特集|裏千家とは?|はじめの一歩|茶道入門ガイド
- ewatanabe1952

- 2022年12月23日
- 読了時間: 5分
更新日:10月17日
はじめの一歩

■ 特 集 ■
裏千家とは?
❚ はじめに
この度は「茶道プラス(310plus.com)」へご訪問いただき、誠にありがとうございます。
特集記事では、これから茶道をはじめる方に向けて、「はじめの一歩」となる基本の知識を、やさしくわかりやすく解説しています。
本ページでは、茶道の代表的な流派のひとつである「裏千家」について、初心者の方にもイメージしやすい形でご紹介します。また、すでに茶道に親しんでいる方にとっても、基本を振り返るきっかけとして活用いただける内容です。
まずは気軽に、茶道の世界をのぞいてみてください。
❚ 裏千家とは?
裏千家とは、千利休(1522-1591)の孫にあたる千宗旦(1578-1658)の四人の息子の内の四男|仙叟宗室(1622-1697)によって興された流派で表千家、武者小路千家を含めた三千家の中でもいち早く門戸を広げ、茶道の普及と近代化に対応した流派です。
仙叟宗室が千家の道統を受け継ぎ、独自の工夫を加えながら発展を遂げ、その後の歴代家元によって茶の湯の精神が受け継がれてきました。
近年の裏千家では、十五代御家元の鵬雲斎汎叟宗室が掲げた「一碗からピースフルネスを」という理念を掲げ、茶道を通じて平和の大切さを伝える活動を積極的に展開しています。
その精神は国内にとどまらず、世界各国に広がり、多くの人々が茶の湯の心を学び、実践するようになりました。
今日では、裏千家は世界各地に門弟を擁する国際的な茶道流派として、茶の湯の伝統と文化を広め続けています。
長男 閑翁宗拙(1592-1652)・・・父宗旦より勘当
次男 似休齋一翁宗守(1605-1676)・・・武者小路千家四代御家元
三男 逢源斎江岑宗左(1613-1672)・・・表千家四代御家元
四男 臘月庵仙叟宗室(1622-1697)・・・裏千家四代御家元
❚ 裏千家のあゆみ
江戸時代(1603-1868)を通じて、裏千家は茶道の普及に尽力し、武家、公家、町人など幅広い層に茶の湯を伝えました。
特に、加賀藩前田家の茶頭を務めた仙叟宗室(1622-1697)や常叟宗室(1673-1704)が「伊予松山藩松平(久松)家」の茶頭を務めたことにより、武家茶道との深い結びつきを持ちました。
明治時代以降は、より広い層への茶道の普及を目的として近代化を進め、広く一般の人々にも門戸を開きました。特に、昭和期には茶道の発展を目的に、以下のさまざまな組織が設立されました。
昭和十五年(1940年) ▶「淡交会」設立(1953年に社団法人認可) 昭和二十二年(1947年) ▶「財団法人 国際茶道文化協会」設立 昭和二十四年(1949年) ▶「財団法人 今日庵」設立 昭和三十七年(1962年) ▶「茶道研修所」設立(のちの「裏千家学園 茶道専門学校」) 平成六年(1994年) ▶「天津商業大学裏千家茶道短期大学」(中国)設立
これらの機関を通じて、裏千家は国内外における茶道の教育・研究・文化交流を推進し続けています。
また、裏千家の門流を統括する組織として 「茶道裏千家淡交会」 が存在し、家元指導のもとで茶道の基本的な点前作法を全国的に統一し、茶道文化の普及・研究・発展に貢献しています。
「淡交会」という名称は、碩叟宗室(1893-1964) の斎号に由来し、荘子の
「君子之交淡若水」 (君子の交わりは淡きこと水の若し)
の教えに基づいて名付けられました。
❚ 裏千家の由来
通りの表に位置する表千家に対し、裏手にあることから「裏千家」と称されるようになりました。
❚ 庵号 ―今日庵―
裏千家を表すもう一つの呼称に庵号である「今日庵(こんにちあん)」があります。
「今日庵」とは、裏千家を象徴する茶室の庵号であるが、今日では裏千家の屋敷全体や組織全体を指す名称として用いられています。
茶室「今日庵」の庵号は「今この瞬間を大切に生きる」 という禅の教えから名付けられたといわれています。
ある日「今日庵」の席開きを迎えた際、千宗旦の参禅の師である大徳寺百七十世/清巌宗渭(1588-1661)和尚を招きました。
しかし刻限を過ぎても和尚は現れず千宗旦は所用があるためやむなく
「明日おいでください」
という伝言を弟子に残し、その場を離れました。
ところが、その数刻後に和尚が来席し、茶室の腰張に以下の言葉を貼り付けて帰ったといいます。
「懈怠比丘不期明日」 訳)遅刻するような怠け者の僧である私は、明日の事はお約束しかねます
この言葉を見た千宗旦は、「一寸先は分からぬ人生に、明日の約束を求めた自分の驕り」と猛省し、直ちに大徳寺へ向かい、和尚に詫びました。
その際、千宗旦は次の歌を詠み、感謝の意を表しました。
「今日今日といいてその日を暮らしぬる、明日のいのちはとにもかくにも」 訳)明日の命もわからないのに、大切な今日をおろそかに暮らしているのは愚かなことでした。
この禅の教えを深く深く心に刻み、千宗旦は自身の茶室を名付けたと伝えられています。
❚ 茶室 ―今日庵―
千宗旦の隠居所として建てられた茶室です。
今日の「今日庵」は昭和五年(1930年)の火災によって焼失し、その後すぐに再建されています。
❚ 家元
裏千家の家元は代々「宗室(そうしつ)」 の名を襲名する慣わしになっています。
また若い頃や隠居後の名として「玄室」。他に隠居後「大宗匠(だいそうしょう)」「大宗匠(おおそうしょう)」の名が見られます。
この名跡の継承は、裏千家の格式と伝統を象徴する重要な要素となっています。
❚ 表千家歴代家元
四代 臘月斎 仙叟宗室(1622–1697)
五代 不休斎 常叟宗室 (1673–1704)
六代 六閑斎 泰叟宗室 (1694–1726)
七代 最々斎 竺叟宗室 (1709–1733)
八代 又玄斎 一燈宗室 (1719–1771)
九代 不見斎 石翁宗室 (1746–1801)
十代 認徳斎 柏叟宗室 (1770–1826)
十一代 玄々斎 精中宗室 (1810–1877)
十二代 又玅斎 直叟宗室 (1852–1917)
十三代 圓能斎 鉄中宗室 (1872–1924)
十四代 無限斎 碩叟宗室 (淡々斎)(1893–1964)
十五代 鵬雲斎 汎叟宗室 (1923–2025)
当代 坐忘斎 玄黙宗室 (1956–)
次代(若宗匠) 丹心斎 宗史 (1990–)
❚ 所在地
[所 在 地] 〒602-0061 京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町613番地
[連 絡 先] TEL 075-431-3111 (代) FAX075-441-2247
[公式 HP] http://www.urasenke.or.jp/
❚ まとめ
裏千家は、江戸時代から現代にかけて茶の湯の普及と発展に尽力してきた流派です。
茶室「今日庵」を象徴に、家元による格式ある伝統と、門弟への教育・国際的な文化普及活動を両立させており、国内外で広く茶道文化を発展させ続けています。


