5-4|冷え枯れる美 ~わび茶に流れる古典の風~|第5回 茶の湯文化の誕生|室町時代(後期)|茶道の歴史
- ewatanabe1952

- 2023年2月16日
- 読了時間: 3分
全10回 茶道の歴史

第5回 茶の湯文化の誕生 (4/6)
― 室町時代 (1336年―1573年) |後期 ―
❚ わび茶に息づく古典の精神
茶の湯の精神は、どこから育まれてきたのでしょうか。
古典の美にふれ、言葉の余白に心を宿す――。
茶の所作の背景には、和歌や連歌の冷え枯れる美の意識が息づいています。
今回は、わび茶と古典文学の関係をたどります。
❚ 和歌と連歌に学ぶ美意識

武野紹鷗も村田珠光と同様に和歌や連歌に親しみ、その美の境地を自身の「茶の湯」にも取り入れることで、「わび茶」を発展させていきました。
武野紹鷗は「わび茶」の理想について、次のような言葉を遺しています。
❝
連歌は枯れかじけて寒かれと云ふ。茶の湯の果てもその如く成りたき
❞
連歌の世界では、「冷えさびる・枯れる」といった表現を用いて美の境地を説いています。
これは連歌の名手であり『正徹*』の弟子であった『心敬*』の連歌論により広まり、さらにその弟子である『宗祇*』に受け継がれました。
そしてこの思想は武野紹鷗の和歌の師であった『三条西実隆*』にも継承されています。
つまり、「わび茶」の背後には、連歌や和歌といった日本古来の文芸の思想が深く関わっていたことがわかります。
❚ 不足の美と茶の湯

和歌や連歌の世界で重んじられていた「不足の美」「冷え」「枯れ」といった一見ネガティブにも見える要素にこそ美を見出す感性が大切にされてきました。
それは、物の豊かさではなく、内面的な静けさや余白の豊かさに価値を置く姿勢です。
この美意識が、村田珠光や武野紹鷗という茶人たちに継承され、やがて茶の湯の所作や精神に色濃く反映されていきます。
そのため今日の茶道の世界においても、しばしば和歌がその境地を象徴する手段として茶会や道具の銘などに用いられることが少なくありません。
そこには茶の湯が単なる作法ではなく、古典文芸の美意識を背景に持つ精神的な営みであることが示されています。
❚ 古典が育んだ「余白」の美
一首の和歌に込められた「余白」の美は、一碗の茶の所作にも通じています。
わび茶の背景にある和歌や連歌の精神は、単なる文芸ではなく、心の在り方そのものでした。
茶の湯における「静けさ」や「不足の美」は、まさに古典の風韻を今に伝えているのです。
次回は、いよいよ「侘びの茶」を極めた千利休の登場と、その茶の湯がたどり着いた精神世界をご紹介いたします。
登場人物
正徹
……… 臨済宗の僧|歌人|1381年―1459年
心敬
……… 天台宗の僧|連歌師|1406年―1475年
宗祇
……… 連歌師|1421年―1502年|心敬の弟子
三条西実隆
……… 公卿|連歌師|1455年―1502年|一条兼良の弟子
用語解説
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正徹
―しょうてつ―
室町時代の臨済宗の僧であり歌人。冷泉為秀に師事し、和歌に通じるとともに、茶の湯にも深い関心を持ち、著書『正徹物語』で当時の喫茶文化を記録した。
心敬
―しんけい―
1406年―1475年。室町時代の天台宗の僧であり、連歌師。正徹に師事し、「さび・わび・枯れ」などの美意識を重視した独自の連歌論を展開。後世の宗祇や茶の湯にも大きな影響を与えた。
宗祇
―そうぎ―
1421年―1502年。室町時代を代表する連歌師で、心敬の弟子。形式にとらわれず、深い精神性と自然観を重視した作品を多数残し、「新風連歌」の中心的人物とされる。
三条西実隆
―さんじょうにしさねたか―
1455年―1537年。室町時代の公卿であり、和歌や古典学に精通した文化人です。一条兼良に師事し、『古今和歌集』の伝授者として古今伝授の継承に尽力しました。また、香道の御家流を創始し、三条西家に伝えました。彼の日記『実隆公記』は、当時の政治・文化を知る上で貴重な史料とされています。
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