1-2|わびさび|日本文化を支える美意識と茶道の精神|茶道の基礎知識
- ewatanabe1952

- 11月26日
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更新日:7 日前
茶道入門ガイド

■ 茶道の基礎知識 ■
わびさび
❚ 目次
❚ 01.侘び・寂び~わび・さび~とは
今日の茶道を知らない方でも日本人であれば「わび・さび」という言葉は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょか。本来、「わび」と「さび」は別の概念でしたが、近代の茶道においては一つの語として統合され、茶道を代表する言葉として用いられるようになりました。
しかし、一般の方や茶人の中でも、「わび・さび」の言葉をはっきりと説明できる方は少ないのではないでしょうか?
「わび・さび」は茶道と同様に奥の深い一語ですが、ここでは「わび・さび」の歴史や解釈を紐解きながらご紹介いたします。
❙ 02.侘び~わび~とは
侘び~わび~とは「不足の中にある静寂な心の境地」、「静寂の中の枯淡な味わい」を説く概念です。
日本最古の和歌集・「万葉集」には「わび」に関する記述は見られますが、美意識としての「わび」が一般的に用いられるのは江戸時代(1603-1868)以降とされています。
禅茶録「南方録」には「わびの本当の心は清浄で無垢な仏の心の世界を表したものだと」記されています。
本来「わび」は悲観の心身の状態を表す語でした。しかし室町時代(1336-1603)において高価な「唐物道具」を尊ぶ中で、茶祖/村田珠光(1423–1502)は粗末なありふれた道具を用いる「草庵茶」を提唱し、後の武野紹鷗(1502–1555)は「正直で慎み深くおごらぬさま」すなわち「わび」の精神を重んじました。
その後、千家開祖/抛筌斎千宗易利休(1522–1591)による茶道の大成とともに「わび」は「不足の美」を表す美意識と変容していきます。
ただし、この時期には「わび」を明確に説いた記述はなく、利休時代に見られる「わび数寄」という表現も「山上宗二記」によれば
一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条が整う者
を意味し、いわば「貧乏(簡素な)茶人」を指すもので、美意識としての「わび」とは異なります。
美意識としての「わび」が広く認識されるようになったのは江戸時代(1603-1868)以降であり、柳宗悦(1889-1961)らの民芸運動や益田鈍翁(1848-1938)などの数寄者の活動により、茶道具が美術品として普及する中で、「わび」は日本を代表する美意識の一語として定着しました。
余談ではあるが、岡倉覚三(天心)(1863-1913)の著書『The Book of Tea (『茶の本』)』では、「わび」は "imperfect" と表記され、同書を通じて世界に広まりました。
❙ 03.寂び~さび~とは
寂び~さび~とはもともと時間の経過による劣化した様子を表す言葉でした。
しかし、後に漢字「寂」が当てられたことで、「寂しい」「寂れる」すなわち「ひっそりと静まる」といった静かな状態を示す意味も持つようになりました。
その結果「老いて枯れたもの」と「古びたものの美」という相反する要素が「さび」の中に内在するようになります。古くは『徒然草』において『古書を「味わい深い」』との記述がある事から古びた姿(様子)に美意識が宿ることが示唆されています。
室町時代(1336-1603)、茶祖/村田珠光(1423–1502)が提唱した草庵茶では茶の湯を表現する際に「冷えさび」「冷え枯れ」という表現が用いられました。また室町時代(1336-1603)以降、その美意識は「禅」「連歌」「能楽」などにも取り入れられました。
しかし利休の時代の史料や『山上宗二記』にある「侘びの十ヶ条」などには「さび」の語は確認する事はできません。
推測ではあるが江戸時代(1603-1868)に栄えた俳諧の流行と伴い、「わび」の概念が広がる中で「さび」という語も結び付けられ、茶道において用いられるようになったのではないかと考えられる。


