茶道の歴史|茶道年表|後期 (利休没後)
- 2023年1月4日
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茶道の歴史

茶道年表
― 後期 (利休没後) ―
❚ 目次
江戸時代
明治時代
大正時代
昭和時代
平成時代
令和時代
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❚ 江戸時代 1603―1868
1614年 (慶長十九年)
千少庵が没し、息子の千家三代/千宗旦*が千家の家督を相続。
1618年 (元和四年)
織田有楽*が京都・建仁寺*の正伝院*に茶室「如庵*(国宝)」を建立。
1642年 (寛永十九年)
表千家四代/江岑宗左*、紀州徳川家に茶頭として出仕。
1646年 (正保三年)
千宗旦の隠居に伴い。三男の表千家四代/江岑宗左*が千家の家督を相続し、表千家*の基礎を固める。
1653年 (承応二年)
千宗旦、再び隠居(又隠居)して、もとの隠居の二畳を「今日庵*」と命名し、又隠居の家に四畳半を建てて「又隠」と命名。 四男の裏千家四代/仙叟宗室*は、「今日庵」を継承し、裏千家*の基礎を固める。
1654年 (享保八年)
中国・福建省から渡来した隠元禅師*が茶葉に熱湯を注ぐ「淹茶法(煎茶)」を伝える。
― (―年)
年不詳。次男の武者小路千家四代/一翁宗守*は一時期、千家を離れ、塗師の吉岡家に養子に入っていたが兄弟の勧めにより千家に戻り、武者小路に千家を興す。
1666年 (寛文三年)
江岑宗左は父・千宗旦からの千利休の点前、作法、道具、茶室などの言い伝えを受け継ぎ、多くの聞書を書き残し、「江岑夏書」としてまとめ後世に遺す。
1723年 (享保八年)
表千家六代/覚々斎は、徳川八代将軍・吉宗より「桑原茶碗(唐津茶碗)」を拝領。
1734年 (享保十九年)
煎茶道の始祖とされる売茶翁高遊外*が、京都・東山にに通仙亭を構え売茶活動をはじめる。
1738年 (元文三年)
京都・宇治の農民であった永谷宗円は十五年の歳月をかけ新しい煎茶製法となる「青製煎茶製法*」を確立。
1739年 (元文四年)
「利休居士百五十回忌法要」が挙行される。
1740年 (元文五年)
表千家七代/如心斎、利休居士百五十回忌に際し、大徳寺・聚光院*に茶室「閑隠*」を寄進。
1741年 (寛保元年)
江戸中期に茶の湯の遊芸化を憂慮した、表千家七代/如心斎、裏千家八代/一燈宗室*らが相談し、茶の湯の精神、技術をみがくために新しい稽古法として七事式*を制定。
1789年 (寛政元年)
「利休居士二百回忌追法要」が挙行される。 表千家八代/啐啄斎は天明の大火(1788)で焼失した千家を復興し、利休居士二百回忌の茶事を催す。
1822年 (文政五年)
表千家九代/了々斎は、紀州徳川家十代/徳川治宝の御成りを迎えた際、紀州徳川家より、「武家門」を拝領。この門は現在も表千家の表門として構えられ、多くの門人を迎え入れている。
1835年 (天保六年)
山本山六代/山本嘉兵衛により、玉露の製法が発明される。
1836年 (天保7年)
表千家十代・吸江斎は、幼少で家元を継いだため、表千家に伝わる真台子の点前の皆伝は一時、九代・了々斎から紀州徳川家十代・徳川治宝に預けられていた。その後、表千家十代/吸江斎は徳川治宝より皆伝を授けられ、利休以来の茶の湯の正統を継承することとなる。
1853年 (嘉永6年)
日本茶輸出の開拓者と呼ばれた大浦慶は出島在留のオランダ人テキストルに嬉野茶の販路開拓を持ちかけ、3年後にイギリスからの注文を取り日本茶を輸出。
❚明治時代 1868―1912
1872年 (明治五年)
裏千家十一代/玄々斎*は第一回京都博覧会*に際し、より多くの人へと開かれた茶の湯を伝えるために立礼式*の茶の湯を考案。
1875年 (明治八年)
跡見学園の創立者である跡見花蹊*が女子教育の一環として茶道をとりいれる。
1880年 (明治十三年)
1月13日。表千家十一代/碌々斎が京都・北野寺社(北野天満宮)において、菅原道真公の御神前にお茶を献じる。この献茶式が近代茶道における献茶のはじまりとされている。
1887年 (明治二十年)
2月。京都御所御苑内にて、第16回京都博覧会「新古美術会」が開催。その会場で北三井家九代・三井高朗*と十代・三井高棟*が亭主となり、表千家十一代/碌々斎の点前で明治天皇への献茶が行われました。
1890年 (明治二十三年)
「利休居士三百回忌追法要」が挙行される。
1896年 (明治二十九年)
3月21日。実業家の・益田鈍翁により、茶会「大師会」が発足。
1898年 (明治三十一年)
実業家で茶園経営者の高林謙三が「高林式茶葉租揉機」を考案。 従来の手揉みの前半を機械に頼る半機械製茶の時代が到来。茶葉の生産量を増やし、茶葉の普及と茶業界の発展に大きく貢献。 田中仙樵により、大日本茶道学会*が創立。
1901年 (明治三十四年)
「第五回パリ万国博覧会」に「日本茶」と「台湾茶」が出展される
1905年 (明治三十八年)
表千家不審庵再度焼失。
1906年 (明治39年)
米国ボストン美術館の日本美術部長も務めた文人の岡倉天心*が日本の茶道を中心に日本の精神性や美意識、文化などを世界に向けて紹介した『THE BOOK OF TEA* (邦題:『茶の本』)』をニューヨークの出版社より出版。
❚ 大正時代 1912―1926
1915年 (大正四年)
本阿弥光悦*の遺徳を偲ぶための茶会「光悦会*」が発足。例年11月11日から13日にかけて京都・鷹峯の光悦寺で開催。春に催される東京の「大師会」と秋に開催される「光悦会」は普段は美術館などに収まるような名品の数々が用いられるため多くの茶人に愛される二大茶会とされる。 また大阪三越において千家出入りの十の職家により「十職展」が開催。この展示会以降「千家十職」の呼称が用いられる。
❚ 昭和時代 1926―989
1933年 (昭和八年)
千家出入りの十の職家(千家十職)により『十備会』が結成。
1936年 (昭和十一年)
天正十五年(1587)、京都「北野寺社(北野天満宮)」にて開催された「北野大茶湯(1587)」の三百五十年を記念し同所にて「豊公北野大茶湯三百五十年記念大茶会(昭和北野大茶湯)」が開催される。
1940年 (昭和十五年)
4月21日から四日間にわたり、「利休居士三百五十回忌法要」が挙行。
1940年 (昭和十五年)
裏千家の門流を統括する組織として「茶道裏千家淡交会」(1953年に社団法人認可)を設立。
1942年 (昭和十七年)
表千家十三代/即中斎により、茶道の全国の普及を目的に「表千家同門会*」を設立。
1955年 (昭和三十年)
「表千家同門会」海外初の「ハワイ支部」を設立。
1955年 (昭和三十年)
裏千家「茶道研修所(現:裏千家学園 茶道専門学校)」を設立。
1980年 (昭和五十五年)
烏龍茶ブームを受け、烏龍茶の飲料化に成功。缶入り烏龍茶の販売がはじまる。
1985年 (昭和六十年)
10年の研究開発を経て緑茶の飲料化に成功。缶入り煎茶の販売がはじまる
❚ 平成時代 1989―
1990年 (平成二年)
「利休居士四百回忌法要」挙行 京都国立博物館にて『特別展覧会四百回忌/千利休展』開催 開閉可能なペットボトルの開発により、緑茶ペットボトルの販売がはじまる
2000年 (平成十二年)
冬場の消費拡大のため、暖め可能なペットボトルの販売がはじまる。
❚ 令和時代 2019―
年 (年)
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