| 三千家


3-5|武者小路千家の施設|武者小路千家|官休庵|三千家
三千家 ■ 武者小路千家|官休庵 ■ 施設案内 ❚ 武者小路千家 [所 在 地] 〒602-0936 京都府京都市上京区武者小路町小川 西無車小路613-2 [連 絡 先] TEL 075-411-1000 [公式 HP] http://www.mushakouji-senke.or.jp/ ❚ 官休庵東京出張所 武者小路千家の東京出張所は、東京都文京区千駄木三丁目にあり、武者小路千家十二代/愈好斎聴松宗守の頃より、東日本における武者小路千家の茶道活動を支える中心的な拠点としての役割を担ってきました。 その起源は、旧久米邸「自楽庵」内に設けられたもので、久田宗全好みの名席「半床庵」や、武者小路千家十二代/愈好斎聴松宗守好みの広間「雲龍軒」など、趣の異なる茶室が設えられています。 さらに、平成十二年(2000年)には、 武者小路千家十四代/不徹斎宗守 の考案により、稽古場を全面的に新築。現代の茶道の在り方を踏まえつつも、伝統の意匠と精神を大切に継承した茶室棟が完成しました。 東京道場は、武者小路千家の理念とともに、首都圏を中心に茶道文化の継承と普及


3-6|武者小路千家歴代|御家元|武者小路千家|官休庵|三千家
三千家 ■ 武者小路千家|官休庵 ■ 武者小路千家|歴代御家元 ❚ 宗守 武者小路千家の家元は代々「宗守」の名を襲名する慣わしになっています。 これは、千家の家元制度の中でも特に 「家元が茶道の根本精神を継承し、次代へとつなぐ」 という役割を重視したものといえます。 「宗守」の名は、一翁宗守(1605-1676)の参禅の師、大徳寺第百八十五世/玉舟宗和尚(1600-1668)の命名で、四百年の間、絶えることなく千利休の道統と血統を伝え、当代に至ります。 また、その折同時に示された「宗屋」の名は代々後嗣に継がれ、「宗安」は隠居後の号となっています。 ❚ 武者小路千家|歴代御家元一覧 三千家では千宗易利休(1522-1591)を開祖(初代)とし息子の少庵宗淳(1546-1614)を二代、孫の咄々斎元伯宗旦(1578-1658)を千家三代として三千家の初代御家元は四代(初代)から数える習わしになっています。 ■ 武者小路千家|四代|御家元 ■ 似休斎 一翁宗守 ~じきゅうさい・いちおうそうしゅ~ 慶長十年(1605年) ― 延宝四年(1676年) 七


3-7|武者小路千家年表|武者小路千家|官休庵|三千家
三千家 ■ 武者小路千家|官休庵 ■ 武者小路千家|年表 ❚ 武者小路千家|年表 1605年 (慶長十年) 武者小路千家四代/似休斎一翁宗守 生まれる★ 1658年 (明暦四年) 武者小路千家五代/許由斎文叔宗守 生まれる★ 1676年 (延宝四年) 武者小路千家四代/似休斎一翁宗守 死去▼ 1693年 (元禄六年) 武者小路千家六代/静々斎真伯宗守 生まれる★ 1708年 (宝永五年) 武者小路千家五代/許由斎文叔宗守 死去▼ 1725年 (享保十年) 武者小路千家七代/直斎堅叟宗守 生まれる★ 1745年 (延享二年) 武者小路千家六代/静々斎真伯宗守 死去▼ 1763年 (宝暦十三年) 武者小路千家八代/一啜斎休翁宗守 生まれる★ 1772年 (安永元年) 官休庵が火災で焼失 1782年 (天明二年) 武者小路千家七代/直斎堅叟宗守 死去▼ 1788年 (天明八年) 天明の大火により茶室「一方庵」を焼失 1795年 (寛政七年) 武者小路千家九代/好々斎仁翁宗守 生まれる★ 1830年 (文政十三年) 武者小路千家十代/以心斎全道宗守 生ま



