特集|三千家とは?|はじめの一歩|茶道入門ガイド
- ewatanabe1952

- 2022年12月25日
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更新日:36 分前
はじめの一歩

■ はじめの一歩 ■
三千家とは?
❚ 三千家とは?
三千家~さんせんけ~とは、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522-1591)の茶の湯を継承する「表千家」、「裏千家」、「武者小路千家」の三つの流派を合わせた総称です。
三つの流派は点前や作法、道具の種類や扱い方にも独自の特色を持ちながらも「侘び茶」の精神を基盤としています。
千家開祖/抛筌斎千宗易利休の孫にあたる千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)の四人の息子のうち、勘当された長男を除く三人がそれぞれ独自の茶の湯の形を育み、各家(流派)を興しました。
長男 閑翁宗拙(1592-1652)・・・父宗旦より勘当
次男 似休齋一翁宗守(1605-1676)・・・武者小路千家
三男 逢源斎江岑宗左(1613-1672)・・・表千家
四男 臘月庵仙叟宗室(1622-1697)・・・裏千家
※三千家では千宗易利休を開祖(初代)とし息子の少庵宗淳(1546-1614)を二代、孫の咄々斎元伯宗旦を千家三代として三千家の初代御家元は四代(初代)から数える習わしになっています。
江戸時代(1603-1868)初期頃に興された三千家は、それまで武家や公家が中心であった茶道を師弟関係に基づく家元制度として確立しました。これにより武家や公家に限られていた茶の湯が町衆をはじめとする幅広い層にまで広まり、茶道の安定した継承と発展が可能となりました。
以後、三千家は流儀の単なる継承者にとどまらず、茶室建築や茶道具の改良、茶会や茶事の形式整備を通じて、茶道文化の制度化・教育化・普及の中心的役割を担ってきました。
江戸期には武家の礼法として、明治時代(1868-1912)以降は日本文化の象徴として国内外に広がり、今日では世界各地に門弟を持ち、国際的な文化交流の担い手として大きく貢献しています。
また各流派は伝統を重んじつつ、教育や文化活動などを通して初心者でも茶道に触れられる機会を積極的に広めています。その存在は、茶道を「特別な文化」ではなく「日常に活かせる道」として社会に浸透させる原動力となっています。
三千家は、流派ごとの特色を保ちながらも共通の精神を基盤に、今日においても茶道全体を支える大きな柱であり続けています。



