特集|表千家とは?|はじめの一歩|茶道入門ガイド
- ewatanabe1952

- 2022年12月24日
- 読了時間: 4分
更新日:10月17日
はじめの一歩

■ 特 集 ■
表千家とは?
❚ はじめに
この度は「茶道プラス(310plus.com)」へご訪問いただき、誠にありがとうございます。
特集記事では、これから茶道をはじめる方に向けて、「はじめの一歩」となる基本の知識を、やさしくわかりやすく解説しています。
本ページでは、茶道の代表的な流派のひとつである「表千家」について、初心者の方にもイメージしやすい形でご紹介します。また、すでに茶道に親しんでいる方にとっても、基本を振り返るきっかけとして活用いただける内容です。
まずは気軽に、茶道の世界をのぞいてみてください。
❚ 表千家とは?
表千家とは、千利休(1522-1591)の孫にあたる千宗旦(1578-1658)の四人の息子の内の三男|逢源斎江岑宗左(1613-1672)によって興された流派で裏千家、武者小路千家を含めた三千家の中でも最も格式を重んじ、千利休の茶の湯の精神を正統に受け継ぐ流派です。
江岑宗左が千家の家督を継ぎ、その後歴代家元が利休の教えを守りつつ発展を重ね、今日に至るまで茶道界の中心的な存在として確立されています。
わび茶の精神を根本としながらも、洗練された美意識と格式を兼ね備えることが、表千家の大きな特徴です。
長男 閑翁宗拙(1592-1652)・・・父宗旦より勘当
次男 似休齋一翁宗守(1605-1676)・・・武者小路千家四代御家元
三男 逢源斎江岑宗左(1613-1672)・・・表千家四代御家元
四男 臘月庵仙叟宗室(1622-1697)・・・裏千家四代御家元
❚ 表千家のあゆみ
江戸時代(1603-1868)、江岑宗左は「紀州徳川家」の茶頭を務め、千利休伝来の茶の古格を保持し続けました。また、「紀州徳川家」と関係の深かった「三井家」 との縁も深く、これが表千家の発展に大きく寄与しています。
昭和十七年(1942年)には、表千家の全国的な組織として「表千家同門会」 が発足し、現在では 日本国内に53支部、海外に4支部を展開し、茶の湯文化の普及と発展に尽力しています。
さらに昭和二十四年(1949年)には、財団法人「不審菴」 が設立。
財団法人不審菴では、茶室や露地、伝来茶道具、古文書などの保存・継承を通して、利休茶道の精神の普及に尽力。茶道を通した日本文化の向上と発展に貢献することを目的としています。
❚ 表千家の由来
裏千家の茶室「今日庵」と対比し、通りの表側に位置したことから「表千家」と称されるようになりました。
この呼称は江戸時代(1603-1868)初期から自然と定着したものであり、千家の家督を継いだ江岑宗左を表千家四代(初代)として、表千家の歴史がはじまります。
❚ 庵号 ―不審庵―
表千家を表すもう一つの呼称に庵号である「不審庵(ふしんあん)」があります。
「不審庵」とは、表千家を象徴する茶室の庵号であるが、今日では表千家の屋敷全体や組織全体を指す名称として用いられています。
茶室「不審庵」の庵号は千利休の参禅の師である大徳寺百十七世/古渓宗陳(1532-1597)に庵号を求めた際に示された禅語、
「不審花開今日春(ふしんはなひらくこんにちのはる)」 (疑問を持つことで悟りの花が開き、今日もまた新たな春を迎える)
に由来するといわれています。
この禅語は、茶道における「学び続ける心」や「探究する姿勢の大切さ」を示しており、千利休の求道心と深く結びついています。
❚ 茶室 ―不審庵―
茶室「不審庵」のはじまりは千利休(1522-1591)が大徳寺門前の屋敷に建てた四畳半の茶室に遡り、この茶室が不審庵の原型となったと伝えられています。
しかし今日の「不審庵」の形式は江岑宗左が父である千宗旦(1578-1658年)と相談のうえで建造した三畳台目の茶室が基になっています。
今日の「不審庵」は昭和五年(1930年)、火災によって一度焼失しましたが、その後すぐに再建され、現在の姿へと復元されました。
以降、「不審庵」は表千家の象徴として、茶道の伝統を守り続ける場となっています。
❚ 家元
表千家の家元は代々「宗左」の襲名する慣わしになっています。
また、隠居後は「宗旦」を名乗り、次代家元(若宗匠)は「宗員」と称します。
この名跡の継承は、表千家の格式と伝統を象徴する重要な要素となっています。
❚ 表千家歴代家元
四代 逢源斎 江岑宗左 (1613–1672)
五代 随流斎 良休宗左 (1650–1691)
六代 覚々斎 原叟宗左 (1678–1730)
七代 如心斎 天然宗左 (1705–1751)
八代 啐啄斎 件翁宗左 (1744–1808)
九代 了々斎 曠叔宗左 (1775–1825)
十代 吸江斎 祥翁宗左 (1818–1860)
十一代 碌々斎 瑞翁宗左 (1837–1910)
十二代 惺斎 敬翁宗左 (1863–1937)
十三代 即中斎 無盡宗左 (1901–1979)
十四代 而妙斎 宗旦 (1945–)
当代 猶有斎 宗左 (1970–)
❚ 所在地
[所 在 地] 〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入百々町536
[連 絡 先] TEL 075-432-2195 (事務局代表)
[公式 HP] http://www.omotesenke.jp/
❚ まとめ
表千家は、千利休の茶の湯の精神を最も正統に受け継ぐ流派として、格式と伝統を重んじてきました。「不審庵」という庵号に込められた探究心を大切に、国内外での普及活動を通して茶の湯文化の発展に貢献しています。
表千家は、わび茶の心と洗練された美意識を併せ持つ流派として、今日もなお茶道界において揺るぎない地位を保ち続けています。


