| 千家十職


★9-2|塗物とは|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村家|中村宗哲|塗師 ■ 塗物とは ❚ 塗物とは ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


9-3|中村家歴代|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村宗哲 ■ 中村家|歴代 ❚ 中村家|歴代 ■ 中村家|初代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 元和三年(1617年) ― 元禄八年(1695年) 七十九歳 武者小路千家四代/似休斎一翁宗守の養父。 娘婿であった武者小路千家四代/似休斎一翁宗守が千家にもどったために塗師業を継承。 ■ 中村家|二代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 寛文十一年(1671年) ― 宝永三年(1706年) 三十六歳 中村家二代/中村宗哲の子として京都に生まれる。 豊田八郎兵衛の名で御所出入りとなる。 二十五歳にて父を亡くし中村家の家督を継承。 ■ 中村家|三代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 元禄十三年(1699年) ― 安永五年(1776年) 七十七歳 中村家三代/中村宗哲の子として京都に生まれる。 幼少にて両親を亡くしたため、幼くして中村家の家業を継承。 七事式の制定に参画。 ■ 中村家|四代 ■ 中村宗哲 ~なかむら・そうてつ~ 享保十一年(1726年) ― 寛政三年(1791年) 六十四歳 中村家三代/中村宗哲の婿養子。...


9-4|中村家年表|中村宗哲|中村家|塗師|千家十職|
千家十職 ■ 中村家|中村宗哲|塗師 ■ 中村家|年表 ❚ 中村家|年表 1617年 (元和三年) 中村家初代/中村宗哲生まれる★ 1671年 (寛文十一年) 中村家二代/中村宗哲生まれる★ 1695年 (元禄八年) 中村家初代/中村宗哲死去▼ 1699年 (元禄十三年) 中村家三代/中村宗哲生まれる★ 1706年 (宝永三年) 中村家二代/中村宗哲死去▼ 1726年 (享保十一年) 中村家四代/中村宗哲生まれる★ 1764年 (明和元年) 中村家五代/中村宗哲生まれる★ 1776年 (安永五年) 中村家三代/中村宗哲死去▼ 1791年 (寛政三年) 中村家四代/中村宗哲死去▼ 1792年 (寛政四年) 中村家六代/中村宗哲生まれる★ 1798年 (寛政十年) 中村家七代/中村宗哲生まれる★ 1828年 (文政十一年) 中村家八代/中村宗哲生まれる★ 1839年 (天保十年) 中村家六代/中村宗哲死去▼ 1846年 (弘化三年) 中村家七代/中村宗哲死去▼ 1856年 (安政三年) 中村家九代/中村宗哲生まれる★ 1862年 (文久二年) 中村家


10-1|飛来家とは|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家とは ❚ 飛来家とは 飛来家~ひきけ~とは、千家十職の内の一家でわが国における漆工芸の一種「一閑張~いっかんばり~」の創始者であり、一閑張細工を業とする職家。 一閑張とは、木地に和紙を何層にも張り重ね、漆を塗って仕上げる技法で、軽量ながら堅牢な作りと独特の質感を持ち、その風合いが茶の湯の「わび・さび」の美意識にふさわしいとして高く評価され、茶の湯の世界で重用されてきました。 飛来家の一閑張は、茶室の雰囲気に溶け込む上品な意匠や、漆の優雅な光沢が特徴で、千家好みの茶道具として代々制作が続けられています。 時代の移り変わりの中でも伝統の技法を守り、茶の湯の世界に欠かせない存在として現在に受け継がれています。 飛来家では飛来家十一代/飛来一閑(1791-1872)の頃より、通称「才右衛門~さいうえもん~」とし、剃髪後に「一閑」を名乗るのがしきたりとなる。 ❚ 飛来家のあゆみ 飛来家の祖は、現在の中国・浙江省杭州の西湖畔にある霊隠寺の僧で、明末の動乱を避けて寛永年間(1624年~1644年)に日


10-2|一閑張細工とは|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 一閑張細工とは ❚ 一閑張細工師とは その千家十職の一つである飛来家は、三千家御用達の「一閑張細工師」として「棗」「香合」「盆」などをはじめ代々家元の「御好物」などの制作を業とする職家です。 飛来家の一閑張は、軽量ながらも堅牢な作りが特徴で、独特の質感と風合いが茶の湯の道具として高く評価されています。また、茶室の雰囲気に溶け込む上品な意匠や、漆仕上げによる優雅な光沢が魅力とされています。 茶の湯の発展とともに技術を磨き、千家好みの一閑張茶道具を代々にわたり制作してきました。 その作品は、時代の変遷を経ながらも、伝統の技法を守り続け、茶の湯の世界に欠かせない存在となっています。 ❚ 一閑張細工とは 一閑張とは、日本の伝統工芸である紙漆細工の一種で、茶道具の世界にも深く関わる技法です。 竹や木などの骨組みに和紙を幾重にも貼り重ね、漆で仕上げることで、軽くて丈夫な器や籠を生み出します。 その起源にはいくつかの説がありますが、最も有力とされるのが千家十職の一人。飛来家初代/飛来一閑(1599-167


10-3|飛来家歴代|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家|歴代 ❚ 飛来家|歴代 ■ 飛来家|初代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 萬暦六年(1578年) ― 明暦三年(1657年) 八十歳 中国浙江省杭州西湖畔飛来峰の出身。 内乱を逃れるために寛永年間(1624-44)に来日。 漆芸技法のひとつ「一閑張」を創始。 ■ 飛来家|初代飛来一閑の長女 ■ 岸田ゆき ~きしだ・ゆき~ 生年不詳 ― 天正十七年(1590年) 享年不詳 初代飛来一閑の長女として生まれる。 岸田喜右衛門に嫁ぐ。 飛来家との区別のため岸一閑と称す。 ■ 飛来家|二代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 天和三年(1683年) 享年不詳 初代飛来一閑の長男として生まれる。 近江安土に移り住む。 家業に関わったかは不明。 ■ 飛来家|三代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 正徳五年(1715年) 享年不詳 初代飛来一閑の長男として。 智恵光院通下立売付近に居を構え、屋号を笹屋と称す。 ■ 飛来家|四代 ■ 飛来一閑 ~ひき・いっかん~ 生年不詳 ― 享


10-4|飛来家年表|飛来一閑|飛来家|一閑張細工師|千家十職|
千家十職 ■ 飛来家|飛来一閑|一閑張細工師 ■ 飛来家|年表 ❚ 飛来家|年表 1578年 (萬暦六年) 飛来家初代/飛来一閑生まれる★ 1590年 (天正十七年) 飛来家初代飛来一閑の長女/岸田ゆき死去▼ 1657年 (明暦三年) 飛来家初代/飛来一閑死去▼ 1683年 (天和三年) 飛来家二代/飛来一閑死去▼ 1715年 (正徳五年) 飛来家三代/飛来一閑死去▼ 1733年 (享保八年) 飛来家四代/飛来一閑死去▼ 1741年 (寛保元年) 飛来家五代/飛来一閑死去▼ 1746年 (延享三年) 飛来家六代/飛来一閑死去▼ 1750年 (寛延三年) 飛来家七代/飛来一閑死去▼ 1753年 (宝暦三年) 飛来家八代/飛来一閑死去▼ 1757年 (宝暦七年) 飛来家十代/飛来一閑生まれる★ 1788年 (天明八年) 飛来家九代/飛来一閑死去▼ 1791年 (寛政三年) 飛来家十一代/飛来一閑生まれる★ 1821年 (文政四年) 飛来家十二代/飛来一閑生まれる★ 1830年 (文政十三年) 飛来家十代/飛来一閑死去▼ 1859年 (安政六年) 飛来



