10-1|利休の師|10.利休ゆかりの人々|千宗易利休|抛筌斎
- ewatanabe1952

- 2023年4月28日
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全10回 抛筌斎 千宗易 利休

ゆかりの人々
― 利休の師 ―
❚ 利休ゆかりの人々
「ゆかりの人々」では、千利休*と深い関わりを持った人物たちをご紹介します。
千利休はその生涯において、師や弟子、大名や門人など、数多くの人々と交流を重ねながら、茶の湯の道を切り拓いていきました。
ゆかりのある人物たちの姿を通して、千利休の茶の湯がどのように継承され、広がっていったのかを知ることができるでしょう。
千利休の思想と実践が、どのように後世へと受け継がれていったのか――茶道の歴史を立体的に捉える鍵となります。
❚ 利休の師
千利休の茶の湯は、先人たちの思想や技法を受け継ぎ、独自に磨き上げることで大成されました。
その根幹には禅の教えと茶の湯の精神があり、これらを千利休に伝えたのが以下に挙げる五人の師とされています。
❚ 北向道陳 ―茶道の師―

読 み : きたむき・どうちん
生 年 : 永正元年(1504年)-永禄五年(1562年) 一月十八日
職 位 : 茶匠
室町時代後期の堺の茶匠。
千利休の最初の師であり、後に、武野紹鴎に利休を推薦し引き合わせたといわれます。
北向道陳の茶は、能阿弥*の影響が強い書院茶**とされています。
❚ 武野紹鷗 ―茶道の師―

読 み : たけの・じょうおう
生 年 : 文亀二年(1502年)-弘治元年(1555年) 十月二十九日
職 位 : 茶匠
室町時代末期の堺の武具商人で、歌人であり茶匠。
臨済宗**大徳寺**で禅の修行をし、「紹鴎」の号を得る。
十四屋宗伍*に茶を学び、茶の湯の質素・簡素化、草体(自然)化を進め、わび茶**を完成させる。
北向道陳に次ぐ千利休の茶の湯の師として知られています。
❚ 大林宗套 ―参禅の師―

読 み : だいりん・そうとう
生 年 : 文明十二年(1480年)-永禄十一年(1568年) 一月二十七日|六十六歳
職 位 : 大徳寺九十世住持
千利休の初期の参禅**の師。
三好長慶*の招請**で堺の南宗寺**の開山**となる。
仏教的な死生観と「無常」の教えを通して、静寂の中に真理を求める心を利休に示しました。
❚ 笑嶺宗訢 ―参禅の師―

読 み : しょうれい・そうきん
生 年 : 延徳二年(1490年)-天正十一年(1568年)十一月二十九日|七十九歳
職 位 : 大徳寺百七世住持
大林宗套に続き、千利休が深く参じた禅僧。
禅の理を日常に見出す心法は、利休の「日常を茶に昇華する」思想に強く影響を与えたとされます。
大徳寺内に聚光院**を創立。
❚ 古渓宗陳 ―参禅の師―

読 み : こけい・そうちん
生 年 : 天文元年(1532年)-慶長二年(1597年)一月十七日|六十六歳
職 位 : 大徳寺百十七世住持
安土桃山時代、臨済宗の禅僧であり、蒲庵古渓(ほあんこけい)とも呼ばれます。
利休の晩年に参じた師であり、利休に最も影響を与えた禅僧の一人。
大徳寺の住持となり千利休に禅を教え参禅の師となります。
❚ 茶道のみちしるべ
千利休が築いたわび茶の美意識と茶の湯の様式は、師の教えを土台としながら、さらに深化されていきました。
北向道陳は形式的な礼法と出会いのきっかけを与え、武野紹鷗は「草庵茶湯**」の在り方を示し、古渓宗陳は「禅の心」で精神的支柱となりました。
利休の師を知ることは、利休の思想と茶の湯の本質に近づく重要な一歩となるのです。
❚ 次回は・・・
次回の「10-2|天下三宗匠|10.利休ゆかりの人々」では、織田信長*と豊臣秀吉*の二人の天下人に認められた三人の茶匠についてご紹介していきます。
登場人物
千利休|せん・りきゅう
……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年
空海|くうかい
……… 。
能阿弥|のうあみ
……… 。
十四屋宗伍|じゅうしや・そうご
……… 。
三好長慶|みよし・ちょうけい
……… 。
織田信長|おだ・のぶなが
……… 。
豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし
……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年
用語解説
書院茶|しょいんちゃ
……… 中世武家社会において発展した、格式を重んじる茶の湯の形式。
臨済宗|りんざいしゅう
……… 。
大徳寺|だいとくじ
……… 。
参禅|さんぜん
……… 禅僧の指導のもと、坐禅や問答などを通じて精神修養を行うこと。
招請|しょうせい
……… 。
南宗寺|なんしゅうじ
……… 。
開山|かいざん
……… 。
聚光院|じゅこういん
……… 。
わび茶|わびちゃ
……… 質素な美と精神性を重視した茶の湯の形式。利休によって大成された。
草庵茶|そうあんちゃ
……… 。

