まれることになります。 また石臼は摩擦熱を抑え、品質を保つために1時間に40g程度しか挽けず、職人の技と時間を要する工程となります。 ※今日では機械で粉末化された抹茶も流通していますが、伝統的な高級抹茶は石臼挽きで作られます。 こうして手間をかけて作られた抹茶は、茶道の席で大切に扱われ、一服の茶として心を込めて点てられます。茶葉の栽培から抹茶完成までの過程を知ることで、一碗の抹茶の奥深さと、日本文化における茶の価値をより鮮明に感じることができます。 ❚ 08.抹茶を点てる 抹茶をおいしく点てるには、湯の温度と茶筅の扱いが重要です。 濃茶をはじめて口にすると苦味を感じるかもしれませんが、茶席ではお茶をいただく前にお菓子を食することで、お菓子の甘みとお茶の苦味が調和し、より一層美味しく味わうことができます。 おいしい抹茶を点てるためには以下の手順で行います 01.茶碗の準備 抹茶を点てる前には、茶碗全体に水分を含ませあらかじめ温めておくことが大切です。 陶器は急激な温度変化に弱く、特に樂茶碗のような柔らかい土の器は熱によってヒビ割れや破損が生じやすいため、使用前にゆっくりと温度を慣らす必要があります。 まず、茶碗にぬるま湯を注ぎ、茶碗全体に水分を含ませながら温めます。 これにより器が安定し、抹茶も点てやすくなります。 ■ 注意 ■ ※長期間使用していない茶碗などは数時間ぬるま湯に浸しておくと安全です ※寒い時期などは急に熱湯を茶碗に注ぐと器と湯の急激な温度差により、ヒビ割れや破損の可能性があるので必ずぬるま湯から徐々に慣らすようにします。 ※特に樂茶碗は急激な温度変化に弱いため、丁寧に温めてから使用することが重要です。 02.抹茶を入れる ―濃茶― 濃茶については品質の高い抹茶を使い、薄茶に比べ抹茶(1人分|4~5g)を多く使用し、湯の量(1人分|約15cc)は少なくして練ります。濃茶はゆっくりと茶筅を動かし、濃厚なとろみを出すのが特徴です。 ―薄茶― 薄茶の場合は抹茶を適量(2g)入れたら80℃前後のお湯を60cc程度注ぎ、茶筅で円を描くように素早く混ぜ、きめ細かい泡を立てることで香りが引き立ち、まろやかで柔らかな口当たりになります。 ​■ 備考 ■※流派により、点て方(茶筅の扱い)が異なります。※薄茶を用いて濃茶をたてると味が渋くなりますので濃茶を練る際は濃茶用の抹茶を使用することがおいしい一碗となります。※注ぐお湯に関しては高温すぎると苦味が出すぎ、低すぎると風味が弱まるため、温度の見極めが大切です。 03.喫す 点てられた一碗に感謝をし、茶碗の正面を向いて出された茶碗を2回ほど左方向に回してから喫します。この所作には茶碗の正面を避けることで亭主の心配りと礼の心が込められています。 ―濃茶― 人数分点てられた濃茶の内、1人分のみ喫します。 ―薄茶― 無理のない程度で2~3口ですべての抹茶を喫すように心がけます。 裏千家では最後の一口は音をたてます。 ■ 備考 ■ ※流派により、喫し方(飲み方)が異なります。 濃茶 薄茶 点前 練る 点てる 人数 1人また2人~5人 (まわし飲み) 1人 抹茶 4~5g (1人分) 2g 湯量 15cc (1人分) 60cc 温度 80℃前後 80℃前後 ❚ 09.昔と白とは 抹茶の茶銘の末尾についている「○○の昔」、「○○の白」という表現は、今日においては濃茶=「昔」、薄茶=「白」という区別として用いられています。 しかし、歴史的には「昔」のみが先に存在し、後にその対となる概念として「白」が加えられたとされています。 ​ ○○の昔 「昔」という字の由来については諸説ありますが、一説には、最上級の茶葉の初摘みが行われる旧暦三月二十日(廿日)の「廿(にじゅう)」と「日」を組み合わせたものといわれています。 すなわち、最上級の初摘み茶を指す特別な称号として「昔」が用いられた、という解釈です。このように、「昔」という語はもともと品質の高さを示す銘として成立したもので、濃茶=昔という区別は後世の体系によって定着したものです。 ​○○の白 「白」が登場したのは後世で、江戸時代(1603-1868)、特に三代将軍/徳川家光(1604-1651)の時代であり、大名茶人たちが宇治の茶師に対して「茶を白く」と求めたことがきっかけと伝えられています。(※ただし、当時の「白く」という表現が具体的に何を指していたのかは明確ではありません。) また初摘みの新芽には特に白い産毛が多く見られ、その貴重な新芽を用いた茶は、粉にした際に白い産毛がふわふわと混じることから、「白」と称されるようになったのではないかともいわれています。 ​ 茶人の嗜好も時代とともに移り変わり、古田織部(1544-1615)は青茶を好み、小堀遠州(1579-1647)は白い茶を好んだという記録が残されています。 宇治では「白」と「青」の違いは茶葉の蒸し加減によるとされており、この変化は茶の嗜好の移り変わりを示すものと考えられています。 ​ さらに、銀座平野園(創業明治十六年・東京銀座)には、「御園の白」という銘の濃茶が明治時代(1868-1912)から今日に至るまで存在しています。 当時の店主である草野話一(生没年不詳)が、明治天皇(1852-1912)に献上する抹茶の銘を考えていた際、濃茶に用いる上質な茶葉を臼で挽くと、挽かれた茶粉の周囲に特有の白い輪が広がることを発見し、そこから『御園の白』と名付けたとされています。 また、明治天皇が病を患った際には、草野話一が銀座の地で自ら臼を挽き、特別に製茶したという逸話も伝えられています。 ❚ 10.御好抹茶のご紹介 茶道において「御好抹茶」とは、茶道の各流派の家元や著名な茶人が特別に選定し、好んで使用した抹茶のことを指します。その選定には家元の美意識や茶風が反映されており、長年にわたり愛用されてきた格式ある抹茶として位置づけられています。 流派ごとに「御好」は異なり、それぞれの点前や茶席の趣ににふさわしい味わいや香りが追及されています。御好抹茶は、一般的な抹茶以上に厳選された茶葉が用いられ、製茶の工程にも細かな配慮が施されています。そのため、正式な茶事や格の高い茶席では、家元の「御好抹茶」を用いることが多くなっています。 また、御好抹茶には、濃茶用と薄茶用があり、それぞれに適した茶葉の風味や挽き方が考慮されています。 濃茶:特に上質な茶葉が使われ、深みのある旨味とまろやかな甘みが特徴。 薄茶:軽やかな香りと爽やかさを重視し、ほどよい渋味との調和が楽しめます。 御好抹茶は単なる飲料ではなく、流派の歴史や家元の思想を今に伝える存在でもあります。茶人が点前を行う際には、その抹茶が持つ背景や由緒を汲み取りながら一服を点てることで、茶席の趣はより一層深まります。 以下では、各流派を代表的する御好抹茶についてご紹介します。 ​ ​ ​ ■ 表千家 ■ 十三代御家元|即中斎宗匠御好 深瀬の昔 (山政小山園 詰) 栂乃尾 (山政小山園 詰) 十四代御家元|而妙斎宗匠御好 戸の内昔 (上林春松本店 詰) 小松の白 (上林春松本店 詰) 吉の森 (上林春松本店 詰) 妙風の昔 (丸久小山園 詰) 三友の白 (丸久小山園 詰) 彩雲 (丸久小山園 詰) 吉祥 (丸久小山園 詰) 葉上の昔 (山政小山園 詰)​ 栂の白 (山政小山園 詰) 十五代(当代)御家元|猶有斎御家元御好 栢寿の昔 (祇園辻利 詰) 大雄の白 (祇園辻利 詰) 橋立の昔 (上林春松本店 詰) 三日月の白 (上林春松本店 詰) 彩鳳の昔 (丸久小山園 詰) 友久の白 (丸久小山園 詰) 水明の昔(山政小山園 詰) ​音羽の白(山政小山園 詰) ​ ■ 裏千家 ■ 十五代御家元|鵬雲斎大宗匠御好 豊栄の昔 (祇園辻利 詰)​ 萬風乃の昔 (祇園辻利 詰)​ 寿松ノ白 (祇園辻利 詰) 華の白 (上林春松本店 詰) 翔雲 (上林春松本店 詰) 祥宝 (上林春松本店 詰) 松雲の昔 (丸久小山園 詰) 慶知の昔 (丸久小山園 詰) 瑞泉の白 (丸久小山園 詰) 珠の白 (丸久小山園 詰) 喜雲 (丸久小山園 詰)​ 松柏 (丸久小山園 詰) 葉室の昔 (山政小山園 詰)​ 神尾の昔 (山政小山園 詰) 苔の白 (山政小山園 詰) 十六代(当代)御家元|坐忘斎御家元御好 壷中の昔 (祇園辻利 詰)​ 長久の白 (祇園辻利 詰) 嘉辰の昔 (上林春松本店 詰) 緑毛の昔 (上林春松本店 詰) 五雲の白 (上林春松本店 詰) 双鶴の白 (上林春松本店 詰) 松花の昔 (丸久小山園 詰) 清浄の白 (丸久小山園 詰) 千里の昔 (山政小山園 詰)​ 悠和の昔 (山政小山園 詰) ​ ■ 武者小路千家 ■ 十四代(当代)御家元|不徹斎御家元御好 嶺雲の昔 (祇園辻利 詰) 翠の白 (祇園辻利 詰) 翠松の昔 (丸久小山園 詰) 祥風 (丸久小山園 詰) 宇治上の昔 (山政小山園 詰) ​奏の白 (山政小山園 詰)。

  • 1-7|茶事懐石|茶事懐石の基礎知識と流れ|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶事懐石 ❚ 目次 01.茶事懐石とは 02.懐石料理の起源 03.懐石料理と会席料理 04.茶事懐石の流れ 05.一汁三菜とは 06.懐石の精神と日本料理文化への影響 ❚ 01.茶事懐石とは 懐石とは、茶道において茶事の前半に供される食事を指します。 客人の空腹をやわらげ、後に続く濃茶をより深く味わえるよう心身を整えるための重要な一環であり、茶の湯に欠かせない要素です。 懐石の基本は「一汁三菜」。素材の持ち味を大切にしながら、見た目の美しさや季節感、そして亭主の細やかな心遣いが一つひとつの料理に込められています。 また、料理を盛る器や椀、盛り付けの趣向にも亭主の美意識が反映され、懐石の大きな楽しみの一つとなっています。 とりわけ茶会の正式な場である「茶事」において供される懐石は「茶事懐石」と呼ばれ、懐石そのものが独立するのではなく、茶席全体の流れや趣向と調和するように構成されます。茶室・道具・季節の設えと一体となり、濃茶へ向かうための静かな序章として位置づけられています。 ❚ 02.懐石料理の起源 懐石料理の起源は室町時代(1336年〜1573年)にさかのぼります。 「懐石」という語は、禅僧が寒さや空腹をしのぐため、温めた石を懐に入れて腹部を温めた行為に由来します。(※諸説あり) これは、質素を旨とし、身体と心を整えるための禅の修行の一環であり、そこから「簡素で控えめな食事」という意味が生まれました。 この“懐に石を抱く”という象徴的な行為が、のちに茶の湯に取り入れられ、、濃茶に先立って客人の空腹を和らげ、心を整えるための食事として茶事懐石へと発展していきます。 茶事懐石は決して豪華さを競う料理ではなく、素材がもつ本来の味わいを大切にし、器や盛り付けに季節感と亭主の心遣いを映し出すことに重点が置かれています。そこには、禅の精神が根底に流れ続けており、茶の湯の静けさと調和をつくり出す大切な要素となっています。 ❚ 03.懐石料理と会席料理 懐石と会席は混同されがちですが、本来は目的も成り立ちも異なるものです。 懐石は茶事における茶のための食事であり、簡素でありながら亭主の心を尽くした慎ましい料理が特徴です。一方、会席料理は酒宴を前提とした饗応料理で、料理そのものを楽しむことが目的としています。 懐石の本質はあくまで「茶を引き立てるための食事」とあるという点にあり、この位置づけが茶道独自のものです。 また、今日では「懐石料理」という名称が一般的に広く使われていますが、これは茶事で提供される茶事懐石の形が独立、発展した“料理としての懐石”であり本来の茶事懐石とは性質が異なります。 茶事懐石 懐石料理 (一般) 会席料理 目的 濃茶に向けて 心と体を整えるための食事 料理、味付け、構成など 食事そのものを楽しむ 酒を中心とした 宴席料理(饗応料理) 提供形式 一汁三菜を基本とした 簡素な構成 コース料理形式で 品数も多く豪華 酒と料理を組み合わせを 重視したコース料理 提供場所 茶事(濃茶前) 料亭・旅館・レストランなど 料亭・宴席・旅館 精神性 禅・わびの精神 季節と調和した美意識 料理の完成度 見た目の華やかさ重視 饗応・もてなし・社交 茶事懐石は、「待合→席入り→初座(炭点前|茶事懐石)→中立(休憩)→後座(濃茶|薄茶)」という茶事全体の流れの一部であり、「料理そのもの」が主役ではありません。 素材の旬、器の選定、炉・風炉の季節、空間の設え、亭主の心遣い―――そのすべてが濃茶に向けて心を整える“静かなもてなし”として位置づけられます。 茶事懐石は単なる料理ではなく、茶事そのものの調和を生み出す重要な役割を担っています。 ❚ 04.茶事懐石の流れ 懐石料理は茶事の前半に組み込まれ、炭手前や濃茶・薄茶と並んで茶事を成立させる重要な要素です。 亭主のもてなしの心と季節感を料理で表現する場であり、その流れには長い歴史の中で培われた形式美が息づいています。 基本的な茶事懐石の流れは以下の通りです。(※流派により多少の違いがあります) 01. 折敷 最初に折敷と呼ばれる盆に「飯」「汁」「向付」がのせられて供されます。 この折敷が懐石のはじまりを告げる合図となります。 飯・・・炊きたての白ご飯 汁・・・季節の素材を使った吸い物(澄まし汁など) 向付・・・刺身や酢の物など、最初の味わいとしての一品 02. 酒 折敷のあと、小さな杯でお酒をいただきます。 茶事における「酒」は、料理と場の空気を和らげるための重要な要素です。 03. 煮物椀 蓋付きの椀で供される煮物。素材本来の旨味と季節感を表す、懐石の中心となる料理です。 04. 焼物 旬の魚などを香ばしく焼いた一品。 料理全体の構成に変化を与え、季節の恵みを感じさせます。 05. 預鉢|強肴 炊き合わせや酢の物など、酒の肴として供される一品です。 会席料理の中でも亭主の工夫や季節の趣が最もよく表れます一品となります。 06. 箸洗い(吸物) お酒のあとに提供される小さな吸い物で、口中をさっぱりと整えます。 濃茶に向けて心と味覚を切り替える役割を持ちます。 07. 八寸 海のものと山のものを一つずつ盛り合わせた酒肴。 亭主と客が酒を酌み交わす「和やかな一会」を象徴する大切な一段です。 08. 湯桶|香の物 食事の締めくくりとなる湯漬け(または番茶)と香の物をいただきます。 口を清め、心を濃茶の席に整える役割を持ちます。 湯漬け…ご飯に熱湯や番茶を注いだ軽い湯漬け 香の物…季節の漬物。 09. 甘味(お菓子) 次の濃茶に向けて甘味が添えられ、懐石全体を穏やかに締めくくります。 ❚ 05.一汁三菜とは 一汁三菜とは主食となる米に、汁物と3つのおかず(主菜一品と副菜二品)を合わせた、日本料理の基本的な膳立ての形式です。本膳料理にも通じる構成で、素材の持ち味や季節感を大切にする日本の食文化を象徴しています。 ご飯と香の物 白米または炊き込みご飯に季節の漬物(香物)を添えて味の変化を楽しみます。また食事全体の締めとしての役割もあります。 汁物 季節の魚や野菜を用いた吸い物で、食事の冒頭に温かさと季節感を添え、胃をやさしく整える役割も果たします。 主菜・副菜(焼き物・煮物・和え物など) 焼き物:旬の魚や肉を香ばしくやいたもの。塩焼きや味噌漬け焼きなど 煮物:根菜や山菜を中心に素材の旨味を引き出しながら仕上げる料理 和え物:季節の野菜や海藻を軽い味付けでまとめ料理全体に彩りと軽さを添えます。 なお、茶事ではこれに 湯桶や八寸などが加わることもあり、亭主の趣向や季節に応じて品数や内容が変化します。一汁三菜の構成は、質素でありながらも季節と心遣いを映し出す、日本料理の基本形といえます。 ❚ 06.懐石の精神と日本料理文化への影響 懐石の思想は、現代の日本料理においても確かな影響を残しています。 旬の素材を選び、その持ち味を引き出し、器との調和や見た目の美しさを大切にする姿勢は、和食文化全体の根幹といえるものです。 また、「いただきます」「ごちそうさま」という食前・食後の挨拶にも、懐石の精神が受け継がれています。これは食材への敬意と、料理に携わった人々への感謝を表す、まさに日本の食文化に根づいた心のあり方です。 懐石は茶事において、抹茶をより美味しく味わうための重要な役割を担う食事です。 一汁三菜を基本とし、亭主は季節感や心遣いを一つひとつの料理に込め、客人はそのもてなしを五感で受け取ります。 形式や料理の内容は時代とともに変化してきましたが、「茶を引き立てるための慎ましい食事」という本質は今も変わりません。懐石は、茶道の精神と美意識を象徴する存在として、今日も茶の湯の中心に息づいています。

  • 1-4|茶道の流派|三千家とさまざまな流派|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶道の流派 ❚ 目次   01.流派とは 02.三千家とは 03.さまざまな流派 ~利休以前~ 04.さまざまな流派 ~利休系~ 05.さまざまな流派 ~宗旦系~ 06.さまざまな流派 ~道安系~ 07.さまざまな流派 ~近代系~ ❚ 01.流派とは   流派とは主に日本で用いられる言葉で、特定の同じ文化や技術の中で異なる流儀や定義に基づき、それぞれ独自に発展を遂げた形式を指します。 今日の茶道における代表的な流派は 千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591) の三人の曾孫が創設した表千家、裏千家、武者小路千家からなる「三千家」です。 しかし茶道には「三千家」以外にも多くの流派が存在します。三千家は千利休を祖として受け継がれてきたものですが、三千家が創始される以前からある流派や、千利休の頃に創始した流派、三千家の流れを汲む流派、さらに近代に独自に生まれた流派など、さまざまな流派が幾多存在しています。 ❚ 02.三千家とは   千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の提唱した茶道は利休没後、後妻・千宗恩(生年不詳-1600)の連子であった千家二代/千少庵宗淳(1546-1614)を経て、その子である千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)に受け継がれました。 ​ そして千家三代/咄々斎元伯宗旦の三人の息子がそれぞれ家督を継承することで、「三千家」が誕生することとなりました。 三千家 三千家についてはこちらをご覧ください。 ❚ 03.さまざまな流派 ~利休以前~ ​ 奈 良 流 (珠 光 流) 読み:ならりゅう (しゅこうりゅう) 開祖:村田珠光(1423-1502) 室町時代 (1336-1603) 中期に村田珠光によって創始された茶道の流派。 珠光は、奈良の称名寺で出家し、一休宗純に師事して禅の教えを学びました。彼は、禅の精神を茶の湯に取り入れ、「侘び茶」の理念を追求し、茶事の礼法を確立しました。奈良流は、茶の湯が日本独自の文化として発展する礎を築いたとされています。 東 山 流 読み:ひがしやまりゅう 開祖: 室町時代 (1336-1603) 中期、足利義政(1436-1490)の東山山荘を中心に発展した「東山文化」の影響を受けた茶道の流派。 この時期、能阿弥(1397-1471)が茶の湯の発展に寄与し、禅の精神や「わび・さび」の美学を取り入れた茶風を確立。 東山流は、茶道の精神性や美意識の形成に大きな役割を果たしました。 堺 流 読み:さかいりゅう 開祖:武野紹鴎(1502-1555) 室町時代 (1336-1603) 後期に堺の商人であり、茶人でもあった武野紹鴎によって創始された茶道の流派。 紹鴎は、村田珠光(1423-1502)の茶風を受け継ぎ、質素で簡素な「わび」の美学を重視。 紹鴎の茶の湯は、後に千利休(1522-1591)へと受け継がれ、茶道の発展に大きな影響を与えました。 志 野 流 読み:しのりゅう 開祖:蜂谷貞重(1759-1826) 室町時代 (1336-1603) に志野宗信(生年不詳-1522)が創始した香道の流派として知られていますが、茶道の流派としても存在。 江戸時代 (1603-1868)に 鳥取藩の支藩である鳥取東館藩主・池田仲雅(1780-1841)が志野流の茶道を好み、流祖像を作り、茶道志野流十一代/大谷春水(生年不詳-1849)を茶頭として志野流茶道を指導させたことにより、因幡地方に伝わりました。 今日、鳥取県では「志野流茶道松風会」が活動しており、志野流の茶道の伝統と作法を継承・普及しています。また、宗家継承については、合議によって次代を決めている。 ❚ 04.さまざまな流派 ~利休系~ 「利休七哲」「利休十哲」をはじめとする千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の直弟子を創始者とし、一般的に武家茶道と呼ばれる流派。 藪 内 流 公式HP: https://www.yabunouchi-ennan.or.jp/ 読み:やぶのうちりゅう 開祖:藪内剣仲(1536-1627) 安土桃山時代(15731603)の茶人・藪内剣仲を祖とする茶道の流派。 剣仲は、千利休の高弟であり、質素で静寂な茶風を重んじました。 藪内流は、独自の点前や作法を持ち、現在もその伝統が継承されています。 織 部 流 織 部 流 読み:おりべりゅう 開祖:古田織部(1544-1615) 安土桃山時代(15731603)から江戸時代初期にかけて活躍した茶人・古田織部を祖とする茶道の流派。 古田織部は、千利休の高弟として茶の湯を学び、その後、独自の美意識と創意工夫を加えた「織部好み」を確立。特に、緑釉を用いた「織部焼」と呼ばれる陶器は、歪んだ形状や自由奔放な絵付けが特徴で、従来の茶道具の概念を打ち破る革新的なものでした。 また、茶室の設計にも非対称の美や意外性を取り入れ、形式にとらわれない自由な発想を重視。織部流は、その斬新な美学と独自の作法により、茶道界に新たな風を吹き込み、後世の茶人や芸術家に影響を与え続けています。 上田宗箇流 公式HP https://www.ueda-soukoryu.com/ 読み:うえだそうこりゅう 開祖:上田宗箇(1563-1650) 安土桃山時代(15731603)から江戸時代 (1603-1868) 初期にかけて活躍した武将であり茶人でもある上田宗箇が創始した茶道の流派。 宗箇は、千利休や古田織部に師事し、武家茶道の実践的な作法と美意識を融合させた独自の茶風を確立しました。上田宗箇流は、武家社会の礼法と茶の湯の精神を重んじ、現在もその伝統が継承されています。 遠 州 流 読み:えんしゅうりゅう 開祖:小堀遠州(1579-1647) 江戸時代 (1603-1868) 初期の大名であり茶人でもある小堀遠州が創始した茶道の流派。 遠州は、千利休や古田織部の茶風を学び、武家社会に適した格式と優雅さを兼ね備えた茶道を確立しました。その茶風は「遠州好み」と称され、簡素でありながら品格のある美意識が特徴。遠州流は、武家を中心に広まり、現在もその伝統が受け継がれています。 有 楽 流 読み:うらくりゅう 開祖:織田有楽斎(1547-1621) 織田信長(1534-1582)の弟である織田有楽斎が創始した茶道の流派。 有楽斎は、千利休に師事し、武家茶道の格式と侘び茶の精神を融合させた独自の茶風を確立しました。有楽流は、質実剛健でありながら、洗練された美意識が特徴で、現在もその伝統が受け継がれています。 三 斎 流 読み:さんさいりゅう 開祖:細川忠興三斎(1563-1646) 戦国時代から江戸時代 (1603-1868) 初期にかけて活躍した武将・細川忠興三斎が創始した茶道の流派。 忠興は、千利休に師事し、利休七哲の一人として知られています。三斎流は、利休の茶風を忠実に受け継ぎ、丁寧な点前や古式の作法を重視することが特徴。 ❚ 05.さまざまな流派 ~宗旦系~   千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の教えを継いだ孫の千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)の流れを汲む三千家をはじめ「宗旦四天王」を開祖とする流派。 宗 偏 流 公式HP https://sohenryu.com/ 読み:そうへんりゅう 開祖:山田宗偏(1627-1708) 千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)の高弟であった山田宗偏が創始した茶道の流派。 宗偏は、千家の茶風を基礎としつつ、独自の作法や美意識を取り入れ、宗偏流を確立。 その茶風は、質素でありながら洗練された美しさが特徴とされています。 庸 軒 流 読み:ようけんりゅう 開祖:藤村庸軒(1613-1699) 千宗旦の高弟である藤村庸軒が創始した茶道の流派。 庸軒は、近江国の久田宗栄の子で、京都の呉服商・藤村家の養子となりました。 茶の湯は、はじめ藪内紹智(1678-1745)に学び、後に小堀遠州(1579-1647)や金森宗和(1584-1657)、千宗旦に師事しました。 庸軒流は、漢学的素養を取り入れた独自の茶風が特徴で、現在も各地でその伝統が継承されています。 久 田 流 読み:ひさだりゅう 開祖: ― 堀 内 流 読み:ほりのうちりゅう 開祖:堀内宗心(1826-1899) 表千家十一代/碌々斎 瑞翁宗左(1837-1910) の高弟である堀内宗心が創始した茶道の流派。 宗心は、表千家の茶風を基礎としつつ、独自の美意識と作法を取り入れ、堀内流を確立。 その茶風は、質実剛健でありながら、繊細な趣を持つとされています。 松 尾 流 読み:まつおりゅう 開祖:松尾宗二(1677-1752) 江戸時代 (1603-1868) 中期の茶人・松尾宗二によって創始された茶道の流派。 宗二は表千家の高弟であり、名古屋を拠点に茶道を広めました。松尾流は、表千家の伝統を基盤としつつ、独自の作法や美意識を持ち、特に名古屋を中心に発展。 男性と女性で異なる点前を行うなど、独特の作法が受け継がれています。 江戸千家 公式HP http://www.edosenke.jp/ 読み:えどせんけ 開祖:川上不白(1716-1807) 江戸時代 (1603-1868) 中期の茶人・川上不白によって創始された茶道の流派。 不白は表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)の高弟であり、江戸で茶道を広めるために独立。 江戸千家は、表千家の伝統を受け継ぎつつ、江戸の文化や風習を取り入れた独自の茶風を持ち、現在も多くの門弟によってその教えが伝えられています。 速 水 流 公式HP https://hayamiryu.com/ 読み:はやみりゅう 開祖:速水宗達(1727-1809) 江戸時代 (1603-1868) 中期の茶人・速水宗達によって創始された茶道の流派。 宗達は裏千家八代/又玄斎一燈宗室(1719-1772)から茶道を学び、岡山で独自の流派を立ち上げました。 速水流は、裏千家の茶風を基礎としつつ、地域の風土や文化を取り入れた特色ある茶道を展開しています。 ❚ 06.さまざまな流派 ~道安系~   大阪堺にある堺千家(本家)を受け継いだ千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の実子である千道安(1546-1607)の流れを汲む流派。 宗和流 公式HP https://www.sowaryu.jp/ 読み:そうわりゅう 開祖:金森宗和(1584-1656) 江戸時代 (1603-1868) 前期の茶人・金森宗和によって創始された茶道の流派。 宗和は千利休の孫弟子であり、華やかで雅な「宗和好み」の茶風を打ち立てました。 宗和の茶の湯は公家や上流武士の間で愛好され、優美な作法や意匠が特徴。 石 州 流 公式HP https://sekisyu.jp/ 読み:せきしゅうりゅう 開祖:片桐石州(1605-1673) 江戸時代 (1603-1868) 初期の茶人・片桐石州を祖とする茶道の流派。 石州は千利休や古田織部の茶風を学び、武家社会に適した格式と実用性を兼ね備えた茶道を確立。 石州流は武家を中心に広まり、その茶風は「石州好み」と称され、簡素で洗練された美意識が特徴。 不 昧 流 読み:ふまいりゅう 開祖:松平不昧(1751-1818) ​江戸時代 (1603-1868) 中期の大名であり茶人でもある松平不昧を祖とする茶道の流派。 松平不昧は、出雲松江藩の第七代藩主であり、茶道具の収集や茶会の開催を通じて、茶道文化の発展に大きく貢献。 茶道の精神性と実用性を融合させた「不昧流」を確立し、独自の美意識と作法を伝えました。不昧流は、質素でありながら品格のある茶の湯を重んじ、現在も多くの茶人に受け継がれています。 ❚ 07.さまざまな流派 ~近代系~   近代に創始された独自の流派及び系譜未詳の流派。 大日本茶道学会 公式HP  https://santokuan.or.jp/ 読み:だいにほんさどうがっかい 開祖:田中仙樵(1875-1960) 明治三十一年(1898年)に裏千家十三代/圓能斎鉄中宗室(1872-1924)の門人であった田中仙樵の提唱により、初代会長に鳥尾小弥太(1848-1905)を迎え、「高台寺」に創立。 「秘伝開放」や「茶道本来無流儀」を掲げ、流派を超えた茶道の研究と普及を目指。 運営主体は公益財団法人三徳庵で、東京都新宿区左門町に本部を構えています。 今日も、茶道文化の研究・振興に取り組み、茶道を親しみやすいものとして発展させる活動を続けている。

  • 1-3|釜道具|湯を沸かすための道具|茶道具一覧|茶道具辞典

    茶道具辞典 ■ 茶道具一覧 ■ 釜道具 ❚ 釜道具 とは 茶道における釜道具は、茶の湯の儀式に欠かせない重要な要素です。 茶会を主宰することを「釜をかける」という言葉が示す通り、湯を沸かす釜やそれに付随する道具は、茶会全体の趣向や格式を現します。 ❚ 釜道具一覧 釜 読み:かま 茶釜とも 釜は、茶を点てるための湯を沸かす鋳鉄製の道具です。 茶会を催す際、「釜をかける」という表現があるほど、その重要性は高いです。 釜は炉用と風炉用のものがあり、炉用の釜は風炉用に比べ大ぶりとなっています。 釜の形状や蓋、口の造りなどにより分類され、大別して「芦屋釜」「天明(天命・天猫)釜」「京釜」などがあげられます。 炉釜 読み:ろがま 風炉釜 読み:ふろかま 風炉 読み:ふろ 風炉は、五月から十月までの風炉の時季に用いられる火鉢状の道具です。 風炉は炭火を入れて釜をかけるためのもので、縁の一方が風を通すように開けられているのが特徴です。 主な種類としては、「土風炉」「唐銅風炉」「鉄風炉」などがあります。 鉄瓶 読み:てつびん 鉄瓶は、鋳鉄製で注ぎ口と弦が付いた湯を沸かす道具です。 茶会では、均一な温度管理が求められるため、伝統的に使用されてきました。 紅鉢 読み:べにばち 瓶掛 読み:びんかけ 瓶掛は、鉄瓶を掛けるための火鉢または小さい風炉を指し、盆略点前や茶箱点前の席で用いられ、鉄瓶を安全かつ美しく配置するための補助道具です。 電熱釜 読み:でんねつがま 電熱釜は、現在制作中の新型釜です。 電気で湯を沸かすため、現代の施設や火気制限のある場所での茶会に対応することを目指しています。 鐶|釜鐶 読み:かん|かまかん 鐶は、釜の鐶付部分に通す鉄の輪で、釜の上げ下ろしや移動の際に用います。釜を安全かつ円滑に取り扱うための補助道具です。 釜敷 読み:かましき 釜敷は、火から釜を下ろす際に釜の下に敷いて、釜や床を保護するための道具です。 「釜置」や「釜据え」とも呼ばれ、釜の安定を図る重要なアイテムです。 炉 読み:ろ 広義でいう炉とは火を燃やし加熱や溶解、焼却などをする設備や香などを焚く器のことで暖炉や焼却炉、また古民家などにみられる「囲炉裏」もその一つです。 茶道においては茶室内の一部の床を「一尺四寸(約42.5cm)」四方、深さ「一尺五寸(約45cm)」で切り出し、その中に炉壇を落とし入れ灰、五徳を入れ、炭を焚いて使用します。 その昔、わび茶を提唱した茶祖/村田珠光(1423-1502)が初めて四畳半に「炉」を切り、その後、武野紹鷗(1502-1555)、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)が炉の点前を定め、それまで炉の大きさが不確定であったが大きさも「一尺四寸(約42.5cm)」に定めたという。 また床下に「炉」のスペースが無く「炉」がきれない場合は、「置炉」を用います。 置炉 読み:おきろ 置炉は、持ち運びが可能な炉で、固定された炉が使えない部屋などで、炉の代用として使用されます。移動式であるため、柔軟な茶会運営に貢献します。 炉 壇 読み:ろだん 炉壇とは茶室内に切られた炉の中に落とし入れ用いる「炭櫃」のことです。 炉壇には灰や五徳を入れ、その上に釜を据えて使用します。 もともとは木製の箱の壁面を土で塗った塗炉の「炭櫃」が用いられていたが鉄製、陶器また火に強い銅製のものも今日では広く使われています。 ​​炉 縁 読み:ろぶち 炉縁とは、炉壇の上にかける「木の枠」のことで、寸法は「一尺四寸(42.4cm)」角、深さ(高さ)「二寸二分(6.7cm)」と定められており、素材は大きく分けて木地と塗の二つに大別されます。 木地は一般的に小間席に用いられ、「桐」「杉」「松」「梅」「桑」「桜」「柿」さらには「鉄刀木」「花梨」などの唐木から社寺などの古材まで今日ではさまざまな木材が用いられています。昔は使用後に水で炉縁を洗っていたため水に強い「沢栗」が用いられていたという。 塗は一般的に広間席に用いられ、「真塗」「溜塗」「掻合塗」「春慶塗」「青漆」などさまざまな技法が用いられていますが正式には「桧材真塗」とされています。また鮮やかな蒔絵技法が施されたものがあり、茶席の「趣向」に応じて使い分けられています。 炉縁 炉縁は、炉の縁に嵌め込む木製の枠です。広間での使用が原則とされ、炉の火気が畳に伝わらないようにするほか、炉周りの装飾としての役割も果たします。塗物で仕上げたものなど、さまざまなタイプがあります。 大 炉 読み:だいろ 大炉とは極寒の二月に限り用いられる炉の一つで通常の炉より一回り大きく切られています。 大炉の寸法については千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)が陰陽五行説に則った「曲尺割法」を用いて四方「一尺八寸(68.2cm)」と定めたとされています。 六畳間の茶室に「逆勝手」に配置され、四方「一尺八寸(68.2cm)」に切るのが約束となっており、大炉は向かって右手前寄りに「五徳」を置き「雪輪瓦」を立てて灰仕切りを施します。 炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で灰色に仕上げ、「炉縁」は「北山杉木地丸太」を用います。 ​

  • 1-5|茶道の季節|茶の湯と季節の関係|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶道の季節 ❚ 目次  01.茶道の季節 02.炉の季節 ~11月-4月~ 03.風炉の季節 ~5月-10月~ 04.炉と風炉の違い ❚ 01. 茶道の季節 茶道では、四季折々の自然の移ろいが茶の湯にもたらす美しさと意味を探求します。 茶道においては、季節は非常に重要な要素であり、「春夏秋冬」の季節感を反映した茶道具の選定や、点前、茶席の趣向に至るまで、自然と共にある茶の湯は、参加する人々に静寂と和の心を育むひとときを提供します。 茶道では、季節が非常に重要な要素とされ、各季節に合わせて使用する茶道具や点前が変わることで、その季節ごとの趣向を楽しむことができます。また、茶室において季節感を味わうため、1年を「炉の時期(11月~4月)」と「風炉の時期(5月~10月)」の2つに分け、それぞれの時期にふさわしい趣を演出しています。 ​​ 炉の時期(11月~4月) 「炉」の時期は冬の寒い時期にあたるため、客人の体感は当然のことながら視覚からも暖かくなるように席中の床に設けた「炉」に釜を懸け、客人に対し釜を近づけることで「炭(炭火)」を見せます。 ​​​​ 風炉の時期(5月~10月) 「風炉」の時期は暑い時期にあたるため、それまでの「炉」を塞ぎ風炉(釜)を用いることで客人に対して「炭(炭火)」を見せず体感からも視覚からも暑さを和らげます 。 ❚ 02.炉の季節 (11月~4月) 茶道において、抹茶の新茶がきる十一月は一年の中でもっとも大切な時期とされ『茶人のお正月』と呼ばれています。毎年十一月のはじめには「炉開き」また「口切」という行事が行われ、この日より「風炉の時期(5月~10月)」まで用いた「風炉」をしまい席中に設けた「炉」に釜を掛け湯を沸かします。 当然のことながら点前も変わり、道具においても「釜」は風炉用より大きい釜を使い、香合は主に陶器を用い、香は煉香を使うなど季節を感じる変更がおこなわれます。 炉 広義でいう炉とは火を燃やし加熱や溶解、焼却などをする設備や香などを焚く器のことで暖炉や焼却炉、また古民家などにみられる「囲炉裏」もその一つです。 茶道においては茶室内の一部の床を「一尺四寸(約42.5cm)」四方、深さ「一尺五寸(約45cm)」で切り出し、その中に炉壇を落とし入れ灰、五徳を入れ、炭を焚いて使用します。 その昔、わび茶を提唱した茶祖/村田珠光(1423-1502)が初めて四畳半に「炉」を切り、その後、武野紹鷗(1502-1555)、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)が炉の点前を定め、それまで炉の大きさが不確定であったが大きさも「一尺四寸(約42.5cm)」に定めたという。 また床下に「炉」のスペースが無く「炉」がきれない場合は、「置炉」を用います。 炉 壇 炉壇とは茶室内に切られた炉の中に落とし入れ用いる「炭櫃」のことです。 炉壇には灰や五徳を入れ、その上に釜を据えて使用します。 もともとは木製の箱の壁面を土で塗った塗炉の「炭櫃」が用いられていたが鉄製、陶器また火に強い銅製のものも今日では広く使われています。 ​​炉 縁 炉縁とは、炉壇の上にかける「木の枠」のことで、寸法は「一尺四寸(42.4cm)」角、深さ(高さ)「二寸二分(6.7cm)」と定められており、素材は大きく分けて木地と塗の二つに大別されます。 木地は一般的に小間席に用いられ、「桐」「杉」「松」「梅」「桑」「桜」「柿」さらには「鉄刀木」「花梨」などの唐木から社寺などの古材まで今日ではさまざまな木材が用いられています。昔は使用後に水で炉縁を洗っていたため水に強い「沢栗」が用いられていたという。 塗は一般的に広間席に用いられ、「真塗」「溜塗」「掻合塗」「春慶塗」「青漆」などさまざまな技法が用いられていますが正式には「桧材真塗」とされています。また鮮やかな蒔絵技法が施されたものがあり、茶席の「趣向」に応じて使い分けられています。 大 炉 大炉とは極寒の二月に限り用いられる炉の一つで通常の炉より一回り大きく切られています。 大炉の寸法については千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)が陰陽五行説に則った「曲尺割法」を用いて四方「一尺八寸(68.2cm)」と定めたとされています。 六畳間の茶室に「逆勝手」に配置され、四方「一尺八寸(68.2cm)」に切るのが約束となっており、大炉は向かって右手前寄りに「五徳」を置き「雪輪瓦」を立てて灰仕切りを施します。 炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で灰色に仕上げ、「炉縁」は「北山杉木地丸太」を用います。 ​このように、茶道における「炉」は、茶会の温かみと季節感を演出するために、各時代の茶人たちによって工夫と伝統が重ねられ、今日の茶道の空間美に欠かせない存在となっています。。 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 03. 風炉の季節 (5月~10月) 毎年5月になると、それまで「炉の季節(11月~4月)」に開いていた「炉」を畳で塞ぎ、「風炉」を用いて湯を沸かします。 茶祖/村田珠光(1423-1502)が初めて四畳半に「炉」を切り、その後、武野紹鷗(1502-1555)、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)が「炉」の点前を定めるまでは四季を問わずすべての時季において「風炉」が用いられていました。 「風炉」の時季には、点前も「炉」の時季とは異なり、道具においても季節を感じさせる工夫がなされています。「釜」は小振りの風炉用を使い、香合は主に塗物、木地などの素材が選ばれ、香は香木を焚くなど清涼感を感じる演出がおこなわれます。 ​​ 「風炉」の起源は、鎌倉時代(1185年-1333年)の初期に臨済宗の僧・南浦紹明(1235-1309)が、仏具である「台子」などと共に中国から持ち帰ったと伝えられています。この伝来により、日本の茶の湯文化はさらに深みを増し、今日に至るまで受け継がれています。 ​ また今日においてはマンションや公営施設など火気の使用が制限されていることから、電気で湯を沸かす「電熱式」の「風炉」なども普及しています。 ​このように、時代に合わせた工夫がされながらも、日本の伝統文化としての風炉の風情は守られています。 ❚ 04.炉と風炉の違い 前項でも述べたように茶道において「季節」というのは非常に重要な要素であり、また非常に楽しめる要素の一つとされています。 ​「炉の季節(11月~4月)」、「風炉の季節時期(5月~10月)」ともにその季節を感じるために道具の素材を替え、その道具に合わせた「点前」も変更し、さらに招いた客人の視覚からもその季節を楽しんでもらう工夫をしています。 ここでは「炉の季節(11月~4月)」、「風炉の季節(5月~10月)」においての「違い」の一例をご紹介いたします。 ​注) 一例であり、流派などにより差異が生じるため下の限りではありません。必ずご自身の流派の先生方へご確認ください 炉 風 炉 季 節 11月―4月 11月―4月 釜 炉釜 風炉釜 竹 蓋 置 上節 下節 香 合 主に陶器 塗物|木地 香 練香 香木 ​​季節を感じさせるこれらの道具の使い分けは、茶道の奥深さを体感できる要素の一つです。 茶の湯の場において、季節の移ろいを五感で楽しみながら、心静かに和の美意識を味わうことができます。

  • 1-2|わびさび|日本文化を支える美意識と茶道の精神|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ わびさび ❚ 目次 01.侘び・寂び~わび・さび~とは 02.侘び~わび~とは 03.寂び~さび~とは ❚ 01. 侘び・寂び~わび・さび~とは 今日の茶道を知らない方でも日本人であれば「わび・さび」という言葉は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょか。本来、「わび」と「さび」は別の概念でしたが、近代の茶道においては一つの語として統合され、茶道を代表する言葉として用いられるようになりました。 しかし、一般の方や茶人の中でも、「わび・さび」の言葉をはっきりと説明できる方は少ないのではないでしょうか? 「わび・さび」は茶道と同様に奥の深い一語ですが、ここでは「わび・さび」の歴史や解釈を紐解きながらご紹介いたします。 ​ ❙ 02.侘び~わび~とは 侘び~わび~とは「不足の中にある静寂な心の境地」、「静寂の中の枯淡な味わい」を説く概念です。 日本最古の和歌集・「万葉集」には「わび」に関する記述は見られますが、美意識としての「わび」が一般的に用いられるのは江戸時代(1603-1868)以降とされています。 禅茶録「南方録」には「わびの本当の心は清浄で無垢な仏の心の世界を表したものだと」記されています。 本来「わび」は悲観の心身の状態を表す語でした。しかし室町時代(1336-1603)において高価な「唐物道具」を尊ぶ中で、茶祖/村田珠光(1423–1502)は粗末なありふれた道具を用いる「草庵茶」を提唱し、後の武野紹鷗(1502–1555)は「正直で慎み深くおごらぬさま」すなわち「わび」の精神を重んじました。 その後、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522–1591)による茶道の大成とともに「わび」は「不足の美」を表す美意識と変容していきます。 ただし、この時期には「わび」を明確に説いた記述はなく、利休時代に見られる「わび数寄」という表現も「山上宗二記」によれば 一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条が整う者 を意味し、いわば「貧乏(簡素な)茶人」を指すもので、美意識としての「わび」とは異なります。 美意識としての「わび」が広く認識されるようになったのは江戸時代(1603-1868)以降であり、柳宗悦(1889-1961)らの民芸運動や益田鈍翁(1848-1938)などの数寄者の活動により、茶道具が美術品として普及する中で、「わび」は日本を代表する美意識の一語として定着しました。 余談ではあるが、岡倉覚三(天心)(1863-1913)の著書『The Book of Tea (『茶の本』)』では、「わび」は "imperfect" と表記され、同書を通じて世界に広まりました。 ❙ 03.寂び~さび~とは 寂び~さび~とはもともと時間の経過による劣化した様子を表す言葉でした。 しかし、後に漢字「寂」が当てられたことで、「寂しい」「寂れる」すなわち「ひっそりと静まる」といった静かな状態を示す意味も持つようになりました。 その結果「老いて枯れたもの」と「古びたものの美」という相反する要素が「さび」の中に内在するようになります。古くは『徒然草』において『古書を「味わい深い」』との記述がある事から古びた姿(様子)に美意識が宿ることが示唆されています。 室町時代(1336-1603)、茶祖/村田珠光(1423–1502)が提唱した草庵茶では茶の湯を表現する際に「冷えさび」「冷え枯れ」という表現が用いられました。また室町時代(1336-1603)以降、その美意識は「禅」「連歌」「能楽」などにも取り入れられました。 しかし利休の時代の史料や『山上宗二記』にある「侘びの十ヶ条」などには「さび」の語は確認する事はできません。 推測ではあるが江戸時代(1603-1868)に栄えた俳諧の流行と伴い、「わび」の概念が広がる中で「さび」という語も結び付けられ、茶道において用いられるようになったのではないかと考えられる。

  • 1-1|茶道とは|茶の湯と茶道の違いとは|茶道の基礎知識

    茶道入門ガイド ■ 茶道の基礎知識 ■ 茶道とは ❚ 目次 01.茶道とは 02.茶の湯と茶道 03.点前とは 04.作法とは 05.茶道の心得 ❚ 01.茶道とは 茶道は、単なるお茶の点前や作法の技術にとどまらず、古代中国から伝来した喫茶文化を基盤とし、禅僧、武家、町人など多様な人々の手によって、日本の歴史とともに育まれてきた「道」です。 室町時代には村田珠光・武野紹鴎らが精神性を重視した茶の湯を整え、安土桃山時代に千利休が「侘び茶」として完成させたことで、今日の茶道の骨格が築かれました。 現在の茶道は、「和敬清寂」や「一期一会」といった理念を中心に、心を磨き、自然の美を味わい、人と人との和を大切にする精神文化として確立されています。茶道を学ぶことで、日常から離れ、静謐の中で自分自身と向き合う時間を得られるのも大きな魅力です。 茶道は、点前をはじめとする作法だけでなく、茶道具に代表される美術工芸、茶室や露地に表れる数寄屋建築、茶事で供される懐石料理、茶花や書など、数多くの日本文化と深く結びついています。これらが一体となることで、茶道は「日本文化の総合芸術」と称される独自の世界を築いてきました。 また茶道は“もてなしの文化”としても特徴的です。茶室の設え、道具の選び方、菓子、季節感にいたるまで、亭主はあらゆる面で客人をもてなし、客はそのすべてから四季の趣と亭主の思いを受け取ります。この心遣いは、現代で広く語られる「おもてなし」の源流といってもよいでしょう。 精神面では、禅の思想に基づく「わび・さび」が重要な柱となっています。最小限の美を尊び、静けさの中で所作に没頭することで、心が自然と整い、自分自身を見つめ直す機会が生まれます。また「一期一会」は、一度の茶会を一生に一度の出会いと心得て、亭主・客ともに誠意を尽くす心構えを示す言葉として知られています。 さらに茶道は、海外からも「日本の精神文化を象徴する芸術」として高く評価されています。ミニマリズムやマインドフルネスとの親和性、自然観や季節感の表現、侘び・寂びの美意識など、世界の文化芸術の中でも類を見ない独自性をもっています。 現代において茶道は、デジタル社会の喧騒から離れ、心を落ち着かせる場、礼節や感性を育む学びの場としても価値を増しています。自然と調和し、人との和を重んじるその姿勢は、古来より日本人が受け継いできた美徳をあらためて認識させてくれます。 茶道とは、長い年月をかけて形成された精神性・芸術性・もてなしの文化が融合した、日本を代表する伝統文化であり、世界に誇る総合芸術なのです。 ❚ 02.茶の湯と茶道 茶の湯と茶道という言葉は、日常では同じように使われていますが、本来は少しだけ意味に違いがあります。 まず、「茶の湯」は茶を点てて人をもてなす行為全体を指す言葉で、歴史的にも古く、室町時代の会所の茶や、侘び茶の成立など、広い範囲を含んでいます。茶碗・建築・庭・香・花・料理といったさまざまな文化要素が集まって成り立っている総合的な芸術文化を、「茶の湯」と呼ぶのが本来の姿です。 一方で、「茶道」はその茶の湯に精神性や学びの体系が加わったもので、特に利休以降、江戸時代にかけて「道」として位置づけられていきました。和敬清寂の精神を中心に、点前、礼法、稽古体系、家元制度などが整い、華道や書道と同じように、人としての成長や心の鍛錬を重んじる文化として確立していきます。今日では、習いごととして学ぶ際に「茶道」という言葉が使われることが多いのもこのためです。 つまり、茶の湯は茶を用いたもてなしの文化そのものを広く示し、茶道はその茶の湯を“道”として体系化し、精神的な修行性を帯びた学びの形を指す言葉だと言えます。 初心者向けの記事では、この違いを押さえておくことで、茶道の背景にある深さや、日本文化としての広がりをよりわかりやすく伝えることができます。。 ❚ 03.点前とは 点前~てまえ~とは、茶の湯で招いた客に差し上げる抹茶を点てるための一連の所作、すなわち作法のことを指します。 もともとは「手前」という字が用いられていましたが、今日では炭を扱う際の所作・作法を示す場合に限り「手前」と表記し、抹茶を点てる作法は「点前」と書くのが一般的となっています。 流派や季節(炉・風炉)によって点前の細部に異なる点はありますが、茶道の点前には大きく「濃茶点前」と「薄茶点前」の二種類に大別されます。 点前の歴史をさかのぼると、中国・(960-1279)の茶書「茶録」に見える「点茶」という語が初見と考えられています。 日本の歴史記録としては、永享九年(1437年)十月二十一日、百二代天皇/後花園天皇(1419–1471 )が室町幕府第六代将軍/足利義教(1394–1441)の室町殿へ行幸した際、赤松貞村(1393–1447)が天皇拝領の唐物道具を用い、平安装束(水干・折烏帽子)で披露した「台子点前」が最古の例として伝えられています。 ​​ その後、台子点前は茶祖/村田珠光(1423–1502)が提唱した「草庵茶」の成立とともに、より簡素で精神性を重んじる「炉の点前」へと発展しました。 これを継承したのが「わび茶」を唱えた武野紹鷗(1502–1555)であり、やがて千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522–1591)の登場によって、茶を運んで点てる「運びの点前」が確立します。 利休の時代に、点前は「道」としての骨格を整え、茶道は今日の形に至る基盤を築きました。 時代が下るにつれ流派は増え、各家元制度が整えられる中で、点前はさらなる発展を遂げます。道具組や所作の違いは多様化しつつも、点前に込められた精神性と美意識は変わることなく、今日まで受け継がれています。 ❚ 04.作法とは 茶道に限らず、日本では古くから培ってきた独自の文化と精神に基づき、相手への感謝や地域や社会への秩序を保つためなど、さまざまな機会や場所にて規範となる作法が培われてきました。 一言に作法といっても、対人間だけでなく、自己と向き合う際の「神仏」「自然」「動植物」など、あらゆる対象に対する行いが含まれます。 茶道における作法については「礼ではじまり、礼でおわる」という理念のもと、熟練の先生方はもちろん初めて茶道を習う方でもすべては『礼』から学びます。 流派によって細部に差はありますが、茶道では以下の場面すべてに作法が求められます。 お辞儀(礼) 姿勢 座り方(正座) 歩き方 点前 点前時(亭主) 入室時(客人) 喫茶時(客人) 食事時(客人) 退室時(客人) 一見すると複雑で難解に思えるかもしれません。しかし、茶道では相手だけでなく、自然・食材・空間など、あらゆるものを敬う心があれば、すべての所作は合理的で理にかなったものとなります。この当たり前の事実を改めて教えてくれるのも、茶道の大きな魅力の一つと言えます。 日本人として培われた日常の作法から、「一期一会」の茶の空間秩序を保つための亭主と客人の思いやりまで、茶道における作法は日々の修練によって磨かれるものです。 当たり前のことを正しく行うことの難しさを実感させてくれる点こそ、茶道の深い魅力の一つと言えるでしょう。 ❚ 05.茶道の心得 茶の湯の大成者である千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)は、茶道における心得を示す標語として四つの漢字から成る「利休四規」と七つの言葉から成る「利休七則」を提唱しました。 これから茶道を修練する方にとって茶道の心得となる大切な標語です。  利 休 四 規 和・敬・清・寂 利 休 七 則 一、茶は服のよきように 二、炭は湯の沸くように 三、夏は涼しく冬は暖かに 四、花は野にあるように 五、刻限は早めに 六、降らずとも雨の用意 ​これらの標語は、茶道における礼儀や精神、そして自然への敬意を象徴しており、茶の湯を通して真摯な交流を育むための指針となります。 日々の修練の中で心に刻み、茶道の奥深い世界を味わってみてください。

  • ★茶菓子一覧|主菓子と干菓子|茶席の御菓子|茶道辞典

    茶道辞典 ■ 茶席の御菓子 ■ 茶菓子|一覧 ❚ 主菓子 ❚ 干菓子

  • ★茶花一覧|茶花の役割とその種類|茶席の御花|茶道辞典

    茶道辞典 ■ 茶席の御花 ■ 茶花|一覧 ❚ 茶花 ❚ 茶花

  • 10-1|利休の師|第10回 ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第10回 ゆかりの人々 ■ 利休の師 ❚ 利休ゆかりの人々 「ゆかりの人々」では、 千利休* と深い関わりを持った人物たちをご紹介します。 千利休はその生涯において、師や弟子、大名や門人など、数多くの人々と交流を重ねながら、茶の湯の道を切り拓いていきました。 ゆかりのある人物たちの姿を通して、千利休の茶の湯がどのように継承され、広がっていったのかを知ることができるでしょう。 千利休の思想と実践が、どのように後世へと受け継がれていったのか――茶道の歴史を立体的に捉える鍵となります。 ❚ 利休の師 千利休の茶の湯は、先人たちの思想や技法を受け継ぎ、独自に磨き上げることで大成されました。 その根幹には禅の教えと茶の湯の精神があり、これらを千利休に伝えたのが以下に挙げる五人の師とされています。 ❚ 北向道陳 ―茶道の師― 読 み : きたむき・どうちん 生 年 : 永正元年(1504年)-永禄五年(1562年) 一月十八日 職 位 : 茶匠 室町時代後期の堺の茶匠。 千利休の最初の師であり、後に、武野紹鴎に利休を推薦し引き合わせたといわれます。 北向道陳の茶は、 能阿弥* の影響が強い 書院茶** とされています。 ❚ 武野紹鷗 ―茶道の師― 読 み : たけの・じょうおう 生 年 : 文亀二年(1502年)-弘治元年(1555年) 十月二十九日 職 位 : 茶匠 室町時代末期の堺の武具商人で、歌人であり茶匠。 臨済宗**大徳寺** で禅の修行をし、「紹鴎」の号を得る。 十四屋宗伍* に茶を学び、茶の湯の質素・簡素化、草体(自然)化を進め、 わび茶** を完成させる。 北向道陳に次ぐ千利休の茶の湯の師として知られています。 ❚ 大林宗套 ―参禅の師― 読 み : だいりん・そうとう 生 年 : 文明十二年(1480年)-永禄十一年(1568年) 一月二十七日|六十六歳 職 位 : 大徳寺九十 世 住持 千利休の初期の 参禅** の師。 三好長慶* の 招請** で堺の 南宗寺** の 開山** となる。 仏教的な死生観と「無常」の教えを通して、静寂の中に真理を求める心を利休に示しました。 ❚ 笑嶺宗訢 ―参禅の師― 読 み : しょうれい・そうきん 生 年 : 延徳二年(1490年)-天正十一年(1568年)十一月二十九日|七十九歳 職 位 : 大徳寺 百七世 住持 大林宗套に続き、千利休が深く参じた禅僧。 禅の理を日常に見出す心法は、利休の「日常を茶に昇華する」思想に強く影響を与えたとされます。 大徳寺内に 聚光院** を創立。 ❚ 古渓宗陳 ―参禅の師― 読 み : こけい・そうちん 生 年 : 天文元年(1532年)-慶長二年(1597年)一月十七日|六十六歳 職 位 : 大徳寺 百十七世 住持 安土桃山時代、 臨済宗の禅 僧であり、蒲庵古渓(ほあんこけい)とも呼ばれます。 利休の晩年に参じた師であり、利休に最も影響を与えた禅僧の一人。 大徳寺の住持となり千利休に禅を教え参禅の師となります。 ❚ 茶道のみちしるべ 千利休が築いた わび茶 の美意識と茶の湯の様式は、師の教えを土台としながら、さらに深化されていきました。 北向道陳は形式的な礼法と出会いのきっかけを与え、武野紹鷗は 「草庵茶湯**」 の在り方を示し、古渓宗陳は「禅の心」で精神的支柱となりました。 利休の師を知ることは、利休の思想と茶の湯の本質に近づく重要な一歩となるのです。 ❚ 次回は・・・ 次回の「10-2|天下三宗匠|10.利休ゆかりの人々」では、 織田信長* と 豊臣秀吉* の二人の天下人に認められた三人の茶匠についてご紹介していきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 空海|くうかい ……… 。 能阿弥|のうあみ ……… 。 十四屋宗伍|じゅうしや・そうご ……… 。 三好長慶|みよし・ちょうけい ……… 。 織田信長|おだ・のぶなが ……… 。 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年    用語解説 書院茶|しょいんちゃ ……… 中世武家社会において発展した、格式を重んじる茶の湯の形式。 臨済宗|りんざいしゅう ……… 。 大徳寺|だいとくじ ……… 。 参禅|さんぜん ……… 禅僧の指導のもと、坐禅や問答などを通じて精神修養を行うこと。 招請|しょうせい ……… 。 南宗寺|なんしゅうじ ……… 。 開山|かいざん ……… 。 聚光院|じゅこういん ……… 。 わび茶|わびちゃ ……… 質素な美と精神性を重視した茶の湯の形式。利休によって大成された。 草庵茶|そうあんちゃ ……… 。

  • 10-2|天下三宗匠|第10回 ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第10回 ゆかりの人々 ■ 天下三宗匠 ❚ 天下三宗匠とは 天下三宗匠とは、 織田信長* および 豊臣秀吉* のもとで茶の湯を支えた―― 千利休* ・今井宗久・津田宗及の三人の茶匠を指す呼称です。 いずれも堺の豪商として経済的・文化的影響力をもち、同時代にそれぞれの役割を果たしながら、茶の湯の発展に大きな功績を残しました。 特にこの三人は、信長・秀吉の政治と文化政策における茶の湯の重要性を具現化し、「茶の湯」が大名文化に取り込まれていく過程で需要な役割を担った存在でした。 各人が異なる流派や経歴を持ちながらも、利休を含めたこの三人が時代を象徴する茶人として後世において天下三宗匠と呼ばれるようになりました。 ❚ 今井宗久 読 み : いまい・そうきゅう 生 年 : 永正十七年(1520年)-文禄二年(1593年)八月五日|七十三歳 職 位 : 茶匠 戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人。 堺にて茶を 武野紹鴎* に学び、その後娘婿となる。 千利休、津田宗久とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、 織田信長 の 茶頭となり、 「 本能寺の変**」 の後は豊臣秀吉にも茶頭として仕える。 茶会記として 『今井宗久茶湯書抜**』 二巻があり、八十三回の茶会記が収められている。 ❚ 津田宗及 読 み : つだ・そうぎゅう 生 年 : 生年不詳-天正十九年(1591年)四月二十日 職 位 : 茶匠 安土桃山時代の堺の豪商で、武野紹鴎の門人であった父・ 津田宗達* に茶道を教わり、織田信長、次いで豊臣秀吉の茶頭を務める。 また、大徳寺で禅を学び千利休、今井宗久とともに茶湯の天下三宗匠と称せらる。 北野天満宮(京都) で開催した 「北野大茶湯**」 ではこの三人が指導役をつとめる。 ❚ 天下三宗匠の役割 天下三宗匠は、千利休・今井宗久・津田宗及の三名を指し、戦国から安土桃山時代にかけて茶の湯を文化として確立・拡大させるうえで重要な役割を果たしました。 それぞれが異なる茶風と立場を持ちながらも、織田信長・豊臣秀吉の権力を背景に茶の湯を通して政治と文化を結びつけた象徴的存在です。 ❚ 次回は・・・ 次回の「10-3|利休三門衆|10.利休ゆかりの人々」では、利休の門弟の中でも特に重視された3人とその経歴や利休との関係を深く掘り下げ、どのように茶の湯の発展に寄与したかをご紹介します。 登場人物 織田信長|おだ・のぶなが ……… 。 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 武野紹鴎|たけの・じょうおう ……… 。 津田宗達|つだ・そうたつ ……… 。 用語解説 本能寺の変|ほんのうじのへ ……… 。 今井宗久茶湯書抜 ……… 北野大茶湯|きたのおおちゃゆ ……… 1587年、秀吉主催の大規模な茶会。三宗匠が指導役を務め、茶の湯の民衆化に寄与。

  • 10-3|利休三門衆|第10回 ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第10回 ゆかりの人々 ■ 利休三門衆 ❚ 利休三門衆とは 利休三門衆とは、 千利休* の 門弟の中でも、特に重んじられた三人の高弟 を指す呼称です。 彼らは千利休のの茶の湯を学び、その精神を戦国の世において実践し、広める役割を果たしました。 茶人であると同時に武将としても名を馳せた彼らの存在は、茶の湯が武家社会に深く浸透していく契機となりました。 ❚ 蒲生氏郷 読 み : がもう・うじさと 生 年 : 弘治二年(1556年)-文禄四年(1595年)|三十九歳 職 位 : 武将 戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した大名 。 茶号は「松寿軒」。 織田信長* に早くから仕え、織田信長の娘・ 冬姫* を正室として迎えるほどの信任を得る。 「本能寺の変**」の 後は、 豊臣秀吉* に従い、 「賤ヶ岳の戦い**」 、 「小牧・長久手の戦い**」 などに従軍。 武将としての才覚とともに、教養・美意識に優れ、茶の湯・連歌・書などの文化面にも深く関わった数少ない文化武将のひとりです。 ❚ 細川忠興(三斎) 読 み : ほそかわ・ただおき・さんさい 生 年 : 永禄6年(1563年)-正保三年(1646年) 職 位 : 大名| 豊前小倉藩初代藩主|三斎流開祖 幼少より武芸と学問を修め、 明智光秀* の娘・ 玉(細川ガラシャ)* と政略結婚。 「本能寺の変」の後は、豊臣秀吉に従い、 「関ヶ原の戦い**」 後は 徳川家康* の信任を得て、豊前小倉39万石に封じられ、のち熊本54万石へ加増。 晩年は家督を子の 細川忠利* に譲り、三斎と号して茶と文化に専念。 ❚ 芝山宗綱 (監物) 読 み : しばやま・むねつな (けんもつ) 生 年 : 生没享年不詳 職 位 : 武将 安土桃山時代の武将で、初めは織田信長に仕え後に豊臣秀吉に従う。 千利休に茶道を学び、蒲生氏郷、細川忠興と共に茶湯に優れた人物として利休門三人衆に数えられた武将の一人。 天正九年(1581)には 津田宗及* や 山上宗二* らを招いて茶会を行なっている。 千利休から 長次郎 作の 黒楽茶碗「雁取」** を贈られるなど、利休とは懇意であった。 ❚ 利休の高弟一覧 利休三門衆 利休七哲 利休十哲 蒲生氏郷 〇 〇 〇 細川忠興 (三斎) 〇 〇 〇 芝山宗綱 (監物) 〇 〇 〇 高山南坊 (右近) 〇 〇 牧村利貞 (兵部) 〇 〇 古田重然 (織部) 〇 〇 瀬田掃部 〇 〇 前田利長 △ 有馬豊氏 △ 金森長近 △ 織田長益 (有楽斎) 〇 千紹安 (道安) 〇 荒木村重 (道薫) 〇 ❚ 武士階級への橋渡し 利休三門衆は、茶の湯の精神を実生活に取り入れた実践者であり、利休の教えを広めた重要な人物です。 彼らの存在は、茶の湯が武士階級の文化へと定着していく礎となり、後の茶道発展においても無視できない影響を及ぼしました。 ❚ 次回は・・・ 次回の「10-4|利休七哲|10.利休ゆかりの人々」では、利休の門弟の中でも特に重視された7人とその経歴や利休との関係を深く掘り下げ、どのように茶の湯の発展に寄与したかをご紹介します。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 織田信長|おだ・のぶなが ……… 。 冬姫|ふゆひめ ……… 。 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年 明智光秀|あけち・みつひで ……… 。 細川ガラシャ|ほそかわ・がらしゃ ……… 。 徳川家康|とくがわ・いえやす ……… 。 細川忠利|ほそかわ・ただとし ……… 。 津田宗及|つだ・そうきゅう ……… 。 山上宗二|やまのうえ・そうじ ……… 。 長次郎|ちょうじろう ……… 。   用語解説 本能寺の変|ほんのうじのへん ……… 。 賤ヶ岳の戦い|しずがたけのたたかい ……… 。 小牧・長久手の戦い|こまきながくてのたたかい ……… 。 関ヶ原の戦い|せきがはらのたたかい ……… 。 雁取|がんどり ……… 樂家初代/長次郎作の黒樂茶碗で、千利休が芝山宗綱に与えたとされる名碗。サンリツ服部美術館蔵

  • 10-4|利休七哲|第10回 ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第10回 ゆかりの人々 ■ 利休七哲 ❚ 利休七哲とは 利休七哲とは、 千利休* に深く師事し、その茶の湯の精神を学んだ七人の大名・武将を指す呼称です。 彼らは、茶の湯の理念を武家社会に浸透させた功績を持ち、後世の茶道史において特に重要な存在とされています。 なお、利休七哲という名称は利休の存命中に用いられていたものではなく、後世の茶書や記録によって整理された歴史的概念です。 この名称の初見は​ 松屋久重* が編纂した 『茶道四祖伝書**』 において「七人衆」として「蒲生氏郷」「細川忠興」「芝山監物」「高山南坊」「牧村兵部」「古田織部」「前田利長」、の名が挙げられたことに遡ります。   さらに、寛文三年(1663年) 表千家四代/江岑宗左 * によって記された 『江岑夏書**』 では、「利休弟子七人衆」として、「前田利長」に代わり「瀬田掃部」が加えられました。 その後の茶書では、「有馬豊氏」や「金森長近」などが名を連ねることもありますが、一貫して「蒲生氏郷」と「細川忠興」の二人は常に含まれています。 ​ 今日の一般的な認識では『江岑夏書』に記された以下の七人が「利休七哲」として広く知られています。 蒲生氏郷 細川忠興 (三斎) 芝山宗綱 (監物) 高山南坊 (右近) 牧村利貞 (兵部) 古田重然 (織部) 瀬田掃部   これらの人物は、単なる利休の弟子という枠を超え、いずれも政治・軍事・文化の各方面で大きな足跡を残しています。 彼らの存在によって、茶の湯は戦国から江戸初期の武家社会に深く根を下ろし、茶道の発展に重要な役割を果たしました。 以下では、「利休七哲」と称されるこれら七人の武将たちについて個別にご紹介します。 ※なお、「蒲生氏郷」「細川忠興」「芝山監物」については、前項「利休三門衆」にて解説しています。 ❚ 高山南坊 (右近) 読 み : たかやま・みなみのぼう (うこん) 生 年 : 職 位 : 。 ❚ 牧村利貞 (兵部) 読 み : まきむら・としさだ (ひょうぶ) 生 年 : 職 位 : 。 ❚ 古田重然 (織部) 読 み : ふるた・しげなり (おりべ) 生 年 : 天文十二年(1543年)-慶長二十年(1615年)六月十一日|七十三歳。 職 位 : 武将|織部流開祖 戦国時代後期から江戸時代初期にかけての武将。 千利休の弟子として利休七哲に数えられ、千利休が豊臣秀吉の怒りをかい、堺に 蟄居** を命じられた際、豊臣秀吉の権威を恐れず細川忠興と共に淀の船着場まで見送りに行っている。 千利休亡きあとは、 織部流** の武家茶道を確立し、茶の湯名人として天下の茶人になり、またその作意は織部好みとよばれ、茶室に興福寺 「八窓庵**」 、藪内家 「燕庵**」 などがあり、 織部焼** 、織部灯籠などにその名をとどめている。 ❚ 瀬田正忠 (掃部) 読 み : せた・まさただ (かもん) 生 年 : 天文十七年(1548年)-文禄四年(1595年)八月十日|四十八歳 職 位 : 武将 戦国時代の武将で、 豊臣秀吉* に仕える。通称清右衛門。 官位に由来する「瀬田掃部」という名で知られる。茶人であり、千利休の高弟。 また茶杓削りの名手で、多くの茶杓が今日まで伝えられている。 文禄四年(1595年)に、豊臣秀吉に謀反の疑いをかけられた 豊臣秀次* と共に処刑される。 ❚ △前田利長 読 み : まえだ・としなが 生 年 : 永禄五年(1562年)一月十二日-慶長十九年(1614年)五月二十日|五十三歳 職 位 : 武将 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、初代加賀藩主。 父と共に 織田信長* に仕え、その後豊臣秀吉に仕える。 文禄二年(1593年)十月、前田利長の邸宅にて茶会を開き、 徳川家康* を招く。 ❚ △有馬豊氏 読 み : ありま・とよじ 生 年 : 永禄十二年(1569年)五月三日-寛永十九年(1642年)九月三十日|七十四歳 職 位 : 武将 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、初めは豊臣秀吉に仕える。 秀吉の死後、徳川家康に仕え家康の養女・ 連姫* を妻とする。 茶人としても有名で、千利休の高弟であり利休七哲の一人で徳川家康から燕脂屋肩衝の茶入を贈られている。 ❚ △金森長近 読 み : かなもり・ながちか 生 年 : 大永四年(1524年)-慶長十三年(1608年)八月十二日 職 位 : 茶人 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将であり、茶人。 織田家に仕官して織田信長に仕え、その後、豊臣秀吉に仕える。 千利休や古田織部らに茶の湯をならい、茶の道においては孫の 金森宗和* によって金森家の茶道は大成を成し遂げます。 ❚ 利休の高弟一覧 利休三門衆 利休七哲 利休十哲 蒲生氏郷 〇 〇 〇 細川忠興 (三斎) 〇 〇 〇 芝山宗綱 (監物) 〇 〇 〇 高山南坊 (右近) 〇 〇 牧村利貞 (兵部) 〇 〇 古田重然 (織部) 〇 〇 瀬田掃部 〇 〇 前田利長 △ 有馬豊氏 △ 金森長近 △ 織田長益 (有楽斎) 〇 千紹安 (道安) 〇 荒木村重 (道薫) 〇 ❚ 門弟たちが支えた利休の茶の湯 利休七哲は、後世の文献によって体系化された利休門下の精鋭たちです。 彼らの存在を通じて、茶の湯は武家の精神文化としても成熟を遂げていきました。 千利休の教えが一時的な流行に終わることなく、時代を超えて受け継がれる道となったのは、こうした優れた門弟たちの力があってこそと言えるでしょう。 ❚ 次回は・・・ 次回の「10-5|利休十哲|10.利休ゆかりの人々」では、利休の門弟の中でも特に重視された10人とその経歴や利休との関係を深く掘り下げ、どのように茶の湯の発展に寄与したかをご紹介します。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 松屋久重|まつや・ひさしげ ……… 年 江岑宗左|こうしん・そうさ ……… 年 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年 豊臣秀次|とよとみ・ひでつぐ ……… 年 織田信長|おだ・のぶなが ……… 年 徳川家康|とくがわ・いえやす ……… 年 連姫|れんひめ ……… 年 金森宗和|かなもり・そうわ ……… 年   用語解説 茶道四祖伝書|さどうしそでんしょ ……… 松屋久重によって編まれた利休、織部、三斎、遠州の四大茶人の記録書。 江岑夏書|こうしんげがき ……… 1663年、父・千宗旦から聞いた話を表千家四代/江岑宗左が書き留めた聞書。 蟄居|ちっきょ ……… 。 織部流|おりべりゅう ……… 。 八窓庵|はっそうあん ……… 。 燕庵|えんなん ……… 。 織部焼|おりべやき ……… 。

  • 10-5|利休十哲|第10回 ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第10回 ゆかりの人々 ■ 利休十哲 ❚ 利休十哲とは 利休十哲とは、 千利休* に師事した武将や茶人のうち、特に深く関わったとされる十人を指す呼称で、寛政年間(1789年~1801年)にまとめられた 『古今茶人系譜**』 にその名が初めて見られます。 利休十哲は、前項にて紹介した 利休七哲** の七人に、新しく三名の高弟を加えた十名の構成となっています。 以下では、追加された三名についてご紹介します。 ❚ 織田長益 (有楽斎) 読 み : おだ・ながます (うらくさい) 生 年 : 天文十六年(1547年)-元和七年(1621年)十二月十三日|七十五歳 職 位 : 織田信長* の弟|茶人 織田信長の十三歳年下の弟であり、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。 千利休に茶道を学び、利休七哲(十哲とも)の一人で、本能寺の変の後、剃髪して有楽斎と称し茶道 「有楽流*」 を創始。 京都・建仁寺の正伝院に 茶室「如庵(国宝)**」 を建てる。 如庵は現在、愛知県犬山市の有楽苑に移されています。 ❚ 千紹安 (道安) 読 み : せん・しょうあん (どうあん) 生 年 : 天文十五年(1546年)-慶長十二年(1607年)二月十七日|六十二歳 職 位 : 千利休の長男|茶人 千利休の長男で、安土桃山時代から江戸前期の茶人。 父・利休とともに 茶頭** として 豊臣秀吉* に仕える。 利休の死後は、京都を離れるが文禄三年(1594年)に 徳川家康* や 前田利家* の計らいにより堺に戻ったのち 「堺千家**」 を再興。 しかし、道安には跡継ぎがなく、道安の死去と共にこの堺千家は断絶する。 ❚ 荒木村重 (道薫) 読 み : あらき・むらしげ (どうくん) 生 年 : 天文四年(1535年)-天正十四年(1586年)五月四日|五十二歳 職 位 : 茶人 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、茶人。 初めは池田氏、さらに三好氏に属し、天正一年(1573年)に織田信長に仕える。 織田信長の死後は、茶の道で豊臣秀吉に仕え、そこで茶人「道薫」として復帰。 ❚ 利休の高弟一覧 利休三門衆 利休七哲 利休十哲 蒲生氏郷 〇 〇 〇 細川忠興 (三斎) 〇 〇 〇 芝山宗綱 (監物) 〇 〇 〇 高山南坊 (右近) 〇 〇 牧村利貞 (兵部) 〇 〇 古田重然 (織部) 〇 〇 瀬田掃部 〇 〇 前田利長 △ 有馬豊氏 △ 金森長近 △ 織田長益 (有楽斎) 〇 千紹安 (道安) 〇 荒木村重 (道薫) 〇 ❚ 利休十哲の意義とその影響 利休十哲とは、千利休の教えを受け、その精神をそれぞれの立場で体現した武将や茶人たちの代表的存在です。 武力と美、政治と精神性が交錯した戦国の世において、利休の茶の湯は彼らの生き方に深く影響を与え、のちの茶道文化の発展にも大きな役割を果たしました。 とりわけ追加された三名は、利休との深い関わりだけでなく、それぞれの人生の背景がいかに茶の湯と結びついたかを知るうえでも、非常に重要な存在と言えるでしょう。 ❚ 次回は・・・ 次回の「利休年表|千利休」では、これまで学んできた千利休の生涯を年表形式で整理し、時代ごとの出来事や転機を追いながら、千利休の全体像をご紹介していきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 織田信長|おだ・のぶなが ……… 年 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年 徳川家康|とくがわ・いえやす ……… 年 前田利家|まえだ・としいえ ……… 年    用語解説 古今茶人系譜|ここんちゃじんけいふ ……… 。 利休七哲|りきゅうしちてつ ……… 。 有楽流|うらくりゅう ……… 織田有楽斎が創始した茶の流派。 如庵|じょあん ……… 織田有楽斎が建てた茶室。国宝。 茶頭|ちゃがしら ……… 。 堺千家|さかいせんけ ……… 千家の内、千紹安 (道安)による一系。その後断絶。

  • 9-3|黄金の茶室|第9回 利休の茶室|千宗易利休|抛筌斎

    全10回 抛筌斎 千宗易 利休 ■ 第9回 利休の茶室 ■ 黄金の茶室 ❚ 利休の葛藤 「黄金の茶室」とは 豊臣秀吉* が自身の権勢を象徴するために設計を命じた極めて豪奢な組立式茶室です。 平三畳の間取りで構成され、解体・搬送が可能な構造を持ち、天正十四年(1586年)には御所に運ばれ、 百六代天皇/正親町天皇* に披露された記録が残っています。 この豪華な茶室の存在は、 「わび茶**」 を極めた 千利休* の美学とは対極にあるものであるが、当時の利休がこの設計に関与していなかったとは考えられず、利休の葛藤が伺える。 しかし一方で茶の湯における「美」の多様性を象徴する存在とも言えます。 ​ ​ ❚ 秀吉と黄金の茶室 豊臣秀吉は茶の湯を政治の手段として巧みに用いた人物であり、「黄金の茶室」はその象徴的事例とされています。 百六代天皇/正親町天皇への参内に際して黄金の茶室を携えて臨んだという逸話からも、豊臣秀吉がいかに茶を外交・権威の演出に利用したかがうかがえます。 この華美な空間は、豊臣秀吉の――権力の美――を象徴する一方で、―― わび・さび** ――を重視する利休の茶とは明らかに異なる方向性を持っていました。 ​ ❚ 利休と黄金の茶室 黄金に輝く茶室は、できる限り無駄を排し、簡素な美を追求する利休の「わび茶」の精神とは、根本的に相容れないものでした。 利休の茶の湯は、華美を排除し、徹底した簡素と精神性を重んじたものであり、黄金に彩られた茶室の設計に関与することには、大きな葛藤があったと推察されます。 設計への関与を示す明確な史料は残されていませんが、当時の状況から見て、豊臣秀吉の命による茶室の設計に利休が全く関わらなかったとは考えにくく、何らかの形で携わっていた可能性が高いとされています。 この「黄金の茶室」は、秀吉が志向した――華麗なる茶の湯――と、利休が追求した――わび茶――との間にある美意識の大きな隔たりを象徴する存在となりました。 その価値観の違いは、両者の関係に次第に影を落とし、最終的には利休の死に至る背景の一端をなしたと考えられています。   ​   ❚ ​黄金の茶室の再現 ​黄金の茶室はその後、歴史の中で失われましたが、以下のように近年になっていくつかの再現が試みられています。 ​ ■ 名古屋城 (名古屋市) ―― 1993年:名古屋城本丸御殿の復元プロジェクトの一環として再現 ■ 大阪城 (大阪市) ―― 2011年:大阪城天守閣に再現モデルを展示 ■ MOA美術館 (静岡県熱海市)―― 2015年:桃山時代の技法を用いて復元 ​ いずれも史料をもとに可能な限り当時の姿を再現したものとされ、今日においても黄金の茶室の存在感と歴史的意義を伝えています。 ​​ ​ ​ ❚ ​美の追求と対立 黄金の茶室は、豊臣秀吉が茶の湯を政治的手段として用い、――権力と美の融合――を体現した象徴的な空間とされていますが、現存はしておらず、記録のみにその姿を残しています。 その豪奢な設えは、利休が追求した「わび茶」の簡素で静謐な美とは根本的に相容れず、両者の間に明確な美意識の対立を生じさせました。 当時においては、こうした価値観の違いが融和することはなく、むしろ対立として現れ、利休の死にも影を落とした要因の一つとされています。 今日では、この美意識の対立が、結果として茶の湯に多様な価値をもたらし、日本文化の幅広い美の在り方を示す一端であったと考えることができるのではないでしょうか。 ❚ 次回は・・・ 次回の「10-1|利休の師|10.利休ゆかりの人々」では、千利休に茶の湯の基礎を伝えた師たち――に焦点を当て、彼らの教えがどのように利休の茶風の形成に影響を与えたのかを探っていきます。 登場人物 千利休|せん・りきゅう ……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年 正親町天皇 ……… 。 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし ……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年    用語解説 わび茶 ……… 。 わび・さび|わび・さび ……… 。 ​​​

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