8-2|三千家の役割 ~家元制度の確立~|第8回 茶の湯の遊芸化|江戸時代(後期)|茶道の歴史
- ewatanabe1952

- 2023年1月27日
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全10回 茶道の歴史

第8回 茶の湯の遊芸化 (2/6)
― 江戸時代 (1603年―1868年) |後期 ―
❚ 広がる茶の湯と秩序の必要性
茶の湯は、どうやって“道”としての形を整えていったのでしょうか。
広がる人気のなか、秩序と精神を取り戻すために生まれた仕組み。
今回は、「家元制度」の確立と三千家の役割を中心に、近世茶道の礎をたどります。
❚ 家元制度の誕生と三千家の確立

江戸時代後期、町衆文化がますます活発になると、茶の湯を学ぶ人々も急増し、それに伴い「教授者」と「門弟」という関係性がより明確に整備されていきました。
この流れの中で誕生・定着したのが、今日の伝統芸能にも広く見られる「家元制度*」です。
なかでも「三千家 (表千家・裏千家・武者小路千家)*」は、この家元制度を確立し、その中心的役割を担うことで、秩序ある稽古体制を築き、茶の湯の精神的回帰を導きました。
それにより、遊芸化しつつあった茶の湯も、本来の「道」のあり方を取り戻し、名主・商人といった各地の人々の習い事として、日本全国に広く普及していくことになります。
またこの過程において、今日の茶道の理念として知られる『和敬清寂*』という標語が体系化され、点前や茶会の作法も流派ごとに整備が進みました。
これが、今日に続く「茶道」としての完成を意味する大きな一歩となります。
❚ 広間での稽古と七事式の考案

さらに、弟子の増加とともに、従来の小間茶室による少人数制の「茶事」では対応が難しくなったため、大広間で複数の門弟を一斉に指導する「広間での稽古法」が必要となります。
このニーズに応えるかたちで、表千家七代/如心斎と弟の裏千家八代/又玄斎の門下であった『江戸千家開祖/川上不白*』らによって、「七事式*」が考案されました。
このようにして、茶道は都市部だけでなく、農村や地方都市にも広がる“文化としての茶の湯”へと成熟していくのです。
❚ 三千家が築いた近世茶道の礎
秩序なき広がりに精神を与え、道としての軌道を築いた家元制度。
三千家の活動が、今日の茶道の礎を築いたことは間違いありません。
次回は、町衆文化の中で育まれたもう一つの茶の風景、文化文政の町人茶道を見ていきます。
登場人物
表千家七代/如心斎
……… 表千家七代|御家元|天然宗左|1705年―1751年|表千家六代覚々斎の長男
裏千家八代/又玄斎
……… 裏千家八代|御家元|一燈宗室|1719年―1771年|表千家七代/如心斎の弟
江戸千家開祖/川上不白
……… 江戸千家開祖|御家元|1719年―1807年|川上六太夫の次男
用語解説
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家元制度
―いえもとせいど―
家元制度は、日本の伝統芸道において流派の継承と統率を担う仕組みです。茶道では家元が教義・作法・道具の選定などを統括し、門弟に伝授します。代々の家元が守り伝えることで、芸の精神と技が正しく受け継がれていきます。
三千家
―さんせんけ―
千利休の曾孫にあたる三人の兄弟が創設した三つの千家流派(表千家・裏千家・武者小路千家)の総称。江戸中期以降、町人層に広がる茶の湯を体系化し、作法や点前に違いはあるが、侘びの理念を共通に持ち、日本の茶道文化の中心的存在となっている。
和敬清寂
―わけいせいじゃく―
茶道の根本理念を表す四字。「和 (和合)」「敬 (敬意)」「清 (清浄)」「寂 (静謐)」を重んじる心構え。亭主と客が心を通わせ、清らかな空間で静謐なひとときを分かち合う、この理念が茶の湯の根本にあります。
川上不白
―かわかみ・ふはく―
戸千家の開祖。表千家七代/如心斎の高弟として茶道を学ぶ。如心斎の命により江戸に下り、武家や町人にも広く茶の湯を伝え、江戸千家の基礎を築きました。質素を重んじる如心斎の「徹底したわび茶」の精神を継承しつつ、江戸の風土や文化に即した実践的な茶風を確立。『不白筆記』や『茶話指月集』などの著書を通じて、教えを後世に伝えました。茶は人と人との和合を深めるものと説き、身分や形式にとらわれない自由な茶の在り方を提唱しました。
七事式
―しちじしき―
八畳以上の「茶室(広間)」で一度に5人以上で行うのが原則とし、従来からある「茶カブキ」「廻り炭」「廻り花」を整備し「且座」「花月」「一二三」「員茶」を加えた七種類の式作法が考案されました。この七事式の制定は「茶室(小間)」での茶を中心とした「わび茶」に「茶室(広間)」での茶の要素を取り込もうとした結果であると考えられる。
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