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8-3|探求心の広がり ~学ぶ茶人たち~|第8回 茶の湯の遊芸化|江戸時代(後期)|茶道の歴史

全10回 茶道の歴史



茶壷道中を取り巻く町人たちの光景と、「茶道の歴史 第八回 茶の湯の遊芸化 江戸時代(後期)」と記された掛軸が描かれた、学びの精神が芽生えた茶の湯文化の広がりを象徴する冒頭画像。


第8回 茶の湯の遊芸化 (3/6)

 ― 江戸時代 (1603年―1868年) |後期 ―






❚ 茶道は“学問”

茶の湯は、どうやって“学問”としても発展していったのでしょうか。



道具を知り、精神を深め、文化を残す——。



今回は、江戸後期における茶道の研究と精神探求の歩みをたどります。

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❚ 茶道具と精神性の探求

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江戸時代(1603年–1868年)後期になると、茶会を催すだけでなく、茶道具や精神性を深く探求する動きが活発になります。


その中心となったのが、出雲・松江藩の藩主であった『松平不昧*』です。


松平不昧は大名でありながら茶の湯の道に深く通じ、自らの門下であった酒井宗雅らに茶道を伝えたほか、自らデザインした茶道具を制作させるなど、美意識の実践にも努めました。


また、自身の所持した名物道具をもとに、図入りの名物茶道具集『古今名物類聚(全18冊)*』を実費で出版し、「大名物」「名物」など、それまで曖昧だった道具の格付けを体系化しようと試みました。


さらに身分を越えて、大坂の豪商である鴻池善右衛門家*加島屋久右衛門家*の茶会にも積極的に参加し、町人階層とともに茶の湯文化を支えた点も特筆されます。










❚ 全国に広がる「学ぶ茶人」

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この時代、茶を学び、研究・実践したのは大名ばかりではありません。


大阪の『草間直方*』は茶器名物を収集・研究し、『茶器名物類彙*』を著し、茶道の記録と体系化に大きく貢献しました。


また、江戸の豪商『仙波太郎兵衛』や、伊勢の豪商『竹川竹斎』ら、全国各地で「学ぶ茶人」が現れ、茶の湯の学問的側面を発展させていきました。











❚ 精神性の探求と「一期一会」

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そしてこの時代、道具以上に茶道の“精神性”に注目した人物として知られるのが、彦根藩主であり江戸幕府の大老も務めた『井伊直弼*』です。


井伊直弼は「井伊宗観」の茶号で知られ、政治家としての立場を持ちながらも生涯で二百回以上の茶会に亭主・客として参加。



また自身の藩窯「湖東焼*」の育成にも尽力し、さらには茶道の心得を記した『茶湯一会集』を著しました。


この書に記された有名な言葉が



一期一会


その時の茶会は一生に一度きりの出会いである―――。



そう心得て、亭主も客も心を尽くして臨むべきだという思想は、茶道の精神を象徴する言葉として今日にも受け継がれています。











❚ 茶道は“文化”であり“哲学”へ

道具にこだわるだけでなく、精神を究め、書として後世に伝えた人々。



茶の湯は、文化・哲学・美意識を含む学問としても高みへと至りました。



次回は、明治維新を迎える中、近代の茶道がどのように存続と変化を遂げたかを探ります。










登場人物


  • 松平不昧

……… 不昧流開祖|松江藩主|越前松平家七代|治郷|1751年―1818年


  • 酒井宗雅

……… 姫路藩主|酒井家二代|忠以|1756年―1790年


  • 草間直方

……… 茶人|儒学者|1753年―1831年


  • 仙波太郎兵衛

……… 江戸豪商|運送業|生没年不詳


  • 竹川竹斎

……… 伊勢豪商|両替商|1809年―1882年


  • 井伊直弼

……… 江戸幕府大老|彦根藩十六代藩主|井伊宗鑑|1815年―1860年|俳諧の祖











用語解説



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松平不昧

―まつだいら・ふまい 1751年―1818年。出雲松江藩の第七代藩主で、号を「不昧」と称し、茶人としても高名です。藩政改革に尽力する一方で、茶道に深い造詣を持ち、「不昧流」を確立。名物道具の蒐集や茶会の記録を通じて茶の湯文化の復興と体系化に貢献しました。数寄を政治と調和させた、近世随一の大名茶人です。

古今名物類聚

―ここんめいぶつるいじゅ― 松平不昧が自身の蔵品をもとに刊行した名物茶道具の図鑑。分類と図解により、茶道具の評価基準を体系化しようとした画期的な書。

鴻池善右衛門家

―こうのいけ・ぜんえもん・け― 大坂の豪商・鴻池家の当主に代々襲名される名で、特に初代善右衛門(鴻池新六、1584–1655)は、近世初期の代表的な両替商・酒造業者として知られます。堺商人の系譜を引き、武士にも匹敵する財力と文化的教養を備え、茶の湯や能楽などの保護にも尽力しました。茶道具の収集にも熱心で、茶人との交流を深めたことで、数寄者としても名を残しました。

加島屋久右衛門家

―かじまや・きゅうえもん・け― 江戸時代の大坂を代表する豪商のひとつで、米穀・金融業を中心に巨万の富を築きました。特に幕末には幕府の御用達商人として活躍し、政治的にも影響力を持ちました。文化面でも貢献が大きく、茶道や書画の保護・蒐集にも熱心で、数寄者としての評価も高い家系です。町人文化の担い手として、近世商人の理想像を体現した一族といえます。

草間直方

―くさまなおかた― 1753年―1831年。江戸時代中期の茶人・儒者であり、武士でありながら町人文化にも深い関心を寄せた人物です。特に茶道においては表千家・川上不白と親交を持ち、不白の教えを受けつつ、独自の視点で茶の精神を記録しました。

茶器名物図彙

―ちゃきめいぶつずい― 草間直方によって著された茶道具名物集。古今の名器・逸品を絵と解説でまとめ、茶人たちの研究資料として重宝された。

井伊直弼

―いい・なおすけ― 1815年―1860年。室町時代後期の連歌師・俳諧師で、蕉風俳諧に先立つ「俳諧の祖」と称される人物です。堺を拠点に活躍し、宗祇や心敬の流れを汲みながらも、自由で洒脱な作風を確立しました。『宗鑑発句集』などの著作で知られ、後の俳諧や茶の湯文化にも大きな影響を与えました。和歌・連歌の格式を離れ、庶民的な感覚を取り入れたその姿勢は、近世文芸の礎とも言えます。

湖東焼

―ことうやき― 江戸時代後期に近江国(現在の滋賀県東近江市周辺)で焼かれた陶磁器で、井伊直弼や近江商人の支援を受けて発展しました。京焼の技法を取り入れた繊細な絵付けや、上品で洗練された意匠が特徴です。色絵・染付・金彩など多彩な表現を持ち、茶道具や食器としても高く評価されました。明治以降衰退しましたが、現在も一部で復興の動きがあり、その美術的価値が再認識されています。

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茶道具|中古道具市
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