| 千家十職


4-4|奥村家年表|奥村吉兵衛|奥村家|表具師|千家十職|
千家十職 ■ 奥村家|奥村吉兵衛|表具師 ■ 奥村家|年表 ❚ 奥村家|年表 1618年 (元和四年) 奥村家初代/奥村吉右衛門清定生まれる★ 1643年 (嘉永二十年) 奥村家二代/奥村吉右衛門休意生まれる★ 1668年 (寛文八年) 奥村家三代/奥村吉右衛門休誠生まれる★ 1700年 (元禄十三年) 奥村家初代/奥村吉右衛門清定死去▼ 1719年 (享保四年) 奥村家二代/奥村吉右衛門休意死去▼ 1737年 (元文二年) 奥村家四代/奥村吉五郎生まれる★ 1743年 (寛保三年) 奥村家三代/奥村吉右衛門休誠死去▼ 1755年 (宝暦五年) 奥村家五代/奥村吉兵衛了誠生まれる★ 1780年 (安永九年) 奥村家六代/奥村吉兵衛休栄生まれる★ 1781年 (天明元年) 奥村家四代/奥村吉五郎死去▼ 1795年 (寛政七年) 奥村家七代/奥村吉次郎休音生まれる★ 1804年 (文化元年) 奥村家八代/奥村吉兵衛蕎庵生まれる★ 1825年 (文政八年) 奥村家五代/奥村吉兵衛了誠死去▼ 1837年 (天保八年) 奥村家七代/奥村吉次郎休音死去▼ 1


5-1|黒田家とは|黒田正玄|黒田家|竹細工・柄杓師|千家十職|
千家十職 ■ 黒田家|黒田正玄|竹細工・柄杓師 ■ 黒田家とは ❚ 黒田家とは 黒田家とは、千家十職の内の一家で竹細工を業とする職家。 黒田家の作品は、千家の美意識と茶の湯の機能美を兼ね備え、シンプルながらも洗練された造形が特徴で竹の質感や節の使い方に細心の注意を払い、一つひとつの道具に風格と趣を持たせています。 茶の湯の発展とともに技術を磨き、代々「千家好み」の竹細工を制作してきた黒田家の作品は、時代を越えて伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 茶の湯と竹 黒田家は茶杓、柄杓をはじめ台子、香合、花入など竹を用いた茶道具を製作する職家です。 千家十職の一つとして、代々その技術を継承し、茶の湯の美意識に即した作品づくりを続けてきました。 竹は古くから茶の湯において欠かせない素材であり、「わび茶」を完成させた武野紹鷗(1502-1555)は自ら竹の茶杓を削り、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)も「尺八」「園城寺(一重切)」「よなが(二重切)」などの竹花入を手がけ、「泪」「ゆがみ」などの茶杓を削っ


★5-2|竹細工とは|黒田正玄|黒田家|竹細工・柄杓師|千家十職|
千家十職 ■ 黒田家|黒田正玄|柄杓・竹細工師 ■ 竹細工とは ❚ はじめに ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 竹細工とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


5-3|黒田家歴代|黒田正玄|黒田家|竹細工・柄杓師|千家十職|
千家十職 ■ 黒田家|黒田正玄|竹細工・柄杓師 ■ 黒田家|歴代 ❚ 黒田家|歴代 ■ 黒田家|初代 ■ 黒田正玄 ~くろだ・しょうげん~ 天正六年(1578年) ― 承応二年(1653年) 七十六歳 越前国黒田郡の出身。 二十三歳の頃、剃髪して「正玄」と改名。 近江国大津で竹細工をはじめる。 ■ 黒田家|二代 ■ 黒田正玄 ~くろだ・しょうげん~ 寛永二年(1625年) ― 貞享四年(1687年) 六十三歳 黒田家初代/黒田正玄の三男として生まれる。 三代徳川家光の御用柄杓師を務める。 了応二年(1653年)、家督を継承し、黒田家二代を襲名。 ■ 黒田家|三代 ■ 黒田正玄 ~くろだ・しょうげん~ 明暦二年(1656年) ― 享保四年(1717年) 六十二歳 黒田家二代/黒田正玄の長男として生まれる。 五代徳川綱吉の御用柄杓師を務める。 宝暦元年(1704年)、長男・弥吉に家督を譲り隠居。 隠居後、「正斎」と号す。 この頃より千家に出入りする。 ■ 黒田家|四代 ■ 黒田正玄 ~くろだ・しょうげん~ 元禄五年(1692年) ― 享保十六年(1


5-4|黒田家年表|黒田正玄|黒田家|竹細工・柄杓師|千家十職|
千家十職 ■ 黒田家|黒田正玄|竹細工・柄杓師 ■ 黒田家|年表 ❚ 黒田家|年表 1578年 (天正六年) 黒田家初代/黒田正玄 生まれる★ 1625年 (寛永二年) 黒田家二代/黒田正玄 生まれる★ 1653年 (承応二年) 黒田家初代/黒田正玄 死去▼ 1656年 (明暦二年) 黒田家三代/黒田正玄 生まれる★ 1687年 (貞享四年) 黒田家二代/黒田正玄 死去▼ 1692年 (元禄五年) 黒田家四代/黒田正玄 生まれる★ 1708年 (宝永五年) 黒田家五代/黒田正玄 生まれる★ 1717年 (享保四年) 黒田家三代/黒田正玄 死去▼ 1731年 (享保十六年) 黒田家四代/黒田正玄 死去▼ 1747年 (延享四年) 黒田家六代/黒田正玄 生まれる★ 1768年 (明和五年) 黒田家七代/黒田正玄 生まれる★ 1778年 (安永七年) 黒田家五代/黒田正玄 死去▼ 1809年 (文化六年) 黒田家八代/黒田正玄 生まれる★ 1814年 (文化十一年) 黒田家六代/黒田正玄 死去▼ 1819年 (文政二年) 黒田家七代/黒田正玄 死去▼


6-1|駒澤家とは|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 駒澤家とは ❚ 駒澤家とは 駒澤家~こまざわけ~とは、千家十職の内の一家で指物を業とする職家。 駒澤家の指物は、木の質感を生かした繊細な細工と、無駄のない端正な意匠が特徴です。 釘を使わず、木と木を組み合わせて構築する高度な技術によって、機能性と美しさを兼ね備えた作品を生み出しています。千家の茶の湯の精神に基づき、茶室の空間や道具の調和を考慮しながら、品格ある指物を制作し続けています。 駒澤家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの指物を代々にわたり制作してきました。 その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在として今日に受け継がれています。 ❚ 駒澤家のあゆみ 駒澤家は表千家の近くの小川通寺ノ内下ル射場町に居を構え、延宝年間(1673年-1681年)以来、代々「指物」を業としてきました。 木地台子、長板、棚物、卓、木地水指、文庫硯蓋、茶箱、炭台、行灯、炉縁、菓子器、莨盆など、茶の湯に関わる多種多様な木地道具を手掛けてきた記録が残っています。 ...


★6-2|指物とは|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 指物とは ❚ はじめに ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 指物とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


6-3|駒澤家歴代|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 駒澤家|歴代 ❚ 駒澤家|歴代 ■ 駒澤家|初代 ■ 宗源 ~そうげん~ 生年不詳 ― 江戸初期 享年不詳 延宝年間(1673年-1681年)頃に指物を業としたと伝えられている。 ■ 駒澤家|二代 ■ 宗慶 ~そうけい~ 寛永五年(1628年) ― 元禄六年(1693年) 六十六歳 ―。 ■ 駒澤家|三代 ■ 長慶 ~ちょうけい~ 生年不詳 ― 貞享三年(1686年) 享年不詳 。 ■ 駒澤家|四代 ■ 駒澤利斎 ~こまざわ・りさい~ 延宝元年(1673年) ― 延享三年(1746年) 七十四歳 駒澤家三代/長慶の婿養子。 千家に出入りの「茶方指物師」となる。 表千家六代/覚々斎原叟宗左より「利斎」の号を授かる。 四代より駒澤家では「利斎」を名乗る。 ■ 駒澤家|五代 ■ 駒澤利斎 ~こまざわ・りさい~ 宝永四年(1707年) ― 明和元年(1764年) 五十八歳 駒澤家四代/駒澤利斎の子として生まれる。 表千家七代/如心斎天然宗左より「リ斎」の書を授かる。 以後、駒澤家では小判型の「り」の印判と家紋の


6-4|駒澤家年表|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 駒澤家|年表 ❚ 駒澤家|年表 1628年 (寛永五年) 駒澤家二代/宗慶生まれる★ 1686年 (貞享三年) 駒澤家三代/長慶死去▼ 1673年 (延宝元年) 駒澤家四代/駒澤利斎生まれる★ 1693年 (元禄六年) 駒澤家二代/宗慶死去▼ 1707年 (宝永四年) 駒澤家五代/駒澤利斎生まれる★ 1746年 (延享三年) 駒澤家四代/駒澤利斎死去▼ 1739年 (元文四年) 駒澤家六代/駒澤利斎生まれる★ 1764年 (明和元年) 駒澤家五代/駒澤利斎死去▼ 1770年 (明和七年) 駒澤家七代/駒澤利斎生まれる★ 1796年 (寛政八年) 駒澤家八代/駒澤利斎生まれる★ 1803年 (享和三年) 駒澤家六代/駒澤利斎死去▼ 1841年 (天保十二年) 駒澤家十代/駒澤利斎生まれる★ 1846年 (弘化三年) 駒澤家八代/駒澤利斎死去▼ 1852年 (嘉永三年) 駒澤家十一代/駒澤利斎生まれる★ 1862年 (文久二年) 駒澤家九代/駒澤利斎死去▼ 1866年 (慶応二年) 駒澤家十代/駒澤利斎死去


7-1|土田家とは|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家とは ❚ 土田家とは 土田家~つちだけ~とは、千家十職の内の一家で仕服(仕覆)などの袋物を業とする職家。 その千家十職の一つである土田家は、三千家御用達の「袋師」として「仕覆」「帛紗」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。 土田家の仕覆は、茶器や茶道具を包み込むだけでなく、その美しさを引き立てる役割も果たします。 使用される裂地は、古くから伝わる名物裂をはじめ、時代ごとの美意識に即したものが選ばれ、一針一針丁寧に仕立てられます。仕覆の紐や結び方に至るまで、茶の湯のしつらえにふさわしい細やかな工夫が施され茶道具としての品格を高めています。 土田家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの袋物を代々にわたり制作してきました。 その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在として知られています。 ❚ 土田家のあゆみ 土田家の祖先は江州(現在の滋賀県)蒲生郡土田村出身で侍の土田七大夫(生没年不詳)と伝えられています。後に初代彦根藩主/井伊


★7-2|袋師とは|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 袋師とは ❚ はじめに ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 袋師とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


7-3|土田家歴代|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家|歴代 ❚ 土田家|歴代 ■ 土田家|初代 ■ 土田友湖 ~~ 元禄二年(1689年) ― 明和二年(1765年) 七十七歳 土田七太夫の長男として生まれる。 袋師・亀岡宗理より家職を継承。 表千家六代/覚々斎原叟宗左の引き立てにより千家袋師となる。 表千家七代/如心斎天然宗左より「友湖」の号を授かる。 ■ 土田家|二代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 享保十七年(1732年) ― 宝暦七年(1757年) 二十六歳 土田家初代/土田友湖の子として生まれる。 父在世中に早世。 ■ 土田家|三代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 延享四年(1747年) ― 天明四年(1784年) 三十八歳 丁字家嘉兵衛の長男として生まれる。 土田家二代/土田友湖の養子。 養父に続き自身も早世。 ■ 土田家|四代 ■ 土田友湖/鶴寿院貞松 ~~ 享保四年(1719年) ― 享和元年(1801年) 八十二歳 土田家初代/土田友湖の娘として生まれる。。。 ■ 土田家|五代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 安永八年(1779年) ― 文政八


7-4|土田家年表|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家|年表 ❚ 土田家|年表 1689年 (元禄二年) 土田家初代/土田友湖生まれる★ 1719年 (享保四年) 土田家四代/土田友湖/鶴寿院貞松生まれる★ 1732年 (享保十七年) 土田家二代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1747年 (延享四年) 土田家三代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1765年 (明和二年) 土田家初代/土田友湖死去▼ 1757年 (宝暦七年) 土田家二代/土田友湖/半四郎死去▼ 1784年 (天明四年) 土田家三代/土田友湖/半四郎死去▼ 1801年 (享和元年) 土田家四代/土田友湖/鶴寿院貞松死去▼ 1779年 (安永八年) 土田家五代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1825年 (文政八年) 土田家五代/土田友湖/半四郎死去▼ 1804年 (文化元年) 土田家六代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1836年 (天保七年) 土田家七代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1860年 (万延元年) 土田家十代/土田友湖/浄雪院妙要生まれる★ 1862年 (文久二年) 土田家八代/土田友湖/半


8-1|中川家とは|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家とは ❚ 中川家とは 中川家~なかがわけ~とは、千家十職の内の一家で金工~きんこう~を業とする職家。 中川家の金工品は、茶の湯の厳格な作法に適応しつつ、細部まで緻密な技術と洗練された意匠が施されているのが特徴です。鉄、銅、銀などの金属を用いた造形美と、使い込むほどに味わいを増す仕上げが、千家の茶道具としての品格を支えています。特に、金属の質感を生かした独特の風合いや、伝統的な技法を駆使した彫金・鍛金の技術は高く評価されています。 中川家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの金工茶道具を代々にわたり制作してきました。その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 中川家のあゆみ 中川家の先祖は、越後高田佐味郷に居住し、当初は「甲冑」や「鎧」などを制作していたとされ、戦国の世を経て、茶の湯が武士や町人の間に広まる時代になると、金属工芸の技を茶道具制作に活かし始めたと伝えられます。 中川家初代/中川浄益は、茶道具制作を手掛けるように


★8-2|金物とは|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 金物とは ❚ はじめに ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ❚ 金物とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


8-3|中川家歴代|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家|歴代 ❚ 中川家|歴代 ■ 中川家|初代 ■ 中川紹益 ~なかがわ・しょうえき~ 永禄二年(1559年) ― 元和八年(1622年) 六十四歳 越後高田佐味郷の出身。 「紹益」と号す。 ■ 中川家|二代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 文禄二年(1593年) ― 寛文十年(1670年) 七十八歳 中川家初代/中川紹益の長男として京都に生まれる。 金森宗和の娘の夫。 表千家四代/逢源斎江岑宗左の申しつけにより、二代以降、中川家では「浄益」を名乗る。 。 ■ 中川家|三代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 正保三年(1646年) ― 享保三年(1718年) 七十三歳 中川家二代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 歴代随一の名工と称される。 砂張の製法を発見。 ■ 中川家|四代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 万治元年(1658年) ― 宝暦十一年(1761年) 百三歳 菊亭公より「友寿」の号を賜りました。 長寿であり、三人の息子の内、長男と次男は家督を継ぐことなく逝去。 ■


8-4|中川家年表|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家|年表 ❚ 中川家|年表 1559年 (永禄二年) 中川家初代/中川紹益生まれる★ 1593年 (文禄二年) 中川家二代/中川浄益生まれる★ 1622年 (元和八年) 中川家初代/中川紹益死去▼ 1646年 (正保三年) 中川家三代/中川浄益生まれる★ 1658年 (万治元年) 中川家四代/中川浄益生まれる★ 1670年 (寛文十年) 中川家二代/中川浄益死去▼ 1718年 (享保三年) 中川家三代/中川浄益死去▼ 1724年 (享保九年) 中川家五代/中川浄益生まれる★ 1761年 (宝暦十一年) 中川家四代/中川浄益死去▼ 1766年 (明和三年) 中川家六代/中川浄益生まれる★ 1791年 (寛政三年) 中川家五代/中川浄益死去▼ 1796年 (寛政八年) 中川家七代/中川浄益生まれる★ 1830年 (文政十三年) 中川家八代/中川浄益生まれる★ 1833年 (天保四年) 中川家六代/中川浄益死去▼ 1849年 (嘉永二年) 中川家九代/中川浄益生まれる★ 1859年 (安政六年) 中川家七


9-1|中村家とは|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村家|中村宗哲|塗師 ■ 中村家とは ❚ 中村家とは 中村家~なかむらけ~とは、千家十職の内の一家で棗、香合などの塗物(漆芸)を業とする職家。 中村家の漆芸は、深みのある漆の光沢と、繊細で格調高い意匠が特徴である。漆塗りは単なる装飾のみならず、器物の強度や手触りにも関わる重要な工程であり、実用性と美の調和を求められる茶の湯において欠かせない技法とされています。 中村宗哲の名を冠する塗物は、茶席において格式を備えた道具として高く評価され、茶の湯の発展とともに技を磨き続けてきました。 中村家の作品は、時代を経てもなお伝統の技法を守り、茶の湯の世界に欠かせぬ存在として今日に受け継がれています。 ❚ 中村家のあゆみ 中村家の祖は中村家元祖/覚法源想信士(生年不詳-1654)と伝えられ、その父は豊臣政権の三中老のひとり、中村一氏(生年不詳-1600)の家臣であったと伝えられています。 中村家三代/中村宗哲(1699-1776)の後室の家伝によると中村家元祖/覚法源想信士は慶長二十年(1615年)「大阪夏の陣の合戦をうとみ、京都の武者小



