8-3|中川家歴代|中川浄益|中川家|金物師|千家十職|
- ewatanabe1952

- 2024年3月28日
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更新日:11月7日
千家十職

■ 中川家|中川浄益|金物師 ■
中川家|歴代一覧
❚ 中川家|歴代一覧
■ 中川家|初代 ■
中川紹益
~なかがわ・しょうえき~
永禄二年(1559年) ― 元和八年(1622年)
六十四歳
越後高田佐味郷の出身。 「紹益」と号す。
■ 中川家|二代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
文禄二年(1593年) ― 寛文十年(1670年)
七十八歳
中川家初代/中川紹益の長男として京都に生まれる。 金森宗和の娘の夫。 表千家四代/逢源斎江岑宗左の申しつけにより、二代以降、中川家では「浄益」を名乗る。 。
■ 中川家|三代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
正保三年(1646年) ― 享保三年(1718年)
七十三歳
中川家二代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 歴代随一の名工と称される。 砂張の製法を発見。
■ 中川家|四代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
万治元年(1658年) ― 宝暦十一年(1761年)
百三歳
菊亭公より「友寿」の号を賜りました。 長寿であり、三人の息子の内、長男と次男は家督を継ぐことなく逝去。
■ 中川家|五代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
享保九年(1724年) ― 寛政三年(1791年)
六十八歳
中川家四代/中川浄益の三男として京都に生まれる。
■ 中川家|六代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
明和三年(1766年) ― 天保四年(1833年)
六十八歳
中川家五代/中川浄益の長男として京都に生まれる。。 天明八年(1788年)一月、天明の大火に罹災し、家財をはじめ古文書類を焼失。 寛政三年(1791年)、家督を継承し中川家六代を襲名。 表千家の出仕を禁じられる。
■ 中川家|七代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
寛政八年(1796年) ― 安政六年(1859年)
六十四歳
中川家六代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 飛来一閑の三女・九満の夫。 天明八年(1788年)一月、天明の大火に罹災し、家財をはじめ古文書類を焼失。 「砂張打物の名人」とも称される。
■ 中川家|八代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
文政十三年(1830年) ― 明治十年(1877年)
四十八歳
麻田佐左衛門の子として生まれる 中川家七代/中川浄益の婿養子。 万延元年(1860年)、徳川将軍家の御数寄屋御用達となる。 明治初年に「株式会社浄益社」を設立。
■ 中川家|九代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
嘉永二年(1849年) ― 明治四十四年(1911年)
六十三歳
中川家八代/中川浄益の長男として京都に生まれる。。
■ 中川家|十代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
明治十三年(1880年) ― 昭和十五年(1940年)
六十一歳
中川家九代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 二十歳前後の「日露戦争」の後、満州へ赴き酒屋を開業。 父の他界に伴い帰国し、中川家の家督を継承。
■ 中川家|十一代 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
大正九年(1920年) ― 平成二十年(2008年)
八十八歳
中川家十代/中川浄益の長男として京都に生まれる。 昭和十五年(1940年)、家督を継承し、中川家十一代を襲名。
■ 中川家|空位 ■
中川浄益
~なかがわ・じょうえき~
年(年) ― 年(年)
―歳
現在空位。














































