2-8|利休の死後|02.利休の生涯|千宗易利休|抛筌斎
- ewatanabe1952
- 2023年6月11日
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全10回 抛筌斎 千宗易 利休

利休の生涯
― 利休の死後 ―
❚ 利休の死
千利休*の死は、豊臣秀吉*の政権下における茶の湯文化に大きな衝撃を与えました。
切腹後、屋敷は破却**され、弟子たちも処罰されるなど、「千家」は一時的に歴史の表舞台から姿を消します。
しかし、その精神は弟子たちと次世代の茶人たちに受け継がれ、やがて三千家**の創設へとつながっていくこととなります。
❚ 利休の死後
利休の死後、その住居であった聚楽屋敷**は取り壊されましたが、その一部は利休七哲**の一人でもある細川家初代/細川三斎*によって保存されました。
細川三斎が健創した大徳寺**/高桐院**には利休屋敷の書院の一部とされる遺構が今も残り、利休の精神を今に伝えています。
❚ 利休の後継者
利休の残された系譜には以下の人物が名を連ねます。
❝
・先妻:宝心妙樹*の嫡男――千道安* ・後妻:千宗恩*の連れ子――千少庵宗淳* ・次女:不明の夫――万代屋宗安* ・弟:千宗把*の子――千紹二*
❞
しかし千道安と千少庵宗淳は利休の死罪に連座する形で蟄居**を命じられ、「千家」は一時取り潰し状態となりました。
❚ 茶の湯の継承と門人の活躍
千家無きその間は豊臣秀吉の茶頭**を努めたのは以下の利休の高弟たちです。
❞
・古田織部重然* (利休七哲の一人) ・織田有楽斎長益* (織田信長の弟、利休十哲の一人) ・細川三斎忠興 (利休七哲、利休門三人衆)
❝
それぞれが利休のわび茶**の精神と道系を継承、発展させる重要な役割を果たしました。
❚ 堺千家と京千家
江戸時代中期の茶人:久須美疎安*の『茶話指月集**』によると、文禄四年(1595年)頃、徳川家康*と前田利家*の取り成しにより、千道安と千少庵宗淳は赦免**されたことを伝えています。
❝
「権現様(徳川家康)・利家公(前田利家)、兼ねて宗易の事不便(不憫)がらせ給いて、よきおりとおぼし召し、少庵・道庵御免の御取成あそばされ下され、早速御ゆるし蒙り、その後、道庵を御前へめし、四畳半にて茶をたてさせ、上覧ありて、宗易が手前によく似たる、と御感に預かる。」 訳) 「徳川家康と前田利家は、以前から千利休のことを気の毒に思っておられ、よい機会だとお考えになり、千少庵と千道安を許すように取り計らってくださった。おかげで早速、赦免されることとなり、その後、千道安は御前に召され、四畳半の茶室でお茶を点てたところ、徳川家康たちはそれを御覧になり、『宗易の点前によく似ている』と感心された。」
❞
■ 堺千家 ―――
赦免後、長男の千道安が本家の「堺千家」の家督を継承するが、子がなかったため千道安の死後「堺千家」は断絶することとなる。
■ 京千家 ―――
赦免後、養嗣子の千少庵宗淳は「京千家」を再興し、その後の「三千家」の創建へとつながることとなります。
❚ 三千家の成立

千少庵宗淳の子である千宗旦*は、大徳寺の喝食**であったが、還俗**して茶の湯を継承し、京都の「本法寺**」前に屋敷を構える。
その後、千宗旦の三人の息子がそれぞれの流派を興し「三千家」が創設され今日に至る。
■ 表千家 ―――
三男|表千家四代/逢源斎江岑宗左*が――表千家**|不審庵**――を創建
■ 裏千家 ―――
四男|裏千家四代/臘月庵仙叟宗室*が――裏千家**|今日庵**――を創建
■ 武者小路千家 ―――
次男|武者小路千家四代/似休齋一翁宗守*が――武者小路千家**|官休庵**――を創建
❚ 利休の遺愛
前述の『茶話指月集**』によると、以下のように千宗旦は、豊臣秀吉から「数寄道具長櫃三棹**」を賜ったと伝えられています。
❝
「宗旦、始めは柴阜の喝食にて有りしが、秀吉公度々宗易へ御成の時分、御給仕相勤め、公御身知りあるにより、宗易跡の数寄道具、かの喝食にとらせよ、との上意にて、長櫃三棹拝領す。」 訳) 千宗旦は、もとは京都・大徳寺の僧であったが、秀吉公がたびたび千利休のもとにお出ましになっていた頃、その給仕役を務めていた。 秀吉公は千宗旦のことを以前からご存じであったことから、『千利休の遺した数寄の道具は、あの僧に与えるように』というご意向により、大きな道具箱三つを拝領した。
❞
これは、利休の遺愛の茶道具が千家に返還されたことを意味しており、豊臣秀吉が利休の提唱した「わび茶」そのものを否定したのではなかったことを示唆していると推測することができる。
❚ 利休は不滅

利休の死後、千家は一時的に衰退するものの、門人や次世代の茶人たちによってその精神は受け継がれました。
やがて宗旦とその子らによって三千家が興され、わび茶の理念は連綿と今に受け継がれています。
利休の影響力は、単なる茶人にとどまらず、政治・文化・思想の分野にまで及び、日本文化に深く根を下ろした存在であったことが再認識されます。
❚ 次回は・・・
次回の「2-9|利休の史料|02.利休の生涯」では、利休に関する現存する史料や古文書をもとに、利休の実像を探り、後世の伝承や理想像との違いについて考察していきます。
登場人物
千利休|せん・りきゅう
……… 天下三宗匠|千家開祖|抛筌斎|千宗易|1522年―1591年
豊臣秀吉|とよとみ・ひでよし
……… 天下人|関白|太閤|1536年―1598年
細川三斎忠興
………
宝心妙樹|
………
千道安
………
千宗恩|
………
千少庵
………
万代屋宗安|
………
千宗把|
………
千紹二|
………
古田織部
………
織田有楽斎
………
徳川家康
………
前田利家
………
千宗旦|
………
逢源斎江岑宗左|
………
臘月庵仙叟宗室|
………
似休齋一翁宗守|
………
久須美疎安|
………
用語解説
破却
………
三千家
………
聚楽屋敷
………
利休七哲
………
大徳寺
………
高桐院
………
蟄居|ちっきょ
……… 自宅謹慎を命じる処分
茶頭
………
わび茶
………
赦免
………
喝食|かっしき
……… 寺で奉仕する少年僧
還俗|げんぞく
……… 僧籍から離れ、俗人に戻ること。
本法寺
………
表千家
………
不審庵
………
裏千家
………
今日庵
………
武者小路千家
………
官休庵
………
茶話指月集
………
数寄道具長櫃三棹
………