8-5|茶道の世界進出 ~茶のおもてなし~|第8回 茶の湯の遊芸化|江戸時代(後期)|茶道の歴史
- ewatanabe1952

- 2023年1月24日
- 読了時間: 3分
全10回 茶道の歴史

第8回 茶の湯の遊芸化 (5/6)
― 江戸時代 (1603年―1868年) |後期 ―
❚ 畳を離れ、椅子とテーブルで点てる茶
茶の湯は、どのようにして“世界に開かれた文化”へと進化したのでしょうか。
畳の上を離れ、椅子とテーブルで――。
今回は、立礼式の誕生と、茶道の世界進出への第一歩をたどります。
❚ 新しい茶会形式「立礼式」の誕生

今日では全国各地でさまざまな茶会が開催されていますが、その中でも、場所を選ばず、椅子とテーブルで行える茶会形式が『立礼式*』です。
この画期的な形式を考案したのが、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した「裏千家十一代/玄々斎」でした。
「裏千家十一代/玄々斎」は、武家や公家のみならず広く町人階級や外国人にも茶の湯を開放しようとした先駆者であり、従来の畳の上での作法にとらわれない新しい茶会の形を追求していきました。
❚ 博覧会で披露された「点茶盤」の点前

とりわけ、明治時代に入り日本が近代国家へと移行し、西洋文化の影響が高まる中で、畳文化に馴染みのない外国人にも茶の湯を体験してもらえるよう、椅子とテーブルを用いた「点茶盤*」を考案。
そして明治五年(1872年)、京都で開催された『第一回京都博覧会*』の茶会において、「点茶盤」を用いた立礼式の点前を披露しました。
これは、茶道が世界へと開かれていく大きな一歩であり、今日でも国際舞台において茶の湯でもてなす際の一つの形として定着することになりました。
❚ 「おもてなし」の心を保ちながら
茶道はこのようにして、時代の変化に応えながらも、「一碗のお茶を通して心を通わせる」という本質を失うことなく、柔軟に進化を続けてきたのです。
立礼式に象徴されるように、茶道は環境や文化を越え、今もなお進化を続けています。
形式を変えても、その核にある「おもてなし」の心は変わりません。
茶道は世界の中で、“日本文化の魂”として静かにその存在感を放ち続けているのです。
登場人物
裏千家十一代/玄々斎
……… 裏千家十一代|御家元|精中宗室|1810年―1877年|松平乗友の子
用語解説
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立礼式
―りゅうれいしき―
明治時代に『裏千家十一代/玄々斎』によって考案された、椅子とテーブルを用いる茶道の点前形式です。正座が難しい人や海外の賓客にも茶の湯を楽しんでもらうために工夫されたもので、伝統の精神を保ちながらも、形式にとらわれない柔軟な茶の在り方を体現する点前として、多様な場面で親しまれています。今日では各流派により、さまざまな形式の立礼棚が考案され、学校茶道や国際交流の場で広く用いられています。
点茶盤
―てんちゃばん―
点茶盤は、椅子に座って茶を点てる立礼式のために考案されたテーブル型の点前台で、茶道の近代化と国際化を象徴する道具です。明治時代、『裏千家十一代/玄々斎』によって立礼式とともに創案され、茶の湯をより多くの人々に開かれたものとしました。携帯可能で、椅子席の茶会や野点にも適しており、現代では学校茶道や国際交流、展示茶会などで広く使用されています。
第一回京都博覧会
―きょうとはくらんかい―
明治6年(1873年)に京都・西本願寺、建仁寺、知恩院を会場として開催された、日本初の博覧会のひとつです。京都府が主催し、工芸・美術・産業の振興と西洋文明への対応を目的として開かれました。蒔絵や陶磁器、染織などの伝統工芸品が展示され、全国から注目を集めました。会場では茶の湯の公開も行われ、裏千家十一代・玄々斎が立礼式を披露したことでも知られています。近代日本の文化発信の礎となった博覧会です。
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