top of page

9-4|数寄者の茶会 ~茶のおもてなし~|第9回 茶の湯の救世主|明治時代|茶道の歴史

全10回 茶道の歴史



伝統的な町屋が並ぶ京都の風景と、「茶道の歴史 第九回 茶の湯の救世主 明治時代」と記された掛軸が描かれた、数寄者たちがもてなしの心で茶を伝えた姿を象徴する冒頭画像。


■ 第9回 茶の湯の救世主 [4/5] ■

明治時代 (1868年―1912年)






❚茶の湯が“社交”の場となるまで

茶の湯は、誰によって“社交”の場として広がっていったのでしょうか。



数寄の心を持った実業家たちが、自らの手で新たな茶会文化を築いていきます。



格式と柔軟さをあわせ持つ茶事は、人と文化をつなぐ大きな力となりました。



今回は、和敬会や十八会をはじめとする、数寄者たちの茶の湯の展開をたどります。

​​​










❚和敬会の創設と展開

ree

明治時代には大師会や光悦会のように、数寄者たちによる多様な茶会が催されていました。



その中でも注目すべき存在が、明治三十三年(1900年)に創設された『和敬会*』です。


この和敬会は、「松浦詮」を中心に、わずか十六名の数寄者が会員として結成されました。



各会員が持ち回りで釜を懸け、茶事を行うという形式は、格式と親しみが調和した特別な茶会として人気を博しました。


初期の会員には、以下のような財政界の重鎮たちが名を連ねています:



​❝

・石黒况翁 ……… 軍医総監|1845年―1941年 ・安田善次郎 ……… 安田財閥創始者|1838年―1921年


その後、さらなる茶道愛好家として


・益田鈍翁 ……… 三井財閥|1848年―1938年 ・高橋箒庵 ……… 実業家|1861年―1937年 ・三井高保 ……… 実業家|1850年―1922年 ・馬越化生 ……… 実業家|1844年―1933年 ・団琢磨 ……… 実業家|1858年―1932年


なども加わり、明治から大正時代末にかけて、長きにわたり活動が続けられました。


このように『和敬会』は茶道を通じて経済人たちの交流と文化支援の場となり、明治以降の日本文化を支える基盤となっていったのです。










❚関西へ広がる十八会

ree

また、同時期の明治三十五年(1902年)には、関西の数寄者十八名による『十八会』も発足し、関東・関西をまたぐ茶の湯文化の広がりが見られるようになります。


こうした茶会は、単なる趣味にとどまらず、「おもてなし」と「文化振興」の両輪を担う存在として、大きな役割を果たしていきました。












❚茶会が育んだ“現代のかたち”

数寄者たちが築いた茶会のかたちは、単なる贅沢でも権威の象徴でもなく、「文化の共有空間」としての茶道を実現しました。



現代の茶会に見られる寛ぎと格式の融合は、彼らが残した“おもてなし”の精神の継承でもあります。



次回は、近代教育や外交の場へ広がっていく茶道の姿を見ていきましょう。











登場人物


  • 松浦詮

……… 政治家|肥前国平戸藩十二代藩主|1840年―1908年|明治天皇の又従兄弟。











用語解説



0

――

0

――

0

――

0

――

0

――

0

――

0

――

和敬会

―わけいかい― 松浦詮を中心に結成された茶会グループ。明治33年発足。十六名の会員が持ち回りで釜をかけ、茶事を催した。財政界人が中心となり文化的意義を持った。

十八会

―じゅうはちかい― 明治35年に結成された関西の数寄者による茶会。18名のメンバーにより構成され、和敬会と並んで茶道文化の裾野を広げた。

0

――

0

――

0

――











商品カテゴリー
茶道具|中古道具市
bottom of page