6-1|天下人の一碗 ~秀吉と茶の湯の隆盛~|第6回 茶の湯の隆盛|安土桃山時代|茶道の歴史
- ewatanabe1952

- 2023年2月10日
- 読了時間: 4分
全10回 茶道の歴史

第6回 茶の湯の隆盛 (1/3)
― 安土桃山時代 (1573年―1603年) ―
❚ 天下人のもとで昇華した茶の湯
戦乱の世を経て、茶の湯は“天下の文化”へと昇華していきます。
その背景には、武将たちが茶の湯に託した「権威」と「美」の融合がありました。
天下人のもとで開かれた大茶会の数々は、茶道史に残る一大転機。
今回は、豊臣秀吉による茶の湯隆盛の足跡をたどります。
❚ 信長亡き後の茶の湯再興

天正十年(1582年)六月二日、「本能寺の変*」により織田信長が自害。
世は一時的に混乱し、茶の湯もその庇護者を失ったことで衰退の危機を迎えます。
しかしその後、天下の実権を引き継いだ『豊臣秀吉*』により、「茶の湯文化」はさらなる隆盛を迎えることとなります。
大名や武士はもちろん、戦や政治の場面でも「茶の湯」が登場し、「茶道具」は単なる趣味の対象を超えて、権力の象徴となっていきました。
まさに茶道史における最高潮の発展期がこの時代です。
❚ 禁中茶会と北野大茶湯

この「茶の湯」の隆盛を象徴する出来事に以下の二つの大茶会があげられます
天正十三年(1585年)十月に催された『禁中茶会*』
天正十五年(1587年)十月に催された『北野大茶湯*』
とくに禁中茶会は豊臣秀吉が「関白*」に任命されたことに伴う正親町天皇の御所内で催された茶会であり、茶の湯が政治の中枢においても儀礼として正式に位置づけされたことを意味しています。
一方で京都・北野の『北野天満宮*』で行われた『北野大茶湯』では、身分の区別なく、広く庶民にも茶が振舞われたとされ、茶の湯が武士階級のみならず、庶民にまで広がる文化となっていたことが伺えます。
❚ 千利休の登場と権威の茶の湯

こうした一連の茶会を支え茶の湯の発展において決定的な役割を果たしたのが千利休でした。
千利休は筆頭茶頭*として豊臣秀吉に仕え、その影響力は政治中枢まで及ぼすこととなります。
しかし茶の湯が強大な影響力を持つようになったことで、やがて豊臣秀吉と千利休の間には緊張が生まれ、両者の関係は次第に対立へと向かっていくこととなります。
❚ 茶の湯の黄金時代の意義
天下人が愛した茶の湯は、権力の象徴としての役割を持ちながら、文化としても成熟を遂げていきました。
その隆盛の裏側には、茶人たちの努力と精神の継承があります。
次回は、茶の湯を芸術と哲学の領域へと導いた千利休の思想と、その生涯に迫ります。
登場人物
豊臣秀吉
……… 天下人|武将|関白|太閤|1536年―1598年
織田信長
……… 天下人|武将|1534年―1582年
正親町天皇
……… 第百六代天皇|1517年―1593年
千利休
……… 千家開祖|抛筌斎 千宗易(利休)|1522年-1591年|天下三宗匠|茶道の大成者
用語解説
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豊臣秀吉
―とよとみ・ひでよし―
戦国時代の武将・天下人で、織田信長の死後に政権を掌握。農民出身ながら関白・太閤に昇りつめ、全国統一を果たした。刀狩令や太閤検地を実施し、戦国の混乱を収めるとともに、茶の湯を重視し千利休を重用。大阪城を築き、文化・政治両面に大きな影響を与えた。
本能寺の変
―ほんのうじのへん―
1582年6月2日、『明智光秀』が主君『織田信長』を京都の本能寺で急襲し、自害に追い込んだ事件。信長は天下統一目前での非業の死を遂げ、戦国時代の大転機となった。光秀は直後に豊臣秀吉に討たれ、政局は一気に秀吉中心へと移行した。日本史上屈指の謀反劇として広く知られている。
禁中茶会
―きんちゅうちゃかい―
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉が関白となった祝いの一環として、正親町天皇の御所内で催された茶会。政治と茶の湯の結びつきを象徴する歴史的な行事。
北野大茶湯
―きたのおおちゃのゆ―
天正十五年(1587年)、京都・北野天満宮で豊臣秀吉が催した大規模な茶会。身分や階級を問わず多くの人々に茶が振る舞われたことで知られ、茶の湯の民衆化を象徴する。
関白
―かんぱく―
天皇の補佐役として政務を代行する最高位の官職で、平安時代から室町時代にかけて特に重んじられた。藤原氏が独占し、摂関政治を確立。天皇が成人しても政治を主導できる立場で、摂政と異なり成人天皇の政務を補佐する。豊臣秀吉も関白に就き、武家関白として天下統一の権威を強化した。
北野天満宮
―きたのてんまんぐう―
京都市上京区にある神社で、947年に創建。 学問の神様として知られる『菅原道真』を御祭神とし、全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社。 境内には約1,500本の梅が植えられ、2月下旬から3月中旬にかけて見頃を迎えます。 また、毎月25日には「天神市」と呼ばれる縁日が開催され、多くの参拝者で賑わいます。
筆頭茶頭
―ひっとうちゃがしら―
茶の湯を指導・執行する茶頭の最高位の役職。千利休は豊臣秀吉に仕え、この役職を担い、茶の湯の儀礼化と権威づけに貢献した。
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