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10-2|天下三宗匠|10.利休ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎

全10回 抛筌斎 千宗易 利休



千利休の人物イラストと掛物「利休ゆかりの人々」によって構成された、戦国の三茶人の比較を通じて利休の個性を描く冒頭画像。


ゆかりの人々

― 天下三宗匠 ―






❚ 天下三宗匠とは

信長・利休・秀吉の三人が畳の上に並んで座る、戦国の時代における茶の湯の政治的背景と三者の関係性を表したイメージ画像。

天下三宗匠とは、織田信長*および豊臣秀吉*のもとで茶の湯を支えた――千利休*・今井宗久・津田宗及の三人の茶匠を指す呼称です。



いずれも堺の豪商として経済的・文化的影響力をもち、同時代にそれぞれの役割を果たしながら、茶の湯の発展に大きな功績を残しました。



特にこの三人は、信長・秀吉の政治と文化政策における茶の湯の重要性を具現化し、「茶の湯」が大名文化に取り込まれていく過程で需要な役割を担った存在でした。



各人が異なる流派や経歴を持ちながらも、利休を含めたこの三人が時代を象徴する茶人として後世において天下三宗匠と呼ばれるようになりました。













❚ 今井宗久

読 み : いまい・そうきゅう

生 年 : 永正十七年(1520年)-文禄二年(1593年)八月五日|七十三歳

職 位 : 茶匠


戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人。

堺にて茶を武野紹鴎*に学び、その後娘婿となる。

千利休、津田宗久とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、織田信長茶頭となり、本能寺の変**」の後は豊臣秀吉にも茶頭として仕える。

茶会記として『今井宗久茶湯書抜**』二巻があり、八十三回の茶会記が収められている。











❚ 津田宗及

読 み : つだ・そうぎゅう

生 年 : 生年不詳-天正十九年(1591年)四月二十日

職 位 : 茶匠


安土桃山時代の堺の豪商で、武野紹鴎の門人であった父・津田宗達*に茶道を教わり、織田信長、次いで豊臣秀吉の茶頭を務める。

また、大徳寺で禅を学び千利休、今井宗久とともに茶湯の天下三宗匠と称せらる。

北野天満宮(京都)で開催した「北野大茶湯**」ではこの三人が指導役をつとめる。









❚ 天下三宗匠の役割

天下三宗匠は、千利休・今井宗久・津田宗及の三名を指し、戦国から安土桃山時代にかけて茶の湯を文化として確立・拡大させるうえで重要な役割を果たしました。



それぞれが異なる茶風と立場を持ちながらも、織田信長・豊臣秀吉の権力を背景に茶の湯を通して政治と文化を結びつけた象徴的存在です。











❚ 次回は・・・

次回の「10-3|利休三門衆|10.利休ゆかりの人々」では、利休の門弟の中でも特に重視された3人とその経歴や利休との関係を深く掘り下げ、どのように茶の湯の発展に寄与したかをご紹介します。










登場人物


  • 織田信長|おだ・のぶなが

……… 。


  • 豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし

……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年


  • 千利休|せん・りきゅう

……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年


  • 武野紹鴎|たけの・じょうおう

……… 。


  • 津田宗達|つだ・そうたつ

……… 。











用語解説


  • 本能寺の変|ほんのうじのへ

……… 。


  • 今井宗久茶湯書抜

………


  • 北野大茶湯|きたのおおちゃゆ

……… 1587年、秀吉主催の大規模な茶会。三宗匠が指導役を務め、茶の湯の民衆化に寄与。











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茶道具|中古道具市
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