| 千家十職


6-3|駒澤家歴代|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 駒澤家|歴代 ❚ 駒澤家|歴代 ■ 駒澤家|初代 ■ 宗源 ~そうげん~ 生年不詳 ― 江戸初期 享年不詳 延宝年間(1673年-1681年)頃に指物を業としたと伝えられている。 ■ 駒澤家|二代 ■ 宗慶 ~そうけい~ 寛永五年(1628年) ― 元禄六年(1693年) 六十六歳 ―。 ■ 駒澤家|三代 ■ 長慶 ~ちょうけい~ 生年不詳 ― 貞享三年(1686年) 享年不詳 。 ■ 駒澤家|四代 ■ 駒澤利斎 ~こまざわ・りさい~ 延宝元年(1673年) ― 延享三年(1746年) 七十四歳 駒澤家三代/長慶の婿養子。 千家に出入りの「茶方指物師」となる。 表千家六代/覚々斎原叟宗左より「利斎」の号を授かる。 四代より駒澤家では「利斎」を名乗る。 ■ 駒澤家|五代 ■ 駒澤利斎 ~こまざわ・りさい~ 宝永四年(1707年) ― 明和元年(1764年) 五十八歳 駒澤家四代/駒澤利斎の子として生まれる。 表千家七代/如心斎天然宗左より「リ斎」の書を授かる。 以後、駒澤家では小判型の「り」の印判と家紋の


6-4|駒澤家年表|駒澤利斎|駒澤家|指物師|千家十職|
千家十職 ■ 駒澤家|駒澤利斎|指物師 ■ 駒澤家|年表 ❚ 駒澤家|年表 1628年 (寛永五年) 駒澤家二代/宗慶生まれる★ 1686年 (貞享三年) 駒澤家三代/長慶死去▼ 1673年 (延宝元年) 駒澤家四代/駒澤利斎生まれる★ 1693年 (元禄六年) 駒澤家二代/宗慶死去▼ 1707年 (宝永四年) 駒澤家五代/駒澤利斎生まれる★ 1746年 (延享三年) 駒澤家四代/駒澤利斎死去▼ 1739年 (元文四年) 駒澤家六代/駒澤利斎生まれる★ 1764年 (明和元年) 駒澤家五代/駒澤利斎死去▼ 1770年 (明和七年) 駒澤家七代/駒澤利斎生まれる★ 1796年 (寛政八年) 駒澤家八代/駒澤利斎生まれる★ 1803年 (享和三年) 駒澤家六代/駒澤利斎死去▼ 1841年 (天保十二年) 駒澤家十代/駒澤利斎生まれる★ 1846年 (弘化三年) 駒澤家八代/駒澤利斎死去▼ 1852年 (嘉永三年) 駒澤家十一代/駒澤利斎生まれる★ 1862年 (文久二年) 駒澤家九代/駒澤利斎死去▼ 1866年 (慶応二年) 駒澤家十代/駒澤利斎死去


7-1|土田家とは|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家とは ❚ 土田家とは 土田家~つちだけ~とは、千家十職の内の一家で仕服(仕覆)などの袋物を業とする職家。 その千家十職の一つである土田家は、三千家御用達の「袋師」として「仕覆」「帛紗」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。 土田家の仕覆は、茶器や茶道具を包み込むだけでなく、その美しさを引き立てる役割も果たします。 使用される裂地は、古くから伝わる名物裂をはじめ、時代ごとの美意識に即したものが選ばれ、一針一針丁寧に仕立てられます。仕覆の紐や結び方に至るまで、茶の湯のしつらえにふさわしい細やかな工夫が施され茶道具としての品格を高めています。 土田家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの袋物を代々にわたり制作してきました。 その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在として知られています。 ❚ 土田家のあゆみ 土田家の祖先は江州(現在の滋賀県)蒲生郡土田村出身で侍の土田七大夫(生没年不詳)と伝えられています。後に初代彦根藩主/井伊


7-3|土田家歴代|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家|歴代 ❚ 土田家|歴代 ■ 土田家|初代 ■ 土田友湖 ~~ 元禄二年(1689年) ― 明和二年(1765年) 七十七歳 土田七太夫の長男として生まれる。 袋師・亀岡宗理より家職を継承。 表千家六代/覚々斎原叟宗左の引き立てにより千家袋師となる。 表千家七代/如心斎天然宗左より「友湖」の号を授かる。 ■ 土田家|二代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 享保十七年(1732年) ― 宝暦七年(1757年) 二十六歳 土田家初代/土田友湖の子として生まれる。 父在世中に早世。 ■ 土田家|三代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 延享四年(1747年) ― 天明四年(1784年) 三十八歳 丁字家嘉兵衛の長男として生まれる。 土田家二代/土田友湖の養子。 養父に続き自身も早世。 ■ 土田家|四代 ■ 土田友湖/鶴寿院貞松 ~~ 享保四年(1719年) ― 享和元年(1801年) 八十二歳 土田家初代/土田友湖の娘として生まれる。。。 ■ 土田家|五代 ■ 土田友湖/半四郎 ~~ 安永八年(1779年) ― 文政八


7-4|土田家年表|土田友湖|土田家|袋師|千家十職|
千家十職 ■ 土田家|土田友湖|袋師 ■ 土田家|年表 ❚ 土田家|年表 1689年 (元禄二年) 土田家初代/土田友湖生まれる★ 1719年 (享保四年) 土田家四代/土田友湖/鶴寿院貞松生まれる★ 1732年 (享保十七年) 土田家二代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1747年 (延享四年) 土田家三代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1765年 (明和二年) 土田家初代/土田友湖死去▼ 1757年 (宝暦七年) 土田家二代/土田友湖/半四郎死去▼ 1784年 (天明四年) 土田家三代/土田友湖/半四郎死去▼ 1801年 (享和元年) 土田家四代/土田友湖/鶴寿院貞松死去▼ 1779年 (安永八年) 土田家五代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1825年 (文政八年) 土田家五代/土田友湖/半四郎死去▼ 1804年 (文化元年) 土田家六代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1836年 (天保七年) 土田家七代/土田友湖/半四郎生まれる★ 1860年 (万延元年) 土田家十代/土田友湖/浄雪院妙要生まれる★ 1862年 (文久二年) 土田家八代/土田友湖/半


8-1|中川家とは|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家とは ❚ 中川家とは 中川家~なかがわけ~とは、千家十職の内の一家で金工~きんこう~を業とする職家。 中川家の金工品は、茶の湯の厳格な作法に適応しつつ、細部まで緻密な技術と洗練された意匠が施されているのが特徴です。鉄、銅、銀などの金属を用いた造形美と、使い込むほどに味わいを増す仕上げが、千家の茶道具としての品格を支えています。特に、金属の質感を生かした独特の風合いや、伝統的な技法を駆使した彫金・鍛金の技術は高く評価されています。 中川家は、茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの金工茶道具を代々にわたり制作してきました。その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 中川家のあゆみ 中川家の先祖は、越後高田佐味郷に居住し、当初は「甲冑」や「鎧」などを制作していたとされ、戦国の世を経て、茶の湯が武士や町人の間に広まる時代になると、金属工芸の技を茶道具制作に活かし始めたと伝えられます。 中川家初代/中川浄益は、茶道具制作を手掛けるように


8-3|中川家歴代|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家|歴代 ❚ 中川家|歴代 ■ 中川家|初代 ■ 中川紹益 ~なかがわ・しょうえき~ 永禄二年(1559年) ― 元和八年(1622年) 六十四歳 越後高田佐味郷の出身。 「紹益」と号す。 ■ 中川家|二代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 文禄二年(1593年) ― 寛文十年(1670年) 七十八歳 中川家初代/中川紹益の長男として京都に生まれる。 金森宗和の娘の夫。 表千家四代/逢源斎江岑宗左の申しつけにより、二代以降、中川家では「浄益」を名乗る。 。 ■ 中川家|三代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 正保三年(1646年) ― 享保三年(1718年) 七十三歳 中川家二代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 歴代随一の名工と称される。 砂張の製法を発見。 ■ 中川家|四代 ■ 中川浄益 ~なかがわ・じょうえき~ 万治元年(1658年) ― 宝暦十一年(1761年) 百三歳 菊亭公より「友寿」の号を賜りました。 長寿であり、三人の息子の内、長男と次男は家督を継ぐことなく逝去。 ■


8-4|中川家年表|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
千家十職 ■ 中川家|中川浄益|金物師 ■ 中川家|年表 ❚ 中川家|年表 1559年 (永禄二年) 中川家初代/中川紹益生まれる★ 1593年 (文禄二年) 中川家二代/中川浄益生まれる★ 1622年 (元和八年) 中川家初代/中川紹益死去▼ 1646年 (正保三年) 中川家三代/中川浄益生まれる★ 1658年 (万治元年) 中川家四代/中川浄益生まれる★ 1670年 (寛文十年) 中川家二代/中川浄益死去▼ 1718年 (享保三年) 中川家三代/中川浄益死去▼ 1724年 (享保九年) 中川家五代/中川浄益生まれる★ 1761年 (宝暦十一年) 中川家四代/中川浄益死去▼ 1766年 (明和三年) 中川家六代/中川浄益生まれる★ 1791年 (寛政三年) 中川家五代/中川浄益死去▼ 1796年 (寛政八年) 中川家七代/中川浄益生まれる★ 1830年 (文政十三年) 中川家八代/中川浄益生まれる★ 1833年 (天保四年) 中川家六代/中川浄益死去▼ 1849年 (嘉永二年) 中川家九代/中川浄益生まれる★ 1859年 (安政六年) 中川家七


9-1|中村家とは|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村家|中村宗哲|塗師 ■ 中村家とは ❚ 中村家とは 中村家~なかむらけ~とは、千家十職の内の一家で棗、香合などの塗物(漆芸)を業とする職家。 中村家の漆芸は、深みのある漆の光沢と、繊細で格調高い意匠が特徴である。漆塗りは単なる装飾のみならず、器物の強度や手触りにも関わる重要な工程であり、実用性と美の調和を求められる茶の湯において欠かせない技法とされています。 中村宗哲の名を冠する塗物は、茶席において格式を備えた道具として高く評価され、茶の湯の発展とともに技を磨き続けてきました。 中村家の作品は、時代を経てもなお伝統の技法を守り、茶の湯の世界に欠かせぬ存在として今日に受け継がれています。 ❚ 中村家のあゆみ 中村家の祖は中村家元祖/覚法源想信士(生年不詳-1654)と伝えられ、その父は豊臣政権の三中老のひとり、中村一氏(生年不詳-1600)の家臣であったと伝えられています。 中村家三代/中村宗哲(1699-1776)の後室の家伝によると中村家元祖/覚法源想信士は慶長二十年(1615年)「大阪夏の陣の合戦をうとみ、京都の武者小


9-3|中村家歴代|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村宗哲 ■ 中村家|歴代 ❚ 中村家|歴代 ■ 中村家|初代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 元和三年(1617年) ― 元禄八年(1695年) 七十九歳 武者小路千家四代/似休斎一翁宗守の養父。 娘婿であった武者小路千家四代/似休斎一翁宗守が千家にもどったために塗師業を継承。 ■ 中村家|二代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 寛文十一年(1671年) ― 宝永三年(1706年) 三十六歳 中村家二代/中村宗哲の子として京都に生まれる。 豊田八郎兵衛の名で御所出入りとなる。 二十五歳にて父を亡くし中村家の家督を継承。 ■ 中村家|三代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 元禄十三年(1699年) ― 安永五年(1776年) 七十七歳 中村家三代/中村宗哲の子として京都に生まれる。 幼少にて両親を亡くしたため、幼くして中村家の家業を継承。 七事式の制定に参画。 ■ 中村家|四代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 享保十一年(1726年) ― 寛政三年(1791年) 六十四歳 中村家三代/中村宗哲の婿養子。...


9-4|中村家年表|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村家|中村宗哲|塗師 ■ 中村家|年表 ❚ 中村家|年表 1617年 (元和三年) 中村家初代/中村宗哲生まれる★ 1671年 (寛文十一年) 中村家二代/中村宗哲生まれる★ 1695年 (元禄八年) 中村家初代/中村宗哲死去▼ 1699年 (元禄十三年) 中村家三代/中村宗哲生まれる★ 1706年 (宝永三年) 中村家二代/中村宗哲死去▼ 1726年 (享保十一年) 中村家四代/中村宗哲生まれる★ 1764年 (明和元年) 中村家五代/中村宗哲生まれる★ 1776年 (安永五年) 中村家三代/中村宗哲死去▼ 1791年 (寛政三年) 中村家四代/中村宗哲死去▼ 1792年 (寛政四年) 中村家六代/中村宗哲生まれる★ 1798年 (寛政十年) 中村家七代/中村宗哲生まれる★ 1828年 (文政十一年) 中村家八代/中村宗哲生まれる★ 1839年 (天保十年) 中村家六代/中村宗哲死去▼ 1846年 (弘化三年) 中村家七代/中村宗哲死去▼ 1856年 (安政三年) 中村家九代/中村宗哲生まれる★ 1862年 (文久二年) 中村家


10-1|飛来家とは|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家とは ❚ 飛来家とは 飛来家~ひきけ~とは、千家十職の内の一家でわが国における漆工芸の一種「一閑張~いっかんばり~」の創始者であり、一閑張細工を業とする職家。 一閑張とは、木地に和紙を何層にも張り重ね、漆を塗って仕上げる技法で、軽量ながら堅牢な作りと独特の質感を持ち、その風合いが茶の湯の「わび・さび」の美意識にふさわしいとして高く評価され、茶の湯の世界で重用されてきました。 飛来家の一閑張は、茶室の雰囲気に溶け込む上品な意匠や、漆の優雅な光沢が特徴で、千家好みの茶道具として代々制作が続けられています。 時代の移り変わりの中でも伝統の技法を守り、茶の湯の世界に欠かせない存在として現在に受け継がれています。 飛来家では飛来家十一代/飛来一閑(1791-1872)の頃より、通称「才右衛門~さいうえもん~」とし、剃髪後に「一閑」を名乗るのがしきたりとなる。 ❚ 飛来家のあゆみ 飛来家の祖は、現在の中国・浙江省杭州の西湖畔にある霊隠寺の僧で、明末の動乱を避けて寛永年間(1624年~1644年)に日


10-2|一閑張細工とは|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 一閑張細工とは ❚ 一閑張細工師とは その千家十職の一つである飛来家は、三千家御用達の「一閑張細工師」として「棗」「香合」「盆」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。 飛来家の一閑張は、軽量ながらも堅牢な作りが特徴で、独特の質感と風合いが茶の湯の道具として高く評価されています。また、茶室の雰囲気に溶け込む上品な意匠や、漆仕上げによる優雅な光沢が魅力とされています。 茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの一閑張茶道具を代々にわたり制作してきました。 その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 一閑張細工とは 一閑張とは、日本の伝統工芸である紙漆細工の一種で、茶道具の世界にも深く関わる技法です。 竹や木などの骨組みに和紙を幾重にも貼り重ね、漆で仕上げることで、軽くて丈夫な器や籠を生み出します。 その起源にはいくつかの説がありますが、最も有力とされるのが千家十職の一人。飛来家初代/飛来一閑(1599-167


10-3|飛来家歴代|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家|歴代 ❚ 飛来家|歴代 ■ 飛来家|初代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 萬暦六年(1578年) ― 明暦三年(1657年) 八十歳 中国浙江省杭州西湖畔飛来峰の出身。 内乱を逃れるために寛永年間(1624-44)に来日。 漆芸技法のひとつ「一閑張」を創始。 ■ 飛来家|初代飛来一閑の長女 ■ 岸田ゆき ~きしだ・ゆき~ 生年不詳 ― 天正十七年(1590年) 享年不詳 初代飛来一閑の長女として生まれる。 岸田喜右衛門に嫁ぐ。 飛来家との区別のため岸一閑と称す。 ■ 飛来家|二代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 天和三年(1683年) 享年不詳 初代飛来一閑の長男として生まれる。 近江安土に移り住む。 家業に関わったかは不明。 ■ 飛来家|三代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 正徳五年(1715年) 享年不詳 初代飛来一閑の長男として。 智恵光院通下立売付近に居を構え、屋号を笹屋と称す。 ■ 飛来家|四代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 享


10-4|飛来家年表|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家|年表 ❚ 飛来家|年表 1578年 (萬暦六年) 飛来家初代/飛来一閑生まれる★ 1590年 (天正十七年) 飛来家初代飛来一閑の長女/岸田ゆき死去▼ 1657年 (明暦三年) 飛来家初代/飛来一閑死去▼ 1683年 (天和三年) 飛来家二代/飛来一閑死去▼ 1715年 (正徳五年) 飛来家三代/飛来一閑死去▼ 1733年 (享保八年) 飛来家四代/飛来一閑死去▼ 1741年 (寛保元年) 飛来家五代/飛来一閑死去▼ 1746年 (延享三年) 飛来家六代/飛来一閑死去▼ 1750年 (寛延三年) 飛来家七代/飛来一閑死去▼ 1753年 (宝暦三年) 飛来家八代/飛来一閑死去▼ 1757年 (宝暦七年) 飛来家十代/飛来一閑生まれる★ 1788年 (天明八年) 飛来家九代/飛来一閑死去▼ 1791年 (寛政三年) 飛来家十一代/飛来一閑生まれる★ 1821年 (文政四年) 飛来家十二代/飛来一閑生まれる★ 1830年 (文政十三年) 飛来家十代/飛来一閑死去▼ 1859年 (安政六年) 飛来



