0-1|千家十職とは|職家のあゆみと役割|千家十職|茶道辞典
- ewatanabe1952

- 2023年12月29日
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茶道辞典

■ 千家十職 ■
千家十職とは
❚ 千家十職とは
千家十職~せんけじっしょく(じゅっしょく)~とは、表千家・裏千家・武者小路千家の三千家に出入りし、歴代御家元の御好茶道具を中心に千家の流れを汲んだ茶道具の制作と技術の継承を業とする十の職家の総称です。
それぞれの家は、茶碗・釜・茶筅・茶杓・竹細工・塗物・指物などの分野で卓越した技を受け継ぎ、千家の御好みに応じた茶道具を制作してきました。
千家十職は、単なる職人集団ではなく、茶の湯の精神と美意識を形にする存在として、今もなおその伝統を守り続けています。
❚ 千家十職の成り立ち
千家十職の起源は、江戸時代(1603年-1868年)にまで遡ります。
茶の湯の大成期には、三千家に道具を納める職家は二十家以上あったとされますが、時代とともに徐々に整理され、やがて今日と同じ十家に固定されました。
その後、大正時代(1912年-1926年)に入り「千家十職」という呼称が一般化し、昭和八年(1933年)には十家による「十備会」が結成。
昭和六十年(1985年)には歴史と伝統を守るため「十職会」が発足しました。
❚ 十家の役割

千家十職は、以下の十の専門分野に分かれた十の職家が、それぞれが茶道具の美と機能を高める役割を担っています。
◆茶碗師◆
樂家|樂吉左衛門
◆土風炉・焼物師◆
永楽家|永楽善五郎
◆釜師◆
大西家|大西清右衛門
◆表具師◆
奥村家|奥村吉兵衛家
◆柄杓・竹細工師◆
黒田家|黒田正玄家
◆指物師◆
駒澤家|駒澤利斎家
◆袋師◆
土田家|土田友湖
◆金物師◆
中川家|中川浄益
◆塗師◆
中村家|中村宗哲
◆一閑張細工師◆
飛来家|飛来一閑
※順不同
千家十職は自由な創作ではなく、千家開祖/千宗易利休(1522-1591)が提唱した茶の湯を体現する「利休好み」の茶道具を基本として茶道具の制作をおこないます。
各家の歴代当主は伝統技法を継承しつつ、歴代の三千家御家元の意向を反映させることで、茶道具の美と精神性を保ち続けています。
❚ 職家のはじまり

茶道は、日本独自の茶室という空間で行われ、季節や道具の取合せ、独自の作法が重視される文化です。そのため、使用される茶道具には創意工夫や利便性が求められ、職人たちは茶の湯の精神を理解しながら、茶道具を制作してきました。
茶の湯の大成者である千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)は樂家初代/長次郎(?-1589)の茶碗や京釜師である辻与次郎(生没年不詳)の釜など独自の意匠を持った茶道具を創案、指導のうえ、好んでいました。
その精神は千家三代/咄々斎元伯宗旦(1578-1658)に受け継がれ、職人たちに祖父である千家開祖/抛筌斎千宗易(利休)の茶風を受け継ぐよう導したと伝えられています。
また千家三代/咄々斎元伯宗旦は今日の千家十職である「茶碗師/樂家」の茶碗や「一閑張細工師/飛来家」の棗・香合のほか、今日の千家十職に名はないが釜師/西村九兵衛(生没年不詳)の釜など多くの作品を残しており、幅広く利休好みの作品を制作できる者を重用したことが伺える。
千家と職人の関係が明確に示された事例の一つとして元文四年(1739年)九月四日に表千家七代/如心斎天然宗左(1705-1751)が催した「千利休/百五十年忌」の年忌茶会では、千家の職方として以下の五名が招かれていました。
茶碗師/樂吉左衛門★ 塗師/中村宗哲★ 袋師/土田友湖★ 竹屋/玄竺 袋師/二得 ★=現:千家十職
このうち、「茶碗師/樂吉左衛門」と「塗師/中村宗哲」は当時の職方の長老的な存在だったと言われており、千家と職家の強い結びつきを示しています。
このように、千家の茶の湯の発展とともに、職人たちは千家の好みに応じた茶道具を制作し続け、伝統を継承しながら茶の湯の美意識を体現する重要な存在となっていきました。
❚ 職家の記録

茶の湯の大成期であった江戸時代(1603年-1868年)初期には二十家以上の職家が千家に出入りし、道具を納めていましたが時代とともに千家に出入の職家は徐々に整理・固定されていきました。
千家に出入りする職家が十家として明確にになっている最古の記録は宝暦八年(1758年)に行なわれた「宗旦百年忌」の茶会です。
この茶会には以下の十名の職家が招かれています。
茶碗師/樂吉左衛門★ 塗師/中村宗哲★ 袋師/土田友湖★ 竹屋/元斎 釜師/大西清右衛門★ 指物師/駒沢利斎★ 柄杓師/黒田正玄★ 鋳師/中川浄益★ 大工/善兵衛 表具師/奥村吉兵衛★ ★=現:千家十職
その後、千家に出入りするの職家は徐々に固定され、天保十一年(1840年)の「利休二百五十年忌」の茶会では、ほぼ今日の千家十職と同様の職家が招かれています。
茶碗師/樂吉左衛門★ 袋師/土田友湖★ 釜師/大西清右衛門★ 指物師/駒沢利斎★ 柄杓師/黒田正玄★ 鋳師/中川浄益★ 表具師/奥村吉兵衛★ 一閑張師/飛来一閑★ 西村善五郎(現:土風炉・茶碗師/永楽善五郎)★ 塗師/余三右衛門 ★=現:千家十職
また千家十職の職家が現在のように「十職」として正式に認識されるようになったのは、昭和八年(1933年)頃となります。
この頃「十家」による「十備会」が結成され、昭和六十年(1985年)には歴史と伝統を守る為「十職会」が発足されました。今日でも「十備会」による作品展が三年毎に開催されており、今日においても千家十職の各家当主は毎月一日には表千家御家元の元へ集っています。
今日一般的に呼ばれる「千家十職」の尊称は大正時代(1912年-1926年)に入り、茶道界の再興ととも確立されたとされています。茶道具制作の需要が飛躍的に増えたこの頃、百貨店で御家元御好道具の展覧会が催された際にはじめて「千家十職」の称が用いられという。(※その他諸説あり)
❚ まとめ
千家十職は、三千家の茶道を支え、茶道具の美と品格を守り続けてきた十の専門職家です。江戸時代から今日に至るまで、各家は御家元の意向と茶の湯の精神を体現する道具を制作し、千家の美意識を具体的なかたちとして継承してきました。
千家十職は、今日の芸術作家のように自由な創作を行うのではなく、「利休好み」を基調としながら、その時代の感性や亭主の意向を取り入れ、伝統の中に新たな美を生み出しています。この姿勢こそが、茶道具を通じて茶の湯の精神を現代へとつなぐ源となっています。
千家十職の歴史や技を知ることは、単に道具を理解するだけでなく、茶道の深い世界観と、そこに息づく日本の美意識に触れることにつながります。一碗の茶の背景にある職人たちの技と心を感じることで、茶道の世界はより豊かに広がっていくでしょう。


