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8-6|煎茶の登場 ~もう一つの茶文化~|第8回 茶の湯の遊芸化|江戸時代(後期)|茶道の歴史

全10回 茶道の歴史



宇治茶を運ぶ道中の様子とともに、「茶道の歴史 第八回 茶の湯の遊芸化 江戸時代(後期)」と記された掛軸が描かれた、煎茶の登場による新たな茶文化の広がりを象徴する冒頭画像。


第8回 茶の湯の遊芸化 (6/6)

 ― 江戸時代 (1603年―1868年) |後期 ―






❚ もう一つの“お茶”が広がるとき

茶の湯とは異なる“もうひとつの茶文化”とは?



煎じて飲む、新しいお茶のかたち。



今回は、江戸時代後期に誕生した「煎茶」とその広がりをたどります。










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❚ 永谷宗円が確立した新たな製茶法

茶葉が山のように積まれた様子を表したイラスト。濃淡のある緑色で描かれた葉が自然に広がり、茶の原材料としての煎茶を印象づけるイメージ画像。

江戸時代(1603年–1868年)の後期になると、「茶の湯」とは異なる新しい茶の楽しみ方として「煎茶*」が登場します。


元文三年(1738年)、京都・宇治の農民であった永谷宗円は、十五年の歳月をかけて新たな製茶法を研究。


その結果、蒸した茶葉を揉んで乾燥させる「青製煎茶製法*」を確立しました。


この製法により、渋みが少なく、香り高いお茶「煎茶」が誕生し、従来の抹茶とは異なる新たな嗜好品として注目されるようになります。










❚ 江戸の町に広まる「天下一の煎茶」

和装の男性が茶碗を口元に運びながら一服する姿を描いた、日本の伝統的な茶の嗜み方を象徴するイメージ画像。

その後、永谷宗円はこの煎茶を江戸へと運び、茶商である山本勘兵衛に販売を委託しました。


山本勘兵衛はその味わいに感銘を受け、「天下一」の号をつけて販売を開始。


煎茶は江戸の町人層を中心に評判を呼び、瞬く間に広まっていきます。


さらに天保六年(1835年)、山本山六代「嘉兵衛徳翁」が宇治・小倉の木下家にて「玉露*」の製茶法を考案。


この技術革新により、より繊細で旨味のある煎茶が登場し、「茶の湯」とは異なるかたちで日本中に茶文化が普及することとなりました。











​❚ 日常に寄り添う「煎茶道」の確立

和装の人物が茶器を用いて茶葉を丁寧に準備している手元の様子を描き、茶の実践と日常の中での所作を表現した、茶の歴史や文献の記述を象徴するイメージ画像。

この流れに連動して「煎茶道*」も確立し、庶民にとってより身近で自由な茶の文化として、現在まで根強く親しまれています。



「茶の湯」が格式と精神性を重んじた文化であったのに対し、「煎茶」はより日常に寄り添い、庶民の暮らしの中で広がっていきました。



時代に応じた飲み方と楽しみ方をもつ「煎茶」の誕生は、日本の茶文化をより豊かに、多様なものへと導いていったのです。



次回は、明治維新という大きな転換点を迎える中で、茶道がいかにして存続と変化を遂げたのかを見ていきます。









登場人物


  • 千利休

    ……… 千家開祖|抛筌斎 千宗易(利休)|1522年-1591年











用語解説



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青製煎茶製法

―あおせいせんちゃせいほう― 永谷宗円が考案した煎茶の製法。摘んだ茶葉を蒸して揉み、乾燥させることで、鮮やかな緑色とさわやかな香味を引き出す製茶技術。


玉露

―ぎょくろ― 天保年間に誕生した高級煎茶。直射日光を遮って育てた新芽を使用し、旨味が強く渋みが少ないのが特徴。現代でも高級茶の代名詞となっている。

煎茶道

―せんちゃどう― 煎茶を用いた独自の茶道。抹茶の茶道とは異なり、急須で茶を淹れる所作や道具の美しさを重視し、江戸後期以降に文人文化とともに発展。

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商品カテゴリー
茶道具|中古道具市
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