top of page

5-4|裏千家歴代|御家元|裏千家|今日庵|三千家

更新日:1 日前

三千家



ree


■ 裏千家|今日庵 ■

裏千家歴代






❚ 宗室

裏千家の家元は代々「宗室(そうしつ)」 の名を襲名する慣わしになっています。

また隠居後の名として「玄室(げんしつ)」「大宗匠(だいそうしょう)」「大宗匠(おおそうしょう)」の名が見られます。


この名跡の継承は、裏千家の格式と伝統を象徴する重要な要素となっています。。











❚ 裏千家歴代家元

三千家では千宗易利休(1522-1591)を開祖(初代)とし息子の少庵宗淳(1546-1614)を二代、孫の咄々斎元伯宗旦(1578-1658)を千家三代として三千家の初代御家元は四代(初代)から数える習わしになっています。




■ 裏千家|四代|御家元 ■

臘月斎 仙叟宗室

~ろうげつさい・せんそうそうしつ~ 元和八年(1622年) ― 元禄十年(1697年) / 七十六歳

千家三代/元伯宗旦の四男として生まれ、裏千家を創建。 三千家のひとつとして裏千家の基礎を確立し、今日庵・又隠・寒雲亭などの茶室とともに侘び茶の境地を継承。 加賀前田家に茶具奉行として仕え、大樋焼や茶釜の普及に貢献。 利休御祖堂を建て、利休百回忌を営むなど茶道の伝統を守り、長男・裏千家五代/不休斎常叟宗室に家元を継承。





■ 裏千家|五代|御家元 ■

不休斎 常叟宗室

~ふきゅうさい・じょうそうそうしつ~ 延宝元年(1673年) ― 宝永元年(1704年) / 三十二歳

裏千家四代/臘月庵仙叟宗室の長男として生まれ、二十五歳で五代家元を襲名。 若年で加賀藩前田家の茶道奉行に任じられ、その後伊予松山藩久松家に仕える。 体が弱く三十二歳で早世し、在位はわずか七年であった。





■ 裏千家|六代|御家元 ■

六閑斎 泰叟宗室

~りっかんさい・そうしつ~ 元禄七年(1694年) ― 享保十一年(1726年) / 三十三歳

裏千家五代/不休斎常叟宗室の長男として生まれ、十一歳で六代家元を襲名。 表千家六代/覚々斎原叟宗左や表千家七代/如心斎天然宗左から茶道を学ぶ。 十六歳から伊予松山藩久松家に仕え信頼を得るも、体が弱く多忙な生活で疲労が重なり、三十三歳で早世。





■ 裏千家|七代|御家元 ■

最々斎 竺叟宗室

~さいさいさい・ちくそうそうしつ~ 宝永六年(1709年) ― 享保十八年(1733年) / 二十五歳

表千家六代/覚々斎原叟宗左の次男として生まれ、子のなかった裏千家六代/六閑斎泰叟宗室の養子となり、十八歳で七代家元を襲名。 父・表千家六代/覚々斎原叟宗左や兄・表千家七代如心/斎天然宗左に茶道を学び、加賀藩・伊予松山藩に茶道奉行として仕える。 五代、六代よりも若い二十五歳で早世。在位はわずか七年であった。





■ 裏千家|八代|御家元 ■

又玄斎 一燈宗室

~ゆうげんさい・いっとうそうしつ~ 享保四年(1719年) ― 明和八年(1771年) / 五十三歳

表千家六代/覚々斎原叟宗左の三男として生まれ、裏千家七代/最々斎竺叟宗室の養子となり、十五歳で裏千家八代家元を襲名。 大徳寺三百四十一世/大龍宗丈に参禅。兄・表千家七代/如心斎天然宗左、武者小路千家七代/直斎堅叟宗守らとともに「七事式」の制定に尽力するなど、茶道修練の新機軸を開いた。 さらに書物による茶道作法の統一にも尽力し、町人層への普及に貢献。





■ 裏千家|九代|御家元 ■

不見斎 石翁宗室

~ふけんさい・そうしつ~ 延享三年(1746年) ― 享和元年(1801年) / 五十六歳

裏千家八代/又玄斎一燈宗室の長男として生まれ、二十六歳で九代家元を襲名。 加賀藩や伊予松山藩に茶道奉行として仕え、天明八年(1788年)に起こった「天明の大火」の後には裏千家の茶室や什宝の再建に尽力。 子には長男・裏千家十代/認徳斎柏叟宗室、三男・武者小路千家九代/好々斎仁翁宗守がいる。





■ 裏千家|十代|御家元 ■

認徳斎 柏叟宗室

~にんとくさい・そうしつ~ 明和七年(1770年) ― 文政九年(1826年) / 五十七歳

裏千家九代/不見斎石翁宗室の長男として生まれ、三十五歳で裏千家十代家元を継承。 加賀・伊予松山藩や松平家に茶道奉行として出仕し、父と同じく若年から才能を発揮。 妻・松室宗江、婿養子・裏千家十一代/玄々斎精中を養子に迎えるなど家系の継承にも尽力。





■ 裏千家|十一代|御家元 ■

玄々斎 精中宗室

~げんげんさい・そうしつ~ 文化七年(1810年) ― 明治四十年(1877年) / 六十八歳

三河奥殿藩四代藩主/松平乗友の子として生まれ、十歳で裏千家十代/認徳斎柏叟宗室の養子となる。 成人後、養父の長女・照と結婚して「宗室」を襲名。裏千家十一代家元を継承。 弘化元年(1845年)、妻・照の早世後、後妻・万地と再婚し、長男・一如斎玄室を授かる(後に十七歳で没)。 大名出身の家元として、既存の作法に改良を加え、「立礼点前」「茶箱点」「大炉の扱い」「和巾点」など新しい点前を考案し、裏千家の独自性を確立。 また明治五年(1872年)には茶道が遊芸でないことを示す建白書を政府に提出。





■ 裏千家|十二代|御家元 ■

又玅斎 直叟宗室

~ゆうげんさい・そうしつ~ 嘉永五年(1852年) ― 大正六年(1917年) / 六十六歳

京都の名家・角倉玄寧の子として生まれる。 明治四年(1871年)、養父・裏千家十一代/玄々斎精中宗室の長女・千猶鹿子と結婚し婿養子となる。 同年、十一代の隠居に伴い「宗室」を襲名、裏千家十二代家元を継承。 明治維新後の動乱期に茶道の普及に尽力し、明治十八年(1885)には三十四歳で家督を長男・駒吉(のちの裏千家十三代/圓能斎鉄中宗室)に譲り、自身は「玄室」と名乗り隠退。





■ 裏千家|十三代|御家元 ■

圓能斎 鉄中宗室

~えんのうさい・てっちゅうそうしつ~ 明治五年(1872年) ― 大正十三年(1924年) / 五十三歳

裏千家十二代/又玅斎直叟玄室の長男として生まれる。 明治十八年(1885年)わずか十五歳で裏千家十三代家元を継承。 母・千猶鹿子の薫陶を受けつつ、流儀の発展に尽力し、裏千家の隆盛の基礎を築く。 東京滞在時には実業家・伊集院兼常の庇護を受け、茶道の道を固持。 新しい点前の考案や、教育制度としての「夏期講習会」を創設。 また、茶道書の出版により門戸開放を推進。学校教育への茶道導入も実現。





■ 裏千家|十四代|御家元 ■

無限斎 (淡々斎) 碩叟宗室

~むげんさい・(たんたんさい)・そうしつ~ 明治二十六年(1893年) ― 昭和三十九年(1964年) / 七十二歳

裏千家十三代/圓能斎鉄中宗室の長男として生まれる。 大正十三年(1924年)に三十歳で裏千家十四代家元を継承。 全国各地および海外への茶道普及に尽力。 皇室への献茶や教育現場での茶道指導を通して現代茶道の基盤を確立。 昭和十五年(1940年)に「裏千家淡交会」を設立。 昭和二十四年(1949年)に財団法人化して「今日庵」を結成。





■ 裏千家|十五代|御家元 ■

鵬雲斎 汎叟宗室

~ほううんさい・はんそうそうしつ~ 大正十二年(1923年) ― 令和七年(2025年) / 百二歳

裏千家十四代/無限斎(淡々斎)碩叟宗室の長男として生まれる。 幼少期に身体を鍛え、太平洋戦争では海軍少尉として従軍し、特攻隊での生還経験を持つ。 昭和三十九年(1964年)に裏千家十五代家元を継承。 国際的に茶道を普及させ、「一盌からピースフルネス」を掲げ平和活動にも尽力。 長男・坐忘斎玄黙宗室に家督を継承後、「玄室大宗匠」として活動。 多くの門人から尊敬を集め、現代茶道界を代表する宗匠である。




■ 裏千家|十六代|当代|御家元 ■

坐忘斎 玄黙宗室

~ざぼうさい・げんもくそうしつ~ 昭和三十一年(1956年) ― 年(年) / 歳

裏千家十五代/鵬雲斎汎叟宗室の長男として生まれる。 同志社大学文学部卒業後、2003年に父の隠居に伴い裏千家十六代家元を継承。 文筆家・教育者としても知られ、多様な趣味を持ち、現代の生活に合わせた茶道具や点前の工夫も手がける。 妻は三笠宮崇仁親王の次女・容子内親王、子は長男・明史、長女・万紀子、次男・敬史。





■ 裏千家|十七代|次代|御家元 (若宗匠) ■

丹心斎 宗史

~たんしんさい・そうし~ 平成二年(1990年) ― 年(年) / 歳

裏千家十六代/坐忘斎玄黙宗室の三男として生まれる。 立命館高等学校、立命館大学法学部を卒業後、2015年より今日庵理事、2018年より茶道裏千家淡交会副理事長を務める。 令和二年(2020年)十月八日に宗家利休御祖堂で「若宗匠格式宣誓式」が執り行われ、九條家三十五代当主/九條道成より斎号「丹心斎」。父・裏千家十六代/坐忘斎玄黙宗室より茶名「宗史」を授与される。 同月には京都・大徳寺聚光院、東京・明治神宮で奉告献茶式・格式披露茶会が行われ、皇室から三笠宮家の彬子女王も参列。以降、若宗匠「千宗史」として活動。










商品カテゴリー
茶道具|中古道具市
bottom of page